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抗がん剤治療。


もちろん効くだろう薬は探すけれど
基本抗がん剤治療をする。
という決断になるということ。

2年前に左胸全摘したんだから
イメージ的には
畑ごと勇気出して捨てたはずだったんだけどな。

また農薬みたいな
抗がん剤をカラダに撒くんだね。
って愕然とした。

その未来は、、、
私の身体に芽吹いてしまった14個の🌱たちを
除去するイメージではなく
増やさないようにする。

やっぱり抗がん剤治療して毒を入れても
消えることはないんですね。

そうなったら、
わたし。
抗がん剤がないと生きていけなくなるんだろうな。

そしたら、だんだんボロボロになって

抗がん剤も効かなくなって

ボロボロになった末に歩けなくなって

抗がん剤を打つことを諦めて

朽ちていく。

そうゆう風になって死んでいった人を
何人も知っているから。

だから、ぶっちゃけ
こうなっていた場合の事を自分なりに少しは
予測していた。

何故ならば私の病理の結果は、
〝トリプルネガティブ〟
更には、遺伝性もない。

抗がん剤治療しか薬がないことは知っていた。

そうなった場合は、
抗がん剤もやらずにどこかあったかくって
海が綺麗な島で生きたいと。

勝手にイメージしてた。
だけどやっぱり逃げたら‥

抗がん剤しなかったら
もっともっと広がっていって
小さかった🌱は
いつしか森みたいになって
死んじゃうって事なんだね。

諦めたら本当に終わっちゃうんだね。

そんな事を実感した。
抗がん剤治療しないという選択はないのか。
そんな事をぐるぐると考えていた。

でも
そんなことを浸ってる暇なく検査は続く。

医師と二人だけになって、

痛くないようにするからね。
しっかり麻酔入れるからね。

って。
左の首に麻酔をいっぱい打たれて、
ガンタッカーみたいな針生検査の途中。

大好きだった先生の声聞いて
横になって

大人しくしなくちゃ。
冷静に構えなきゃ。

震えない様にびくつかない様に
と考えながらも

バチんって鳴る針生検査の音が響く中

悔しさと。怖さと。
先生の優しさで
転移がわかってから初めて‥
涙がポロポロずっと止まらなかった。


その日は、
余命も教えてくれなければ、
ステージも教えてくれなかった。

やってみなければ分からない。
余命なんてあってないようなもの。
抗がん剤治療で良くしよう。
と言う先生の願いのような言葉。

誰のことも責められない。

これからどうしていきたいか。
どうするべきかは、
ぐるぐるまわって苦しくなって。
悲しくなって。

何くそ!闘ってやる!
癌なんか消してやる!

なんて強がることもできず無な状態で

何も考えたくなかった。

付き添いに来てくれていた
母とがみちゃん。

「代わってあげれなくてごめん。」

なんて言うお母さんの言葉に

涙を堪えるのが必死で、
実家までの道のりを二人きりで帰るなんて
正直、辛すぎて。

その日は
がみちゃんちに泊まらせてもらった。

病院の入り口に咲いていた沈丁花の花。
甘い香りに癒された。

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#HAPPYな花言葉しか描かないかっしー花図鑑

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花言葉☞「栄光」「永遠」

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