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パニック不登校未遂

高校2年、パニックを起こすようになりました

いつ始まったのか細かく覚えてはいないけど

数学の授業中廊下に転がり出て過呼吸になったり
英語の授業中寝ているのかと思ったら、号泣していたり
夜ベッドの中で悶え苦しんだり

それはそれは周囲に心配をかけました

病院に行って軽度のパニック障害とは言われたけど
今になるとなんとなくわかるんです

あれは「自己分析」だったのだろうなと

そのためには高校1年生の私

学校に行きたくなかった時期の話からしないといけません

中学生の私はそれはもうイケイケだったのです。

本当よ

運動会は応援団長
駅伝大会では市で一番早い男に
弁論大会でも市の代表
作文を書けば新聞で表彰され
文化祭の劇では勿論主役
ヒロイン役は当時付き合っていた彼女でした

当然のように廊下の真ん中を歩いていた人生でした

多分私の全盛期ではないかな

そんな私ですが高校に入って状況は変わります

私の中学校から20人ほど
他の180人は色んな学校から色んな人が集まって、
その中で私はどう振る舞ったと思いますか?

まあ予想はつくと思うんですが
そのままだったんですよね

中学校時代のイケイケな私は当然高校でもイケイケなことを疑いもしていなかった。当時の私は地動説の中心には私がいると思っていた

入学して1ヶ月でサッカー部の中心的人物に

「上山ってなんか絡みづらいよな」

と裏で言われているのを知りました


補足を一つすると
大学で出会った友達が知ってる上山の7倍この時の上山は絡みづらいです。思春期真っ只中でプライドも今より高いし、何言われてもノリが悪く下ネタも言いません。

クラスに居場所がなくて

隣のクラスの中学校の同級生のところに弁当を食べに行き

移動教室はなんとなくギリギリまでもたもたして

文化祭ではバスケ部とサッカー部にいじられて和服を着て、剣山にバラをダーツみたいに刺すという謎の動画を撮らされ、披露の回では誰も笑わず

学校に全然行きたくなかった

部活だけが楽しみでした
クラスでもそれなりに話せる子はいて
ただいわゆる中心人物と折り合いは良くなかった

居場所があったから不登校にはならなかった
でもあの時学校に行かなくていいと言われていたら絶対に行きませんでした


ちなみに親には言えませんでした
中学校でのキラキラした私を知っていたから
何より心配をかけたくなかった


状況が変わったのは3学期。年を超えてしばらく

その頃UMB2012の2回戦
R-指定vsDOTAMAを見てから
ラップバトルにハマっていました
フリースタイルダンジョン全盛期
いわゆるまごうことなきミーハーです

ある日の放課後
私とあんまりな子たちはもう部活に行って
その日は部活がなかったのでなんとなく教室に残っていて、DOTAMAというラッパーの「音楽ワルキューレ2」という曲を流しながら課題をしていたんです

なんかもう絶妙に絡みづらいなこいつ

すると目の前に急に奴が現れたんです

「上山くんDOTAMA聞くの?」

彼こそ未だに遊ぶ仲
なんなら2週間前大分で飲んだ腐れ縁
Tくんです

高校を出て遊ぶ奴なんてほとんど小学校から同じ友達だけど、やつは出会ったのが高校なのに、多分この先もダラダラ数年に一回ぐらい会うとは思います

そこからこやつとEくんというもう一人とラップで意気投合し
22歳になっても3人で集まる仲になります

パニックはどうしたんだと
ハッピーエンド迎えてないかと
まあそうなのよ

別に10ヶ月くらいなんとなく教室で居心地が悪くてもパニックになったりしなかったんです。だけどパニックを説明しようとなると高校1年生の話は避けて通れないんです。この挫折が大きな原因になるから

それまで自分の内側を覗き込むなんてこと全然しなくてよかったんです。だってしたいことをすれば結果は出たしみんな優しかったから

高校1年生で自分の思うままにならない、という現実を知って
私は自分について考えるようになりました

こ〜れが良くなかった

多分もともと芽は埋まっていたんだと思います
だけど周りから溢れんばかりの愛情を与えられ、蝶よ花よと育てられてきた私は無事遠慮の塊を即座に自分で食べる人間に成長しました

そんな人間が挫折を知って自分自身を振り返った結果

私は私のことを嫌いになってしまったんです


パニックの手順はこちら

⑴なんらかのことで自分の行動を反省する
例 相手が傷つくようなことを言ってしまったと後で気づく。誰かが自分の陰口を言っていたと知る
⑵頭痛くなる
⑶パニックになる

パニックの時は頭の中にももう一人自分がいるみたいになります
そいつが「消えろ」と叫んでくるんですよ
友達によるとパニックの際、私は「嫌だ」と何度も呟いていたそうです

そこから高校3年生がピーク
彼女ができて、現在のメンタルDV彼氏としての才能が開花し、そこで自己嫌悪する機会が多くなってしまったのでしょう
ミュンハウゼン症候群に近いものもあったと思います、自分からパニックになるように過度に思い詰めたこともありました。

そんなこんなで当時の彼女の献身的な支えもあり
高校は無事卒業、無事浪人へ

浪人中は全ての意識は勉強に注がれたので
他のことは考えなかったから一度もパニックは起きず
思春期が終わったりちょっと大人になったりと
少しずつ私はパニックを起こさなくなりました

パニックの歴史はこんなもの
大学に入ってからはあんまり起きてないです
昼夜逆転しだすと危ないね
やっぱり朝ちゃんと起きて部屋も綺麗に保ってやるべきことをちゃんとやっていたらそんなに止むことないもん、上山

大学生になって言葉も知識も増えてちょっと遠いところから当時の私を見れるようになって、きっとあれは自己分析だったと思うんです。自己分析の失敗

それまでの自分ではうまく行かなくてどうにかしたくて、そのためにはあまり今まで触れてこなかった自分の内面に触れる必要があった

そこで気づいてしまったんですね

自分が思っていたより大した人間じゃなかったということに

地元の中学校では何をしてもうまく行ったのに
失敗なんかしたことなかったのに

高校に入った瞬間周りの空気は美味しくなくなった

「井の中の蛙、大海を知る」
この諺の例として広辞苑に乗ってもいいと思う

許せなかったんでしょうね

自分が平凡であるという事実が
「何か」になりたかったしきっとなれると信じていた。だって私だったから

今はもう平凡であることを受け入れられるようになりました

そもそも平凡か平凡じゃないかなんてそんなもの私が判断できることではないしね、概念として曖昧すぎる

在籍している大学のレベルからすると学業という面では日本にいる大学生全員の中では非凡の分類に入るだろうし、かといって大学の中では至って普通の学生だし、学部の中ではぶっちぎりの最下位、これもある意味非凡か

要するに少しは大人になったということです
何より言葉によって自己分析の解像度がちゃんとくっきりしました

まあ家にリキュールとウイスキー合わせて50本あるのは非凡とかではなく多分ただの酒カスなんですがね






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