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恋の瞬発力みたいなもの/『ありがとうキス』素音五行歌集を読んで

こんにちは。水源純です。noteデビューです。先月、栢瑚メンバーの素音(もとね)さんが歌集を上梓されたので、感想文を寄せることにしました。恋歌の感想を書くと、どうしても自身の恋愛観をさらけ出しそうになるので、書きづらい。なのでセーブ気味に。

100パーセント恋歌の歌集、と思っていたけれど、著者曰く99%らしい。
とはいえ、ここまで恋歌一色の五行歌集はないとは言わないが、珍しい。

一つのことをし続けるということは、極めるということだ。
著者からすれば、それしか書きたいことがない、と言うかもしれない。雑食のように、色々書きなぐってきた私も、一時は子育ての歌しか書かない時期もあったから、わからなくもない。書きたいこと、書くべきことが、それしかないのだ。

素音うたとの出会いは、1997年まで遡る。
第一回「恋の五行歌募集」で入賞したこの歌だった。

あなたと歩いていた
あの人より
あの人より少しきれいかもって
鏡を見てみる
泣き顔の私

何度読んでも、時が経っても、色あせない歌だなと思う。
片思いか失恋か、裏切りかもしれない。はたまた承知の上での恋かもしれない。「あの人」の繰り返しは涙声のように聞こえて、最後の「泣き顔」に溶けるようにつながる。

『ありがとうキス』を読んで、久しぶりに『恋の五行歌 平成の恋歌400』(講談社文庫)もひらいてみた。次のうたも同書にも収められている。

あなたの
おかけにならない
電話番号は
現在も
使われています

鳴らない電話の切なさは、電話の自動アナウンスをもじってユーモア込めて。ユーモアがかえって切ないのだけれど。90年代はまだまだ電話が主流の時代だった。恋に電話はつきものだったころ。これは比較的きっぱりさっぱりした歌い口だ。

ちょっと性に寄っても、素音うたはさわやかに仕上げられる。

この
わがままも
前戯
ふたり
抱きあうための

つたえたい想いが
からだじゅう駆けめぐる私を
さらってよ
澄みきった青空が
キスでとけてゆく

精神的なつながりと肉体的なつながりを行ったり来たり。そうして、恋をしているひとは、満ちることなどない欲望のうつわを、満たそうとする。逆に、恋をしていなければこういう必死さは持てないのかも知れない。

きみに
打ち抜かれたこころだよ
だから
痛いくらい
甘い

きみになら
だまされてもいいと言う
男に
口づける
真実(ほんと)のこころで

私を抱きしめながら泣いていた
あなたの
痛みの
そばに
いたい

恋は時に痛みを伴う。その痛みさえも甘い。
素音さんの恋歌は、一首一首に、瞬発力のようなものを秘めている。
描かれているはずのない前後のストーリーまで、たった五行で一瞬のうちに見せてしまう。それは、過去の自身の経験かもしれないし、映画のワンシーンかもしれない。はたまた、潜在的に持っているストーリー(想像)かもしれない。
素音歌が提供するのは、その極みだけ。まるで一粒の果物のようだ。甘い果実もあれば、甘酸っぱいのも、ほろにがいのもある。その果実にまつわる物語がひろがる。殊、ほろにがいのが私の好みである。

歌集のさいごに置かれた歌は、あえて引用しないが、素音さんのつよさ。恋するひとの思いのつよさ。こんなふうに、思ったり思われたり、したかしらなどと反芻しながら筆を擱く。手に取ってぜひ読んでほしい。


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