見出し画像

「春はあけぼの」がない?:『枕草子』の伝本

我々が今日目にする『枕草子』の本文は、「三巻本〈一類本〉」のテキストがほとんどです。
しかしこの一類本、「春はあけぼの~」を含む初段〜75段が欠けているんです!ご存知でしたか?

じゃあどうして今でも「春はあけぼの」の段が読めるのかというと、その部分は他の伝本で補っているから。

古典作品は、伝本によって本文に欠脱があったり、異同があったりします。
古典全集や注釈書では、底本にひとつ伝本を定めながら、他の本から補完することも多いのです。

さてこのnoteでは、『枕草子』伝本の4つの系統と、異同のチェックに使える本、最後に参考文献にて論文を紹介します。

★「伝本」や「本文系統」について詳しく知りたい方は、こちらも読んでみてください。

参考 note|古典の伝本と本文系統について
https://note.com/kashiwa_maru/n/n90090d27be05/



『枕草子』の本文系統

『枕草子』の伝本は、4系統に分けられます。
これは所々で見られる単語や文の異同で分けられたのであって、雑纂・類纂の形態別ではないことに注意。

『枕草子』の本文系統
① 
三巻本(雑纂)
能因本(雑纂)
堺本(類纂)
前田家本(類纂)

① 三巻本系統

  • 伝本に三冊組のものが多いことから付いた名称(なぜか三冊本とは言わない…)。

  • 一番年代の古い奥書に、「安貞あんてい二年(1228)三月/耄及もうぎゅうおう(=藤原定家)在判」とあり、安貞二年奥書本とも呼ばれる。

  • 「類聚」「日記」「随想」の章段が無秩序に入り混じっている雑纂形態

三巻本はさらに一類、二類の2つに分けられます。

■ 一類本
冒頭の「春はあけぼの」から、75段「あぢきなきもの」までが欠けている。
善本は京都の陽明文庫が所蔵する陽明文庫本

■ 二類本
一類本で欠けていた冒頭~75段目をちゃんと有している。が、本文に堺本系統の本で校訂されている箇所があり、純粋な三巻本とは言えない。
よく参照されるのは弥富やとみ破摩雄はまお氏旧蔵本(=弥富本)。

三巻本は、現在最も古い形態を保っていると考えられている系統です。
今日の注釈書は三巻本が主流で、一類本の陽明文庫本を底本とするものが多いですが、欠けている冒頭~75段目の部分は、二類本で補って載せています。

② 能因本系統

  • ”能因法師の所持したという本を写しました”という奥書があることから付いた名称(能因本とも)。能因法師は平安時代中期の僧侶歌人。

  • 善本は三条西家旧蔵本(現・学習院大蔵本)。三条西実隆(or 子の公条きんえだ)の書写本で、代々三条西家で受け継がれてきたものが、19代目当主公正きんまさのときに母校の学習院大に譲渡された。

  • 三巻本と同じく雑纂形態

能因本の本文は、言い回しが平安時代っぽくない部分がある、官職名が記事当時のものから後年のものに改められている、といったことから、作者か誰かが加筆修正をしたのではないかと考えられています。

今でこそ主流は三巻本ですが、昭和初期に三巻本の優位性が認められるまでは、『枕草子』といえば能因本でした。
江戸時代に読まれていた『枕草子』も、北村季吟の『枕草子春曙抄しゅんしょしょう』のような、能因本をベースとした注釈書でした。

③ 堺本系統

  • 元亀げんき元年(1570)の儒学者・清原枝賢えだかたによる奥書に、”堺(現・大阪)の僧・道巴どうはから借りて写しました”ということが記されているので、「堺本」と呼ぶ。

  • 内容は、類聚「○○は」型・類聚「もの〜」型・随想的章段の三部に分かれている類纂形態(日記的章段は欠)。

これまで堺本は、雑纂形態の本を勝手に再構成した改作だとして低く見られていた節がありますが、最近は構成の完成度が評価されています。

④ 前田家本

  • この系統の本は、名称のまんま、加賀藩前田家に伝わっていた「前田家本」(尊経閣文庫蔵)のみ

  • 前田家本は類纂形態で、類聚「○○は」型・類聚「もの〜」型・随想的章段・日記的章段に分かれた4冊組。

前田家本を特別なものにしているのはその書写年代で、伝本の中では一番古い、鎌倉時代中期。重要文化財になっています。

「一番古いってことは、一番清少納言の文体に近いんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、本文は、後の時代の人が伝能因本と堺本を合わせて改作したもの、という楠道隆の論が定説となっていて、最善本になっていません。

なんとなく、”前田家本は古くて貴重だけど、本文としては微妙”という共通認識を感じます。
この楠論は昭和初期のものなので、そのうち見直されるかもしれません。

雑纂と類纂、どちらが先?

『枕草子』伝本のうち、三巻本と能因本は雑纂、堺本・前田家本は類纂でした。
バラバラの雑纂、章段別の類纂。どちらが先に成立していたのでしょう?

結論から言えば、はっきりしたことは分かりません

ふつうに考えれば、類纂形態でまとめられていたものをわざわざ錯綜させることはないだろうから、雑纂が先…?と思われますが、絶対にそうとは言い切れません。

現在の学説では、三巻本・能因本がより古い本文を保っているだろうということで、これに合わせて形態も雑纂の方が古いとされています。

本文を比較する

それぞれの系統の文を比較するときは、諸系統の異同をまとめて一覧できる校本こうほんを使います。
底本を三巻本とする場合、以下の本が便利です。

■ 根来司『新校本枕草子』笠間書院, 1991.
■ 杉山重行(日本大学)『三巻本枕草子本文集成』笠間書院, 1999.


今回は『枕草子』の4系統についてまとめました。参考になりましたら幸いです。

参考文献
■ 松尾聡, 永井和子『枕草子 能因本』笠間書院, 2008.
■ 佐々木孝浩「定家本としての枕草子」『日本古典書誌学論』笠間書院, 2016.(初出:2012)
■ 山中悠希「堺本枕草子の類纂形態-複合体としての随想群とその展開性-」『中古文学』80, 2007.12
https://doi.org/10.32152/chukobungaku.80.0_40

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?