見出し画像

あさにっき44


おはようございます☀

昨日は久しぶりにボルダリングへ行き、
朝から左の腕のちぎれそうな筋肉痛の痛みに悶えています…


画像1

くもりです。
今日の新しい私には、いったい何が待っているのか。



私は普段、このノートを朝起きた布団の上で打つのだけれど、いつも考えたり思い出したりしていると、いつのまにか眠りそうになる。

人間は不思議だ。
それは自分の意識ではどうしようもできないことである。
生きるということは、意識と無意識の戦いなのかもしれない。
仲良くあってほしい。





ちょっともったいないけど
と、思うことはないだろうか。
昔はちょっともったいないなと思ったら大事に取って置いた。捨てても捨てなくても、まだ置いていてもいいんじゃないか、と。

でも、今は、もったいないと思ったら、すぐに数日後が頭に浮かぶ。
数日後にも、もったいないなと思いそうなら捨てる。棄てる。

そうすると、だいぶ心が軽くなる。
自分のものに、近くに持っておこうとするものは、慎重に選ばなければならない。






しあわせのパンの映画を見た。
りえさんの選んだ、慎重で丁寧な暮らしが描かれている。

私はりえさんの水縞くんの出会いのエピソードが大好きで、物語の中でも重要だと思うのだけれど、映画ではそこがバッサリカットで、そっちにいったか…とショックだった…
しかし全体的には、穏やかな印象。





私は先週、かなり心が落ち込んでいた。自分で自覚できるほどに、心も体も動かなかった。
意識では理解し受け止めていることが、無意識では意地でコントロールしようとする。そのギャップは埋まることなく、結果、悲しみ苦しみ孤立になって返ってきた。


悲しかったのだ。
受け止め方が「裏切られた」「蔑ろにされた」などと、極端になっていたことは自覚する。
相手のタイミングもあるのもわかっている。
ただ、悲しかった。

悲しかったのだ。

悲しいという私の思いは、じわじわ静かに主張をしてきていた。



本来なら、家族に求めるべき欲求。
家族で満たされてていくはずの欲求。
それがいつまでも埋まらない故に、埋める方法を知らない故に、親しく近しくなった他人に求めてしまう。無意識に。
どうしようもできない…
理解しているからこそ、その度に傷ついていく私の心である。



でも、昨日、この思いのうちを話していると「悲しかったんだね」と優しさをくれる人が私にはいた。自分で作ってきた、安全地帯だ。
仕事ということもあるけど、あー、このままの私で居ていいんだなぁと、深く安堵したのを覚えている。
流せなかった涙も流れてしまった。


こうしてああして欲しかった、居場所を作って欲しかった、私をちゃんと見て欲しかった。
思うことはたくさんあるけれど、それは過去。
過去の話である。


いくら求めても返ってこない。帰れない過去。
残念ながら、ドラえもんはいないから。



だとするなら、少しでもこれからの自分で作っていく未来に活かしていくように捉えて努力していかなければならない。そう思える行動を選択していかなければならない。そう思った。


そこには負荷がかかる。
本音は「取り戻したい」というのがあるからだ。
今すぐには消えないかもしれないけれど、取り戻せなくても、新しく手に入れていくことはできるんじゃないか…そう思う。

安全地帯があったおかげで、落ちに落ちた私の心は少し救われたのであった。
ありがたい。ありがとう。



今日もそんな選択をする!


良い休日を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?