エッセイ【眼科】


みながみなして、朝早くに予約表を手にする。我先にと、年老いたものの中に数人若者や子供もいたりする。みな目に何かを抱えてやってくる。


私の座っている椅子の後ろには、いつからあるのかわからないが、緑の公衆電話がある。本当にあるのかは知りたくなかったから、直視はしなかった。ではなぜ、直視せずともそれが公衆電話だとわかったか。それは、一人のご婦人がお金を入れて電話をかけていたからである。いや、正確にはその音が聞こえて、その音は人が公衆電話を使う音だという確信があったからだ。そんなことを感じながら、本を読んで時を過ごした。



受付の格子が開かれた途端に、次々に名前が呼ばれる。慌ただしく看護師が歩き出し、さっきまでの妙な緊張と静けさはなくなり、焦りと熱が速度を増した。
診察までそれぞれの人が過ごす時間は様々。
音楽を聞いたり本を読んだり、漢字の問題集を解いたりおしゃべりしたり、いろいろだ。



検査に呼ばれた。視力を測り、眼圧を測る。
私は今日は瞳を開かなければならないので、その点眼薬が両目に入れられる。「両」というバッチをつけられた。私だけの「両」だ。ぼやけてきた視界ですれ違う人を見ると、「右」だとか「左」だとかがいる。「両」にはなんだか、特別な気持ちがして少し誇らしかったし、ここにいるみんながぼやけた視界を煩わしくおもったり、楽しんだりしていると思うと、思わず笑みが浮かんだ。


「瞳を開く」この検査を何度もしてきた。何度聞いても、私はこの言葉の響きが好きだ。当然、目の具合が悪いわけで、喜ぶような状況ではない。問題がなければ、このような言葉を耳にすることはごく稀なのだ。だからこそ増して、美しさを感じるのかもしれない。そのような言葉に感じる美しさに安らいでしまっている自分はなんなんだと、呆れるところもあるが、こういった美しさを感じられる自分の心に深く安心したりもする。



点眼薬が効いて、視界がぼやけてきた。両眼がぼやけるというのは、大抵の人はひどく不安になることだろう。

私は幼い頃から視力が弱く、メガネやコンタクトを使用していた。私は人間にあまりにも左右されるタイプなので、視界がぼやけると途端に無敵になるのだ。それも嬉しかった。


今回、目を守るための手術が必要かどうかと聞かれたら、もちろん、やるべきだろう。
しかし、視界がぼやける安心感を知ってしまっている私には、素直に「治療をしてください」とは言えないのだ。なんだかとても惜しいような、見えなくなってもいいような、さみしさを感じるのである。



となりに人が来た。ご夫婦で今日の手術を迎えるらしい。付き添いの妻は、早くに帰りたいらしかった。
前を人が通った。車椅子で若い男性につかれて、何かをリズム良く口ずさんでいる。少しの幸せを感じた。
私の後ろにも人が座っているような気がする。今ここで、後ろからこの内容を見られてしまうと危ない。危ないというのは、「こんなことを書いて、何を考えてるんだ!」と怒られてしまいそうだというのと、心の中で「なにやってんだこいつ」と軽蔑させられそうで怖いということだ。



呼ばれてしまった。

診察するところには人がたくさんいた。看護師は後ろに立って、先生の診察方法から進め方を盗んで、自分のできることを整理しているようだった。みんな見守ってくれているということにした。ありがとう。



一通りの検査を終えた。結果、なんともなかった。
なんともないことはないが、今すぐに手術が必要だということはないようだ。
大きな病院で大きな診察機で大勢な人で、なんだかなんともないというのは、安心よりも少しの恥心といった感じだ。安心しているからこその恥。そういうものもあるそうだ。



私は会計をして病院を出た時、心の穏やかさを得た。家族にお弁当を買って帰りたいと思うのだ。
決して、感じた恥を着せたいなどという気持ちではない。ただ、穏やかさを分け与えたかった。分かち合いたかった、それだけなのだ。


私の中に隠れてしまったその心を、私はずっと探していたのかもしれない。

 

✳︎昨日の土曜日に更新できなかったので、臨時更新です。


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