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暇な大学生の「母がくれたブラジャーの話」

少し前に実家に帰省した際に、母が「あげる」といって私にブラジャーをいくつかくれた。
デザインが特段若いわけでもなく、母らしいシンプルかつ着けごこちの良さそうなものばかり。
しかし今の母には合わないのだ。

母は去年、乳ガンになった。幸い早期に発見することができたが、右の乳房を全て摘出した。



「元々胸があるほうじゃないから変わらないわよ」
「あなたたちをもう育てたから役目は果たしたの」
と病気がわかってから母はたびたび言っていた。

私はただ「そうね」としか言えなかった。

「そのうち温泉にも堂々といくわよ」と言われて、
ああそうか、母は温泉が大好きだがしばらくは抵抗があるだろう。気兼ねなく温泉に入れるようになるには時間が必要かなどとぼんやり考えて
「そのときは背のでかい私が前に立つし、右側には妹を立たせれば大丈夫だよ」と話すと「いいね」と笑ってくれた。
母の乳を吸って育ち、結果母よりも大きく育ったのはこのためだったのかもしれないとさえ思った。


実は、母が乳ガンになり、乳房を摘出することにはなるだろうとわかったとき「私の乳房をあげることはできないのだろうか」と思った。
私の好きな服の系統は特段胸のフォルムが必要なわけではないし、実際自分の胸に何のアイデンティティもない。そんな私の胸ではなく、海外のマダムのようなグラマラスでゴージャスな女性になることに憧れた母の胸が無くなることがひどく理不尽に思えた。
しかしそんなことができるわけもなく、私を育ててくれた胸の片方が無くなることが決まった。
私はもう母の柔らかな胸のなかに抱かれることが出来なくなるのかと思うと、正直こわかった。
私は母に抱き締められるのが幼い頃から好きで、成人した今は自分から言えはしないが、抱きしめられると安心するものだ。

わからない。
片方がなくなってしまうってどういう感じなの?
お母さんはこわくないの?
私はすごく不安だしこわいよ?

そう思ったが言えるはずもない。
一番不安なのは母に決まっているのだから。
次に何よりも母のことを愛する父が不安で、まだ中学生の妹もこわいだろう。

私が一番平然と母に向き合うべきだと思った。
それからネットや書籍で母が受ける手術はどんな手術なのか、そもそも乳ガンはどんな病気なのか、術後はどんな可能性があるのか、どんな治療を長期でするのかなど、ありったけの知識を入れた。
ようわからん医療用語を検索しながら、高校時代の底辺のような化学や生物の知識を頼りにできる限りの理解をしようとした。
これは不安というものは正しい知識や情報を持つことで解消される部分が大きいと個人的に思っていたからだ。
その上で「大丈夫だよ!」と言うのが私の役割だと思った。


それから私は
「初期で見つけられて本当によかった!」
「さすがお母さんの観察眼だなあ~」
「実際、今はガンは治る病気になってきているからね!」
「大丈夫大丈夫!!」
と四方八方でいう係だった。


幸い手術も無事に終え、経過も良好で仕事にも予想以上に早く復帰した。
「お父さんに休んでろって言われてるけど、じっとしていられない!」と自宅療養中の母からLINEがきては、ちょっと安心したものだ。
いつものパワフルな母だ。何も変わらない。
本当によかった。本当によかった。


それから数ヶ月たって、私は母からブラジャーをもらった。ノンワイヤーのものや、アンダーが少し緩いものだと不自然にずれてしまうらしい。
やっぱり何も変わらないわけじゃないよな。と少し思った。
どんな気持ちで母が私にブラジャーをあげたのかわからないが、術後から数ヶ月経っていたことに母の葛藤がみえたような気がした。

「サイズ的にあなたなら入るでしょ」
といわれ
「誰が貧乳だよ」
と答えて笑った。

母のブラジャーは私の一番のお気に入りだ。


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