エッセイ【女と老人と日曜日】
平凡な日曜日である。じめっとした空気で風はなく、この前までのヒーターなしではいられない日々を忘れそうになる。
しかし、この湿度であっても喉がとても乾燥するのは、紛れもなく冬の訪れだ。
私は原付バイクで道路を走っていた。朝からバタバタとしたいつもの日曜日。毎週のヨガ教室に通い、お昼をサッと食べ、出演する演劇の稽古をこなして帰宅していた。
とあるいつもの、中くらいの大きさで作られた交差点で奇妙な光景を目にした。
その交差点には大きなコンビニが面していて、あたりはファストフード店やレンタルCD店が並ぶ。そのコンビニの前の信号に、二人の自転車に乗る若い女と老人を見た。
若い女は高校生から大学生ほどだったと思う。気だるそうに信号を待っていた。
老人の自転車には前にゴミ、あるいは買った商品(一瞬のことで私は確認ができなかった)が雑多に積まれていた。
ここまで綴ったところでも、私の先入観にすでに違和感を感じてしまう。
多くの人は、日常から外れたことに面した時に、驚きのあまりについ野次馬のようになってしまうことがある。私もその一人だ。
次の信号が青であることを確認し、私は直進を決めアクセルを回したその時に、
横目に見えたのはその老人が、ポケットから財布を出し、若い女に一枚のお札を手渡しはじめる瞬間だった。
私は驚いたあまり、止まって観察したくなった。社会的には良しとされない、例の野次馬精神である。これは私が人間観察が好きだという癖のせいも大いにあるが、戻ってはいけないと、私の心が強く叫んだので、引き返すのをやめてアクセルを回し続けた。
しかし、その後も信号に止まるたびに、「あれはなんだったんだ、金銭の受け渡しをする理由とは…身内だった??
いや、若い女は髪をボサボサになったまま自転車に前のめりになっていたぞ、もしかして金に困っている女子学生を目当てにした怪しい勧誘だったのか??
それとも、パパ活とかいうやつか??」などと、最近観たドラマの影響も受け、変な想像がグングン進んだ。
最終的には、この平凡な日曜日の午後にあのような大きな場所で起こることとして、自転車同士が雨のスリップで衝突し、こけてしまったとかなんとかで、もう自転車は立て直した後だったのだろう、という考えで落ち着いた。
彼女は足を露出していたし、老人は怪我をさせてしまったと金銭を渡していたと考えるのが妥当であろう。確認はできていないが…
本当のところは本人たちにしかわからないし、私があの光景を目撃することにどんな意味があるのかはまだわからないが、人生の中の一つの「ある日曜日」が一瞬で特別になってしまい、家に帰って綴らずにはいられなかった…
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あそこは大通りであったし、もし何か有れば周りに助けを求められる…
それにもし、怪しなお小遣い稼ぎだったとしても、彼女には理由があって納得しているのかもしれない…
どちらにせよ、この日曜日の私は、関わるべきではない…
関わろうとするのこの気持ちは、とても自分よがりで、単なる偽善である…
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と、自分の判断をなんとか正当化しようと、湧いている湯を凝視していた。
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