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[連載小説] 「青春の外堀 -TOKYO1980」第二話<荻窪>


第二話「東京にいくんだから、やっぱりパーマでしょ」

大学は市ヶ谷と飯田橋の中間にあって、どちらからもほぼ同じ距離。江戸城の外堀沿いに桜の並木道が同じように続いている。子供の頃から釣りが好きなのもあるが(市ヶ谷には釣り堀がある。その話はいずれまた)、外堀の水を見ていると落ち着くのだ。そして、大学の裏手には靖国神社があった。「かしゆお」のおじいちゃんは太平洋戦争の前の日中戦争で戦死していて、靖国神社に祀られている。「かしゆお」は当然、おじいちゃんを知らないが、その後、今に至るまで四月の命日には、靖国神社にお参りに行く。というかおばあちゃんに行かされてきたのだ。「まあ、そういうことなんだろな」。と「かしゆお」は思った。外堀大学しか受からなかったけど、逆にいうと「おじいちゃんが、ここだけは合格させてくれたんだろう」。「かしゆお」は、物事は自然に任せるのが、いいと思う方だった。

で、住むとところを探さなければいけないのだ。どんな条件を不動産屋に言ったか、もう忘れたが、京王線の下高井戸と、荻窪を紹介された。しかし、その不動産屋のリストにあった「下北沢」も見せてくれと行った。その頃、神田の書泉グランデで雑誌みたいな本みたいなのを買ったら、『若者の街、下北沢。おもちゃ箱をひっくり返したような街』みたいな記事があって、何か心惹かれたのだ。3月の頭に合格通知がきて、3月の中頃にアパートを探すために上京したのだか、行く前に田舎であることをした。「東京にいくんだから、やっぱりパーマでしょ」となぜか思った「かしゆお」は生まれて初めてパーマをかけたのだ。東京の人はみんなパーマをかけているに違いない。「かしゆお」はそう思ったわけではない。そこまで田舎じゃないし、そこまで昔でもないのだ。「YMO のテクノカットに憧れたのだ。今から思うと教授も細野さんも幸宏もサラサラヘアーだったと思うので、なぜこの時「かしゆお」がパーマに走ったのかわからない。音楽雑誌か何かを、生まれて初めて行った美容院に持って行って、「こんな感じにしてくれと」行った気がする。その写真が小さかったこともあって、美容院の人も、困っていた気もする。ということで、パーマをかけることになった。

失敗だった。すごく失敗だった。「かしゆお」は、そんなに髪の毛が多い方でなないし、それに毛が細いから、パーマが思いっきりかかってしまったのだ。くるくるというか、みっしりというか、要はちんちくりんになったのだ。これにはおばあちゃんも笑った。「おにいちゃん、、、、(笑)」。おばあちゃんに、なんて言われたか覚えていないが、とにかく笑われた。何故、こんなに長々とパーマの話をするかというと、下北沢のアパートを断られたのだ。その場で。「かしゆお」のねじ曲がった精神を見抜かれたからだろうか、多分そうではない。パーマのせいだ。きつくかかりすぎた「かしゆお」のパーマ頭は、多分そんな人はあまりいないというほど、変だったのだ。品の良い、多少神経質そうなおばさんの大家さんだったが「うちには合わないようで」と言われてしまった。子供のころから、不良でもなんでもないいい子だったので、そういう拒絶のされた方は経験なく、とても傷ついた。「僕はあなたが思ったほど変なやつではないんです」と言いたかったが、髪型がすごく変だったのだ。

仕方がないので、下高井戸に行くことにした。今思うと、ここは明大前に近く、完全にライバルのあの大学のエリアだった。何故、外堀大学の学生に不動産屋はここを勧めたのだろう。通う大学の話はしたはずなのに。そんなことより、甲州街道の上を走る、高速道路の高架下というのが嫌だった。田舎者だし、空がどこまでも広がっているところから出てきているのだから、息が詰まってだめだった。で、だんだんくたびれてきて、3件目の荻窪についた頃には、もう日が暮れかかっていて、どうでもよくなっていた。もうこの「荻窪」というところでいいやと思った。かぐや姫の「荻窪2丁目」という歌があったな。めんどくさいからここでいいや。でも、それは正解だった。外堀大学は中央線沿いなのだから、荻窪なら一本で行ける。その後、知り合った友達たちも、みんな高円寺や阿佐ヶ谷に住んでいた。ここで良かったのだ。ということで天沼というところにある「富有荘」というところに住むことになった。今思うとすごい名前だ。「富裕層」なんて言葉がまだなかった頃、4畳半風呂なし、2万2千円。クーラーなどもちろんない。時間が少し飛ぶが、夏は死ぬほど暑かった。窓は全開、4畳半の入り口のドアも開けて、両足を共用廊下に少し出して寝ていた。セキュリテイも何もあったものではない。関係ないけれど、ある夏の日の午後、窓を開けて下の路地を何気なく見ていたら、将棋の大山名人が和服をきて、お中元なのかお菓子の箱のようなものを抱えて、歩いていて驚いた。「大山永世名人だ」と思った。東京は有名人がいる。
(写真は、現在の荻窪 青梅街道)
                              毎週土曜日更新



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