【#文学フリマ東京37】を終えて

 去る11月11日、東京流通センターで開催された文学フリマ東京37に出展参加しました。
 以前より過去記事やXなどで告知していましたが、架空の芸人たちによる地下お笑いライブをテーマにした漫才・コントの脚本集を作成し、販売しました。

 今回の作成のきっかけをお笑いが好きであることだと何度も説いてはいましたが、深くにある衝動を書くことはなかたので、備忘録とともに書き残して起きたいと思います。


「好き」への衝動

 元々はテレビ番組だけで見るようなお笑いファンでした。いわゆるエンタ世代で、エンタとレッドカーペットを見ておかないと学校での会話に困るという理由でお笑い番組を見ているうちに人並みにお笑いが好きになり、夜更かしできた日にはリンカーンを見る。そんな幼少期を過ごしていました。大人になってからもM-1の決勝戦は流石に毎年見るし、改編期にあるネタ番組の特番は見て、バラエティなどのトーク番組はそこそこにという程度の好きを細く長く続けてきました。
 それが今年に入って大きく変化しました。きっかけになったのは友人に紹介されたとあるコンビ。そのコンビはまだ多くのテレビ番組に出演しているわけでもないため、今までの追いかけかたでは全然欲を満たすことができなくて、初めてライブを見るという選択肢が私の中に生まれました。コロナ禍も相まって配信が活発になっていたことも手伝って、地方住まいである私にも気軽に日々のライブを見ることがたやすく、あっという間に好きを深めることができました。

 いわゆる推しという存在ができるとその人の才能の素晴らしさを体感するために自分も成ろうとしてしまうところがあります。
 例えば、役者に好きな人間が出来たときには自分も劇団や専門学校に入って芝居のいろはを知ろうとしました。どれだけのプレッシャーを乗り越えて舞台に立っているのかを知りたくて、オーディションを受けたり、実際に舞台に立ったりしたこともありました。
 今までと異なる視点や感情で芸人さんのことを好きになり、特にネタをメインで書いている人のことを深く好きになる傾向があったので実際にネタを書くことで一日中面白いことを考え続けるという経験をしてみたいと思いました。
 以前のnoteでも書きましたが、「プロは四六時中面白いことを考えている。そんじょそこらの素人には負けない」という趣旨のことを話していた芸人の方がいて、確かにその通りだと思う反面、四六時中考え続けるなんてことが可能なのだろうかという気持ちもありました。自分のユーモアがどんなものかもわからないし、面白いと思うことが面白いかもわからないという孤独の中で、まずは一本書き上げる。それがとてつもなく苦しくて、ものすごい速度で新ネタを披露している推しへの尊敬が強まっていきました。

 自分の才を知ることで相対的に自分が好きな人がどれだけの努力と才能を持っている人なのかを感じることが出来る。真似事をしている時間は本気ですが、端からみたら馬鹿にしているようにも見えるのではないかという不安がいつでもつきまとうのは、自分が成りたいものという向き合い方ではなく、推しをはかるための行為のひとつでしかないからなのかもしれません。

向き合うこと

 今回、ネタを6本書きました。二ヶ月で6本、没にしたネタを加えたら10本近くになりました。
 元々物語を作ることが好きで、小説や脚本を書くことを学び、ライターとしての仕事もしています。そのため「書く」ことに対するハードルが低いのがあまりにも大きな罠でした。
 好きだから、ネタを書いてみたい。
「漫才は会話劇の延長だし、コントは脚本。自分の経験の範疇だろう」という甘い考えで居たんですね。これがあまりにも愚かなことか。
 試しに数組の漫才師の動画を見て、台詞を全部書き起こしました。言葉の痛快さ、動きや言い方の面白さ、その人が言うからこその滑稽さ。様々な計算の上で成り立つそれらに、笑いで金銭を得ている人たちの技術に気がつきました。生半可な気持ちで取り組むのでは、好きの表現だと言いながらその対象をバカにする行為になるのではないだろうか。その思いから少しでも基礎の知識をたたき込みたくて、文献をあたったり、様々なコンビのネタ動画を見たりしました。まあ半分は見たいから見たもので、勉強であるという言い訳を使ってチケット代を納得させていただけですが。

 今から笑いを学ぶと言っても、文学フリマに出展することを先に決めてしまったものですから、学校などに通うのは間に合わない。身近なものでヒントをくれたのがYouTubeでした。これが令和の学習スタイル。付け焼き刃でもないよりはうんとましですから、藁にもすがる思いです。

 特に石田さんの言葉はとてもわかりやすく、最近出版された「最強の漫才 東大と吉本が本気で「お笑いの謎」に迫ってみた!!」内でも話されていた常識のハードルを下げるという言葉にハッとさせられ、ネタを作ることの大きなヒントになりました。多くを語ると出版物の金銭的価値を下げてしまうことになるのでここまでにします。

 初めて形にしたのは「引っ越し」というタイトルのネタでした。引っ越しをしようと思っている男の相談に乗りつつ、話しを聞いていると引っ越したい男の生活に何やら問題があるようで、という内容なのですが、ボケを「星のカービィ」に偏らせすぎてしまったのが原因で分かる人にだけ分かればいいという自分勝手な内容になってしまったことと、自分で作品のボケをねじ込んだのにそのボケにとらわれてどんどんわかりにくい展開にしていってしまうという負のループに落ちていってしまいました。常識のハードルというのは、まさにこれのことで事前の説明がなくてもみんなが知っているものがテーマの方が取りこぼすことが減るから伝わりやすいということ。それを受けて「早口言葉」をテーマにして書いたものが今回掲載した漫才のひとつになっています。みんなが知っているものを下地に置いて、それについて思うことをぼやくようなスタイルにしたところ友人からの反応もよく、言葉の意味に少し近づけたような気がした瞬間でした。

 自分の笑いのセンスや能力というものを磨く時間はないけれど、面白いと思うものをどうやったら相手に伝わるように表現できるかというアプローチであれば、少しばかりでも前向きな努力が重ねられるかもしれない。また、今回は「読んで貰う」ということが前提にある以上、動きや音でのユーモアは武器になり得ない。読んで面白いものにしなければいけないという縛りは、初心者にしては酷と思いながらも、できるだけ簡単でわかりやすいテーマに設定していくことで最低限はクリアできたような気がしています。

初めての大喜利

 漫才やコントのテーマは、案外普通のものが多いけれど、その展開は突飛で、その広がりの違いにコンビの色があるなあと思います。
 バカみたいな感想ですけれど、漫才を見ているときに思ったのは「こんな○○は嫌だ」の回答手札が多いことが面白いことに繋がっているのかなということでした。
 誰もがわかるテーマの中で、言われてみれば確かにそうかもと思わせる意外なことを言われる瞬間が面白くて、爽快で気持ちが良い。エンタメは常に快楽を求めるものであるという持論があるので、この気持ちの良いポイントをどれだけ突くことができるのかが勝負だなと思いました。

 そこで秋葉原にある「ボケルバ」というカフェに行き、人生で初めての大喜利に挑戦しました。幸運にも優劣などない車座という形式の回だったので、思う存分自分を試すことができました。何を言っても優しい反応をしてくれる空間だったのでこれで良いのだろうかという不安しかなかったのですがなんとなく空気が分かってきて、回答を出し少しウケ、また少しウケを繰り返すことで、自分の中にあるユーモアは全く戦えないものではないのかもしれないなと思えたのは収穫でした。
 特に回が終わったあとなんとなく雑談をする中で「そういう(お笑いの)学校に通われているんですか?」と聞かれたことがおこがましくも嬉しかったです。この言葉がなかったら面白いと信じて書き続けることができなかったかもしれないので、本当に救われました。
 今まで見るものだった大喜利を実際にやらざるを得ない場所でやってみたことで、普段使わない筋肉を刺激することができたような気がして、こういう考え方(組み立て方)をすることで、面白い発想に繋がるのだろうかという気づきがありました。

売るということ

 今回、素人が書いた漫才・コントの脚本を販売するということに対する葛藤がありました。出展するという目標がなければ二ヶ月で6本のネタを書くことなど到底叶わなかったと思います。尻叩きとしては十分、しかし金銭をいただく覚悟があるかと言われると不安でした。
 同列にするととても失礼ですが、エントリーフィーを支払って立つ地下の舞台と同じような感覚ではありました。しかし、実際に舞台に立って誰かの目の前で披露するわけではなく、私の目の触れないところでたまたま巡り会った誰かの目を通して評価する。緊張感や覚悟が舞台に立つ人に比べてとても低い。いつだって逃げられる場所にいるのは相当なズルだろう。特に「架空の芸人」を六組作って、全部違う脳から出たユーモアである顔をしていることで、私じゃない風を装った。私じゃないから恥ずかしいとかじゃない。そういうズルもある。やっていることがストライクウィッチーズと同じ。こちらが常識のハードルをいつまでも下げていると思うな。逃げるな、戦え。

 当日は販売している最中に「お笑いをやれている方なんですか?」という質問を何度もされて、否定するたびに申し訳なくなる気持ちもあったし、消沈してブースを去る方もいらしたのでファンとしての本ではなく、お笑いをやっている人間として販売する方がいいのだろうかと悩む時間もありました。

 近くのブースにて「単独ライブ」というタイトルでテキストコントを書いている方がいらして、この表現をされている先輩だったので、とても恐縮してしまったのですが、少し交流することができてよかったです。後ほど丁寧に感想を伝えたい方のひとりです。
 自分の作品に対して金銭を払っていいと思ってくださった方がいたという事実に何度も頭を打ち付けながら、数日経ってようやく冷静さを取り戻してきた次第です。

 次回参加するに向けての改善点だとか、気持ちの持ちようだとか前向きなものが色々見えてくる中で、もう少し覚悟のようなものを持てたらなあと思います。もしも手に取ってくださった方がいれば、感想をいただけたら嬉しいし、今回出会えなかった方はまたの機会にお話しできたら幸せだなあと思います。

 ︎︎また、note内にて今回販売した「井戸端」をデータ販売する運びとなりました。文学フリマ内で出会えなかった皆様にも届けば嬉しいです。売価は文学フリマでの販売価格と全く同じ500円です。ご興味がございましたら是非とも、宜しくお願いいたします。



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