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「多様性の時代だから」

書きたいことがあったが生きてく中でいろんな背景がある人を知り、配慮しないと思うと投稿することができなくなっていた。
なるべくいろんな状況の人のことを考えて発言すると、当たり障りない言葉で自分らしさが減っていく。

多様性とか〇〇ハラスメント、感染対策など私が幼かった時代と比べて圧倒的に生きにくくなった。
広い意味で正しさ、常識はその時代が作っているものだ。
そして本当の正しさなんてわからないし、その人がそう思っていればそれは正しいのだ。

多様性っていろんな人がいるということだと思うが、前提として『普通』があってそこから外れていると多様性だよねとかいうのである。
それがより『普通』や『常識』を強めている気がする。
もはや多様性という言葉が多様性を拒絶しているようすら思えてしまう。
そもそもいろんな人はいたし、受け入れている人はいた。

バカリズムさんが脚本をしている『ノンレムの窓』というドラマがある。
どれもとてもおもしろいのだが、特に『放送禁止用語』がおもしろい。
「正しい言葉遣い」をしようとするあまり放送禁止用語が増えていく。主人公もそれが正しさだと信念をもって行っている。しかしちょっとした失言により降板させられてしまう。
これが物語の一部だが、正しさとは何かを今一度考える良いきっかけになった。

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