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あさにっき26


おはようございます☀


わたしは人に恵まれています。

こんなことを言いつつも、わたしはそこまで善良な人間ではないので、もちろん恨むほどの、復讐したい人もいます。
それでも今、恵まれていると思うんです。


友達はほんとに片手くらいしかいないけど、
仲間は少し多いけど、
親友か恋人かの間を彷徨う人もいるけど、
お互いにきっと支え合っていると思えます。


たくさん友達がいて、安心できる場所を気づける人が羨ましかった。今でもほんとに究極の時はたまに思いますが、

でも、わたしの大切な仲間や友達に、正直に気持ちを伝えることができて、悩みを相談できて、飽きもせず聞いてくれて、一緒に考えてくれて、時間を共有できて、新しいことをしようとできて。

たくさんの友達は要らないと思うようになりました。
大切な仲間や友達が居てくれるおかげで、ほんの小さな世界ですけど、わたしは今、生きることができています。


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それぞれにそれぞれのわたしの顔もあって、その自分を見るのも、面白くて好きなんです。笑

私は変人らしいです。
基準がわからないけど、変人の部類らしいです。

意外と自分は「普通の人間だ」と思い込んでました。
でもふりかえると、はじめは普通の人間っぽいけど、次第にボロが出るんですよね。自覚あります。



でもなんで、普通の人間だと、わたしはそう思い込みたかったのか疑問に思いました。
そのせいで苦しんでないか?と思ったんです。
そしたら、帰り道に、ハッとしました。


「母の口癖が『普通でいいから』だった…」


母だけがきっかけではないと思うんですけど、一番はやっぱりこれでした。仕方がないことです。
親の言葉は、どんな些細な言葉でも、ほんとうに考えて発言しないと、恐ろしいことになります。



わたしの母は、わたしに母ができなかった「普通」という理想を叶えて欲しかったんだと思います。


ごめんなさい、無理です。


もっと早くに気づきたかったよ、お母さん。
なんで押しつけてきたんだよ、お母さん。
わたしはわたしでいけなかったの?お母さん…




家の環境的なこともあり、わたしがしっかり普通にならなくては!と、ついこの間まで足掻いてました。今もかな?
「なんで普通にできないんだ」
「なんで面倒な性格なんだ」
そうやって自分で自分を虐めていました。

でももう、気づいたので、少しずつやめることができます。

わたしの家も、親自身が自覚しづらい善意の押しつけタイプの毒親の部類だと思うので、親をどうこうはできないけど、離れたい。

また改めて親のことは書きます。



「人生は迷路」

面白い表現ですね。



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