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豊田市美術館 月例茶会 令和五年六月
2023年6月11日に豊田市美術館の茶室、童子苑にて月例茶会。
お足元の悪い中お運びいただき誠にありがとうございました。
お茶会の一期一会の余韻を少し共有させていただきます。
写真を中心に振り返りますので、お楽しみください。
待合
待合には原在寛の手になる、楓に若鮎。
青楓の下で泳ぐ若鮎が瑞々しく描かれています。
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原在寛
読み方:はら ざいかん
日本画家。在泉の次男。原派五代を継ぐ。京美工卒。明治末に父在泉が依頼を受けた仁和寺宸殿の障壁画製作には助手として協力、大正3年に完成させた。昭和11年には家祖在中の百年忌をむかえ「在中百年忌遺墨展」を開催する。旧公家・門跡寺院などとの交際が多く、それらに遺作が多い。昭和32年(1957)歿、73才。法名は臥人遊室相誉玄在寛居士。
本席
席中の掛物は、兼中斎筆「雲収山岳青」
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雲収まりて山岳青し
日出でて乾坤輝き、雲収まりて山岳青し
『古尊宿語録』
日が出て乾坤(天地)が輝き、雲が収まって青々とした山岳が見える様子。
雲は煩悩を表し、山岳は仏性を表していると言われます。
煩悩が無くなり悟りの境地に至る様子を表しているが、ここで思うのは、山岳の天気は変わりやすいこと。晴れやかになったかと思えば曇ってしまう。
悟りに至ったとしても雲(煩悩)はすぐに現れる。
日々自身を振り返る大切さも教えられているように感じます。
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花はミズヒキとノカンゾウ
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兼中斎は堀内家十二代、堀内家当代十三代 分明斎
即中斎は表千家十三代、表千家当代十五代 猶有斎
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釜 霰釜
風炉 唐銅鬼面
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中板の透かしが糸巻の形をしているので、糸巻棚と呼ばれます。
表千家十一代 碌々斎(ろくろくさい)のお好み。
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茶碗 唐津焼 銘 松風 中里重利作 即中斎箱書
替 真葛焼 銘 青楓 宮川香斎作 即中斎箱書
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雨が降る一日。庭は生き生きと輝いていました。
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所感と徒然なるままに
茶は総合芸術と言われます。
道具や季節のもので工夫しながら空間を演出し、お客様と実際にものを見て、触って、感じて、味わい、一期一会の直心の交わりが生まれる時を参加者全員で作っていきます。
特に茶人にとってそのような場面が生まれる茶事は特別なものとして捉えられているように感じます。
(「茶事」はフルコースの茶会、「茶会」は略式の茶会)
私自身も茶事はいつも忘れられないひと時としてどのお茶事も今も記憶に残っています。積み重ねた先にある茶人の喜びは代え難いものだと言えるでしょう。
とはいえ、相手あってのお茶です。多くの人に触れていただき残していくために何ができるのか。激減、高齢化している茶道人口を前に考えてみたくもなります。
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2021年の茶道人口は約92万人で、25年間で3分の1ほどになった。
読売新聞2022/10/02
自己の内面を探求し、日々精進し道を歩んでいく茶道。季節や自然を感じ、他者との直心の交わりを追求し、禅に繋がる世界観は、IDGsとも親和性の高い世界観だと繋げてしまうのは強引すぎるでしょうか。
西洋の考え方との違いを特に感じるのは、茶の湯に見られるような守破離の考え方。
特に守破離の守では、まず同じことを繰り返しながら、季節に応じて変化するものの、同様の動作を繰り返し鍛錬して行く。その鍛錬(Doing)を通じて、やがて自己のあり方(Being)が高まっていくと考える東洋的な考え方。
西洋であれば自己のあり方(Being)があって、その先の行動(Doing)が決まると考えがちのように感じます。東洋思考はその逆で、鍛錬すること(Doing)があり方(Being)を変えていくと考えているように感じますし、特に〇〇道と呼ばれるものは、実際そうなることを感じさせてくれるもののように感じます。
IDGsでは自己のあり方をどう高めていくのかも一つの主眼となっています。まさに、日本文化における〇〇道と付くものに、その答えとなるような要素が多く入っているように感じ、IDGsと茶道がつながることで、互いが互いを助ける新たな道が拡がるようにも感じた次第です。
さて、少々脱線してしまいましたが、まだお茶の世界に触れたことのない方には、一度チャレンジしていただきたいと改めて感じた一日でした。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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