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ハルキストを前に

ハルキストの友人が「これ押しつけー」と言って新刊を貸してくれた。

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『猫を棄てる 父親について語るとき』というタイトル。
村上春樹でなかったら、
仮に私が「飼ってた猫を棄てて、父につてい話す」なんて言ったら、だいぶ頭がおかしいと思われるだろう。村上春樹だから深い意味があるんだろうって思わせる力がある。これまでの実績があってこそ成立するタイトルだ。

『一人称単数』ってタイトルもやられたーって感じのタイトル。日本語だけど、英語のイメージをもたせるのが村上春樹らしい。村上春樹が海外に住んでいたことがあったり、翻訳をしていることがそのタイトルに紐づいている。

ってことをツラツラと思うのだけど、ハルキストの前では言えない。
ハルキストの村上春樹作品への思いの深さはただごとではないことを分かっているから。ハルキストの前では、”ハルキ”のことは何にも知らないも同然。ましてや”ハルキ”なんて言ったこともない。

友人はこの本が出た時から
「ハルキの本貸すねー」
と宣言していた。

だから、ついに来たという感じ。彼女はこのエッセイと小説にどんな感想を持ったのだろうか。何か言うまで待った。

「『一人称単数』読んだら、もうハルキいなくなるんじゃないかって思った・・・」

まだ私の口は開かない。下手なことは言わないぞ。彼女の答えを待つ。

「そうなったら、やだー」

私が黙っているので彼女は冗談っぽく付け足した。

人はいつかこの世を去る。村上春樹にだってその時は訪れる。だから「そんなことないでしょー」とも言えないし、だからといってこの世を去るかもなんていえない。

「手紙を書いたら?」

彼女に勧めた。
ある作家が読者の感想は全て読むということを聞いたことがあったで、村上春樹が生きている間にその思いを伝えたらと良いと思ったのだけど、相手は村上春樹だった。

「あー、でも村上春樹はすごいいっぱい手紙が来るんだろうね」と自分で否定してしまった。

「そうだよね」

彼女は悲しむどころか、当然と言う感じでどこか嬉しそうにも見える。ハルキストは複雑だ。

『猫を棄てる』を読み始めた。
ハルキスト達は、父について語る時を待っていたんだろうか。語らなかったことを語り始める時、それはそろそろ人生の終わりを意識しているのではないかと思う。しかしそれは友人には言えない。

『一人称単数』
心して読まねば。返す時、面白かったと言うしか答えはないような気がする一方、なんだかんだいっても大丈夫だと思っている。
村上春樹だもの。
謎めいた雰囲気、何かあるんじゃないかと思わせる余白がある作家はどんな作品を書いても面白いことは始めから決まっている。

読者の思考が作品を面白くしている。

ハルキストって、単なる読者じゃなくって、一緒に物語を作っている人たちだと思うんだよねー 
多くのハルキストのおかげで、今、この2冊が私の手元にある。


読んでいただきありがとうございます!一緒に様々なことを考えていきましょう!