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短編集「砂糖の楼閣」

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水泡/気の抜けるあまりに短い話/ゆめゆめわすれることなかれ

水泡 僕が彼女に出会ったのは、夏祭りの夜のことだった。僕は屋台の灯りの熱に焼かれながら、ぼんやりと空を眺めていた。あまりの蒸し暑さに、全身真っ赤になっているのではと思ったほどだ。突然、息が詰まるのを感じたと同時に、浮遊感に襲われる。遠くでわあわあと僕の仲間が騒いでいるのが聞こえた。それらは一瞬で収まったが、急激に変わっていく視界に何が起きているか理解する間もなく、広々とした部屋に連れてこられた。こ

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夜並べて

 隣の男に、恋をしている。

 私はしがないフリーターで、いくつかのアルバイトを掛け持ちしながら生活している。そのうちの一つが、コンビニエンスストアの深夜アルバイトだ。
 深夜ということでお客も少ない。必然的に、同僚との会話が増える。

「今日なんか客多くないっすか」
 私より低い声が、高い位置から降ってくる。
 そうですね、と当たり障りのない返事を返す。この人と話すと、会話が下手になる。いつだっ

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街灯

カーテンの隙間から街灯を眺めていた。
輪郭さえもわからなくなるくらいの暗闇の中、青白い光だけが目を奪う。小さい子のバースデーケーキみたいに光が等間隔に立ち並ぶ。
か細い声で「何見てるの?」と彼女が聞いてきた。

「外を」
見ている。
言葉尻は掠れて声にならなかった。
彼女もやっぱり聞き取れなかったようで、頬が触れそうなほどに寄り添ってきた。
後ろに伸びる影は、一つの塊になっているだろう。

「誰も

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花とボールペン/焦げ跡

花とボールペン道を挟んだ真向かいに小さな一軒家がある。
古民家と言えば聞こえはいいが、ただの古びた小さい家屋だ。庭がある点は魅力的ではあるけど。
その家に、少し前から人が住んでいる。それに気づいたのは2ヶ月ほど前のことだった。通勤時にその家の前を通ると、小さい郵便受けから新聞が盛大に道側にはみ出していた。
帰り際にもう一度郵便受けを見ると、新聞はなくなっていた。

先週の休日にその家の住民と出会っ

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日溜まり

 私の家の屋根は青かった。
 夜中の静かな海よりも深く、嵐の次の日の空よりも鮮やかで、山奥の誰も知らない小さな池よりも澄んでいた。私は何かしら青を見るたび、家の青のほうが綺麗だ、と思うのだ。
 あの青は、今はない。
 雨風の轟音で自分の声さえも聞こえないほどの夜、私は家にいなかった。今思えば、それで良かったのかも知れない。あの綺麗な青色がくすんだ灰色に混じって吹き飛ばされてゆくのを、見ずに済んだの

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