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子育てしている人たちみんなへ届け!

呪いの言葉に傷つかないで、お母さんたち

Twitterというのは、特に口には出さない奥底の感情をぽろりとこぼすのにはよくフィットしたツールで、それにより恐ろしいようなつぶやきも多くの人の目に晒される場所です。

その中に子育てという部分に目を向けてたゆたっていると、どうしても傷ついてしまう言葉が日々飛び交っています。

こんな母親は子どもがかわいそう
産む前にちゃんと考えていないのが悪い
それくらい想定してから産まないと
こんな母親に育てられたら嫌だ

母親、母親、母親、母親……
父親についても同じくらい問いただしてくれたらいいのに。

耳を傾けてはいけませんよ、そんな卑怯な呪いの言葉に。なにも救いのないものは悪意であっても何も助けてはくれません。
受け止めなければその呪いは発した人に帰るはずですからね。その人、よーくTL見てごらんなさい、ちゃんと孤独だから。

根拠のない「この子はあなたが母親で幸せだね」にどれだけ救われるか

お母さんとして向き合っていることに自信を持ちにくい人ほど、こんなむき出しで意味のないただの悪意に傷ついています。
なぜかというと、世の中が、みんなが、社会が、日本が、時代が、夫が、実母が、義母が、そして自分自身が母親としての自分を認めてくれていないからです。

母親として認めるとは、たった一つ「よくやっているね」という態度を示すことです。
現代の世の中にはすごくその機会が少なくて、逆に言えばたったそれだけのこと、「よくやっているね」を見せることさえしてくれないということです。
政治の方針ひとつにしても、政治家の発言一つにしても、育児をする人を労う姿勢なんて見当たらないですね。

コロナ禍のせいでもあるでしょうが、「あら、かわいい子ね。お母さんと一緒にお散歩?いいわねえ」なんて見ず知らずの人から一言もらえるだけでさえちょっと救われるのですがね。それさえ難しい……。

だから「この子はあなたが母親で幸せだね」って、根拠のない口からでまかせでもいいから身近な人(それは夫!子の父親!もし読んでたら、あなたのことですよ!あなた!)が言ってくれればずいぶん救われるのですが。

せめて自分では言いましょうね、私よくやってるわ〜この子はなかなかに幸せ者だわ〜。私の子供の頃と比べたらかなり幸せなんじゃない?って。

自分が子どもの頃より幸せな子どもが育てられたら、それって大成功ですからね。出藍の誉れっていいますでしょ。青は藍より出でて藍より青しって。

(私でよければメールでもコメントでもDMでもなんでも連絡ください。「よくがんばっていますね〜!あなたのお家の子はとっても幸せな子ですね!ってお伝えしますよ)

もっと上を目指さなくていいのですよ

みんなが「もっと、もっと」と思っています。きっと、あなたも私も「もっと、もっと」と思っています。
何に期待していて何がもっと欲しいのかはわかりませんが。そして、もっとの先にはどんな正しさがあるのか分からないのですが。

そうした正体不明の「もっと」が、未来そのものである子どもには乗せられやすいでしょうし、そこを支える小さな母の腕にドッカーンと乗せられているのです。

母親がヘラヘラと笑って過ごしている以上に子どもが安らぐ場所なんてあるでしょうか。母親がヘラヘラとできない環境に未来なんてありませんよ。

こう書いてくと、「だから母親は、子どもに安らぎを与えるためにいつもニコニコとしていなければならない!」って考える人がどこかからあらわれるんでしょうか。

なんでも!母親だけに!考えさせない!あなたも!社会の一員としての!当事者意識を!持つ!!!!(どこかから来た人へ)

『ふたりは同時に親になる』を読んで後悔

最近、思いがけず「自分のせいとなんでも考えることは幼児性か」といった話題の渦中にいたため思い出したことがありました。

私が産んだ子はいま少し大きくなり、社会にずいぶんお任せする機会が増えましたが、赤ちゃんのうちは里帰りもせず福祉サービスも利用せずに、本当にひとりっきりで育児していました。ワンオペ育児です。

いま考えるとまとめて寝ることもなくずっと神経をすり減らしていて、あのときはまさに気が狂っていたと思います。記憶もあんまりありません。

そうして時間が経って、あのときあれもしてくれなかったこれもしてくれなかった、夫はひどいひどいと一人で思い返していたのですが。

この本を読んでいて、「私、ちゃんと夫と一緒に育児に取り組もうとしてなかった」って気がついたんです。もっとSOSを出せばよかった。
それで、すごく後悔しました。

私が「母はこうあるべき」「夫は仕事があるのだから頼ってはいけない」って自分の思い込みの中で勝手にひとり溺れていたんです。
それで、夫はあんなにかわいい赤ちゃんとの思い出を神経の張っていた私にある意味で奪われてしまった。

私がお母さんだから、私がしっかりしないと、私じゃないと、私が、私が……。
出産するだけで人は母になれるのではないのですね。あのとき私はすごく幼児性の強いお母さん未満の人でした。
そしてきっと、夫も妻任せで指示待ちな、幼児性の強いお父さん未満でした。

私が夫を巻き込んで大変な育児に向き合っていたら、父子でもっと多くの思い出や時間を作っていられたでしょう。それを、私の「母たるものこうあるべき」という自意識で奪ってしまったんです。

だって、人間がひとりで出産してひとりで育てるのは無理なのです。歴史上そんなシステムだった時代ないでしょう?当然に無理なのです。非合理的なんです。
人手がたくさん必要なのが、育児というものなんですからワンオペ育児は不可能なんです。

これから出産する人は「夫には仕事のあと家庭でゆっくりしてほしいから、私が育児に全力でがんばる!」なんて寂しいことを考えないで。同時に困難は乗り越える方が結束も強まるというものですから。
きっとほんの数年で体が慣れて、夫婦共に仕事と育児のバランスは取れるようになっていきます。後から調整しようとする方が難しいものですよ。

私にあの時間はもう戻ってこないけれど、今は良い本があってよかったですね。
これから子どもを育てていく人たちみんなに『ふたりは同時に親になる』を読んで欲しいです。
子どもを育てるということが、男女の隔てなく人生をどれだけ広げてくれるか!
子どもに人生を根こそぎ振り回されて、へとへとに大変な育児を大満喫してほしいと思います。

親子の人間関係を育てること

子育てだって人と人、つまりは人間関係ですから、お互いに相性だってあるだろうし、許せない日もあるし、なぜだかうまくいく日もなんでだか分からないけどうまくいかない日もあります。
ただ、毎日毎日お互いの関係を育てていくしかないんでしょう。

そう、子どもを育てる、というのは互いの人間関係を育てていくものなんです。
書いていて発見しました。

もっとうまく、もっとちゃんと、もっと正しい、もっと安心できる子に親は育てたいのですが、それはきっと本来の子育てではなくて。

子どもとお母さん、子どもとお父さん、つまりはあなたと私の関係をもっと信頼しあえる楽しい関係に一緒に育てていこうよ!っていう取り組み方がいいのではないでしょうか。

理解はできないことも人間同士だから当然ありますが、自分が信頼しないと信頼してもらえないし、自分がごまかした態度でいたら相手もごまかしてくるでしょう。
親って子どもの前でごまかしたいことが大量にありますが……。
いつも本音丸出しというのもできないけれど、できる範囲ではめいいっぱい誠実に向き合いたいですね。

間違ったら謝ること、辛い時には励ましあうこと、分からない時には質問すること、それでも分からなかったら時間をかけて知ろうとすること。
相手の好きなものは否定しないこと、楽しそうな時には一緒に楽しむこと、嫌なことは嫌々にでも取り組んだことを互いに讃えあうこと。
共感し合うこと、許しあうこと、共に楽しむこと。

誠実な人間関係って大変ですね!そしてこれは親子でも夫婦でも当てはまりそうだよなあ……。

出生数は年々最少記録が更新され、未来はどんどん狭まっている国に私たちは住んでいますよね。
少しでも、せめてその真っ只中にいる人たちが幸せに生きられますように。
さらに欲張ったことを言うと、生きている全ての人たちがこれから幸せになっていくと期待できる国でありますように。

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