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展覧会「FATHOM(ファゾム)」を観てきた話

 塩田千春さんのインスタレーション見たさに、およそ10年ぶりに母校へ行ってきた。とはいえ塩田さんの作品は1点のみ。また、金沢寿美、ソー・ソウエンとのグループ展だ。作品数も少なく、すぐに見終わる。

 けれど、余韻がすごい。

 塩田さんの〈夢について〉。
 こちらは空間全体を使って赤いロープと共に約1000枚の「夢」にまつわる手紙が張り巡らされているのだが、単に外からそれを見るだけでなく、その空間を自由に行き来することができる。
 幻想的で、少し不気味で、文字通り「夢のなか」を歩いてるかと思えば現実世界が窓から見えたりもして。赤いロープはまるで人間の血液のよう。
 空間全体を身体に喩えているのだとしたら、なぜ赤色なのか、納得する。

 それから、金沢さんの、〈新聞紙のドローイング〉。

畳何畳分あるのかわからないくらいデカい

 なんと、新聞紙と鉛筆のみで仕上げた作品。特に上の写真のは大きすぎて写真に収めきれない。
 よくよく見てみると、社会情勢に対する問題提起など、強烈なメッセージが読み取れるのがおもしろいところ。
 「個と集団」をテーマにされているだけあって、1枚の新聞紙=個、何枚もの連なる新聞紙=集団。そして社会への眼差しはそれぞれ異なる。そんなふうに感じた。

 最後に、ソーさんの作品について。作品数は5点。なかでも印象的だったのが、〈お臍と呼吸〉。
 モニターにはへそ。それから、さざなみのような、雨音のような、呼吸音。それだけの空間は、少し異様で、ある意味こわい。
 だが、しばらくそこにいると、なんだか安堵感が生まれた。
 なぜへそなのか。答えは、臍の緒を切断することで生命は誕生する、というところにある。
 へそは、社会との断絶であり、また、世界への扉でもあるのだ。安堵感の正体は、世界からの歓迎であり、「個」が確立された証明でもあるのかもしれない。

 ところで、「ファゾム」とは、身体尺のひとつのことだという。
 なるほど。身体を通して表現された作品が多いのは、このタイトル故になのか。

 呼吸し(産まれて)、眠り(夢を見て)、発信する(現実に戻る)。そんな、数々の現在地。

 「現在地」はきっと無数だ。
 わたしはいま、どこにいる?あなたはいま、何をしている?

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