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亀の歩み稽古日記

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舞踏家 由良部正美さんのもとで、踊りの稽古をしています。その中で思ったこと感じたことを、溢れるままに日々綴っています。良かったら、ふらりと覗いてみて下さい。
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2020年12月の記事一覧

亀の歩み稽古日記 「座学」~空間に思いを寄せて~

前回の稽古日記を読んだ師は、 「マクロ (大きな) なことばかりじゃなくて、ミクロなところを深めていけるといいね。実際に踊ってる感覚とか、抜けた時どういう感じなのか、もっともっと実感をもって。」と云った。 ……宇宙とか次元とか、言い過ぎたかな。「ミクロ」こらからの抱負にします! ◆ 「見ること見られること」 “見る空間” と “見られる空間” ふたつの空間、ふたつでひとつ。 思うに、踊れない時というのは、“見られる空間” しか感じていないのでは、、。他者の世

亀の歩み稽古日記 「宇宙大のカラダが愛おしい」

大地からのエネルギーがカラダを通って天へと抜ける。カラダを通り抜け、意識は遠ぉ--―くまで抜ける・・意識は上へ、視線は前に・・ 。その時の顔がまた、なんとも神秘的で魅惑的。 「実際、どんな感じがする?」 意識は遠くまで抜けたら遠くにあるの?抜けちゃったらもう此処にはない?……感じとしては、遠くにもあるけど此処にもある、、、まるであちらにもこちらにもワタシがいる。意識が広がっているという感じ。意識は遠くから戻ってきてひとつになったり、遠くまで抜けて広がったり、自由自在な意識。

亀の歩み稽古日記 「無意識の意識化?」

師 : 「当たり前のことを伝えるのって難しいな…」 無意識って、日常的にけっこう多いと思う。無意識の動作、言葉、振る舞い、、癖のようなこと。踊りでは、無意識に勝手に動くのではなく、意識を通していく。上手く言えないけど、勝手に動く動きは何ひとつないような。しかも目的などはない。目的がない場で、いかに必然性を見つめていくか…。或いは目的から解放されたカラダを、いかに豊かに味わうか。。 他者とのデュエット。関わり方。 ずぅっと溶けるようにお互い関わってばかりでも、ずうっと

亀の歩み稽古日記 「苦手意識にハマる」

あからさまに駄目な日というのがある。苦手意識のある稽古には拒絶が入り、そんな感情との戦いを余儀なくされ、敗北。。。自分への拒絶にもなってとても辛い。 、、しかしここのところ、同じ所でつまずいているな。足の八の字からの流れだ。胴体からの流れが繋がり、その連なりの中で動き、フォルムを明確に現していく稽古。 稽古が終わってから気づいたこと。それは気持ちが狭くなっていたということ。苦手意識という狭さ。狭すぎて少し動いたら自分の壁にぶつかってしまう。自分という檻の壁に。なるほど…。

亀の歩み稽古日記 「強さと柔らさと苦手意識」

「激しくキレのある動き」 水の動きにも色々ある。内なる声を響かせてどこまでも柔らかく限りなく微細に、まわりの空気と溶け合って流れる水もあれば、内なる声というよりも、流れそのものを感じて、フォルムを明確に現していくような水もあり、こちらは時に激しく空間を切るような勢いをもつ。後者のほうはちょっと苦手である。前者のほうが、好きな感じ。 でも今日少しわかったことは、水の強さを現す時も、柔らかな流れがないとできないということ。基本は柔らかく抜けていること。そして流れの中に強

亀の歩み稽古日記 「中心を通る~水のカラダで」

「水でやってみよう」と声がかかる。そう「水」。最も基本型になるもの。でもひと口に水といっても、多種多様、かつ深い。。 例えば水のカラダは、滞らずどこへでも流れていく。感情や情動と共に。とても柔らかく。その「柔らかさ」を追求していくと、感情、情動と共にあることが大切になってくる。身体の機能としての柔らかさも勿論大切だけど、それだけでは限界があるから。 ◆ 「声」を響かせる 感情、情動と共にあるとは? よく言われるのは、「声」を内側に響かせること。発声する声ではなくて、発声

亀の歩み稽古日記 「加速度と重力」

◆意識は光? 重さと軽さを踊る。重力の不思議。 「あるもの」を踊る。そのひとつに重さと軽さがある。重さの感情、軽さの感情と共に。重さ軽さがカラダを通る時、どんな感情が芽生えるのか、見つめて。 いつも重さと軽さが、等身大のカラダでしか感じられていない。そうではなくて、等身大のカラダを超えて、広がったカラダとして、重さ軽さを踊る。大切なのは行き切る、ということ。等身大のカラダを超えて抜けていけ。何が超えていく? 意識……意識は等身大のカラダに捕らわれず自由に駆け巡る。そ

亀の歩み稽古日記 「踊れないとは」

「踊れないとは」 …自分でも驚くほど、何度も何度も踊れない境地に陥り、踊ることを見失って茫然と立ちつくす。泣きたくなるけど、泣いている場合ではない。 いったい何が起こっているのか、見てみなきゃいけない。 なぜ動きが鉛のように固くなる? つまりなぜ踊れなくなるのだ?その時カラダはどういう状態になっている? 大事なことは何だ。よくよく噛みしめよ。 ◆「抜けた状態」であること 最初の一歩からそうであり おわりまでそうである

亀の歩み稽古日記 ~前置き〆④~

漠然と知りたかったことを、カラダと対話しながらひとつひとつ見つめていく、体験していきながら深めていく稽古。踊りを通して、私、貴方、空間、時間、感情、人間、宇宙、を探求していくような。果てしない旅路だ…。 ここでやっている稽古はそんな感じ。 それは自分の今までの当たり前の価値観の崩壊を意味することもあるし、その時は苦しみを伴うこともあるし、さらりと通れる道筋ではないことも多い。でもその崩壊の経験を重ねるたびに、何か足かせがひとつずつ取れていくような解放感を知ることになる。そし

亀の歩み稽古日記 ~前置き③~

踊りはまさに、その今、にあるという。「今ここ」にあるのが踊りだと。時間の中の今じゃない。時間を超えた今。私達の本質は、時間を超えている。 今という、とてつもない広がりを持つ次元、それを時空という次元の中に現すことができるのが、命なんじゃないかな。そして踊りは、感情、情動、動き、イメージ、空間…全てがひとつとなって展開される。私達の本質的な次元の豊潤さを、表現してしまうのだ。 「次元の開示」 今、に身を置けば、おのずと創造の泉に触れることになる。そこは無尽蔵な泉。恐ろしい

亀の歩み稽古日記 ~前置き①~

舞踏家・由良部正美さんの稽古に通いはじめて はや7年目。急に思い立って、稽古日記を書くこ とにした。 ◆ ……その前に。 踊りと出会った経緯を少しだけ書いてみたい。 私の唯一の興味、知りたいこと。 それは「この世界」のことだ。。。 私はどういう世界に生きていて、私という存在はどういうものなのか。そんな根本的な謎が大好きだ。 でも、ひと言にこの世界のことが知りたいと言