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エッセイの面白さを知る『やわらかく、壊れる』佐々木幹郎(著)

小学校の時、授業中に窓のアルミサッシを眺めて思った。
原始人がいた時代は草木しかなかったのに、こんな硬い物を作り出したなんて、人間ておぞましい。

こんな硬い物があるから、地震が起きた時危ないのではないか?
みんな、ワラの家に住んだらいいのに。

そう思ったことは長い間忘れていたのだが、
かんじいさんのnoteで、記憶が蘇った。

『やらかく、壊れる 都市の滅び方』佐々木幹郎(著)についてのnoteだ。

1995年、神戸。「重要なのは、建物はいつかは必ず壊れる、ということ。それならば、いかに被害を少なくして倒れるか、ということが、未来の建物の設計思想となるはずだ。……建物も都市も、いかに、やわらかく壊れることができるか。阪神大震災が教えてくれた教訓は、このことに尽きる」。

そうだよね、そうだよね! 私もそう思ったよ!
なんだか、このエッセイ集とは気があいそうな気がして
県立図書館から取り寄せた。

読み始めて、言葉にならない言葉が頭に鳴り響く。

わ~~お~~

まず文章に驚いた。こんな風に書けたら楽しいだろうなぁ
こんなに自由に言葉を操れたら、どんなに心地良いだろう。

どのエッセイも紹介したいのだけど、あえて選ぶなら
彼岸花についてのエッセイを紹介したい。

『彼岸と此岸 お濠端』佐々木幹郎

一本一本を見ると、まるで赤いルージュを空中に何本も引いたように浮かびあがる彼岸花。この花はどうしてあんなに悲しい風情をしているのだろう。群がって生えているところを見ると、赤い炎だ。

この一文はさらりと出てくるのだろうか。
それとも、練に練って書いたのだろうか。

素晴らしい文章に出会えたことは、もちろん嬉しいことだが、それと同時に彼岸花の各地での命名が不吉なイメージをともなっていることを知れたことが嬉しかった。
「シビトバナ」と言われる地域もあるという。

私の感覚は真っ当だったのだと、自分の感覚を誇らしく思えた。

何故なら、私は彼岸花をかねてから不気味だと思っていたからだ。
夜に公園を散歩をしていると、夏が終わる頃に突然、彼岸花がこちらを見つめてくる。昨日まで無かったような気がするのだが、暗闇の中で不吉な赤の群れが突然現れるのである。

ぞくっとする。

葉はつけず、細い茎の上に真っ赤な頭だけをつけて、いつの間にか立っている。お盆が終わり、あの世へ帰っていく身寄りのない人たちのように感じることもある。

こんなことは、誰かに話したことはなかったが、このエッセイで初めて彼岸花を不気味という感覚を日本人が持っていることが分かり、たちまち嬉しくなった。心強い。

一方このエッセイで、柳田邦夫の説では彼岸花を「キツネノタイマツ」と呼ぶ地方もあることも知った。芸術的な感覚から生まれたという。そんなふうに感じる日本人がいることにも感動する。

彼岸花1つで色々なことを感じる。

これこそがエッセイの魅力だ。

普段、彼岸花についてこのような話を誰かとしたいとも思わない。ただ頭の中で不気味だなぁと思い、また今年も咲いていると思うくらいだ。
しかし、エッセイを読むことによって、ぼんやりと1人考えていることをもう一度改めて考える機会を得られる。

自分との対話が楽しいのだ。
これがエッセイを読むことの面白さだと改めて気づいた。

他にも、過去に自分がぼんやりと感じていたことを改めて考えさせてくれるエッセイがいくつもあった。
ただ、この本はもう販売されておらず、中古品を買うしかないようです。

だからかんじいさんがおっしゃるように図書館で借りるのがおすすめです。

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