優先座席と障害者雇用

職場に、「障害者雇用」として入った子がいる。

といっても、軽度なのか、身障者ではないからか、パッと見た感じ「ふつう」の女の子だ。  

はっきりと知らされたわけではないけど、「コミュニケーションを取るのが極端に苦手」なのが、彼女のもつ障害の特徴らしい。 

とはいえ、働くにあたり、必要最低限のコミュニケーションは取れないと困る。
作業指示や指示された作業の理解力を知るためだったり、お客さまへの対応だったり。

極端な話、面接を受けてこの職業に入ったからには「いらっしゃいませ」くらいのお声がけはしてほしいし、声を出せないという障害じゃないのだから、たとえ多少キツくても挨拶としてがんばろうよ、と思う。

身勝手かもしれない。
でも、そう思ってしまうのだ。

電車やバスには「優先座席」と呼ばれるものが存在する。

わたしはこれにも違和感を覚えている。

「優先」する側とされる側とに分ける必要はあるのか? って。

前にいる人は、実は寝不足で疲れていたりするかもしれない。
隣にいる人は、実は他人の視線が気になって仕方ないのかもしれない。
向かいの人は、実は人工関節なのかもしれない。

上に挙げたみんなが、たとえ「障害者」ではなく「健常者」だとしても、たとえ「お年寄り」ではなく「若者」だとしても、たとえ「妊婦」ではなく「男性」だとしても。

譲り合ったり助け合ったりするのが当たり前になれば、優先座席なんて要らなくなるだろう。

同じように、「健常者」によって生まれた「障害者」(という概念)。

しかしわたしは、ひとくくりにせず、一人の人間として見たいし、1:1の関係でいたい。         

だからこそ、彼女のことも、一人の従業員として接したいのだ。

 優先座席も障害者雇用も、ひとつの受け皿ではあるだろう。
けれど、そこに頼り過ぎたり甘え過ぎたりすると、思考の停止につながってしまう。 

社会を良くするには、働きやすい環境をつくるには、まずは考え続け、ときどき捉え返す必要があるといえる。









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