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「ピエロってカッコいいなあ」

全力でふざけられることを非常に格好いいことだと思うわけです

私は「ふざける」という行為を全力ですることができない。しない、というよりできない、が正確

ズームアップすると、「余興」が苦手です。結婚式などの。

人がしているのは大好きで誰より大きな声で笑う自信があります。面白さも、背景にある想いや努力、どれも素晴らしいものです

しかしこれを自分でやると想像しただけで寒気がする

原因として考えられるのは
「人の目を気にしすぎる」というところ

たとえば余興を50人の前でやるとなると、面白い、と思う人もいればなんだこいつ。と思う人もいる。そもそも見ていない人もいる

その一人一人が私に向ける感情を想像してしまう
そして猛烈な恥ずかしさに襲われる
その結果として「全力」でふざけることができないんです。どこか格好つけて、中途半端なものになる

中学生の時に当時はやっていた8.6秒バズーカの真似をしてから、10年間、頑なに避け続けています

オードリーの若林さんのエッセイがとても好きでよく読み返します。その一冊目である『社会人大学人見知り学部卒業見込み』の中で

「スタバでベンティを恥ずかしくて頼めない」

というエピソードが出てきます。これは当時の若林さんの状況で後に『ナナメの夕暮れ』でご自身でツッコミを入れていますが

私はこの文章を見た時、残りのエッセイも全て買おうと決心しました

おそらく私が抱く恥ずかしさも同系統

一人で歩いているときに正面から人が歩いてくるとどんな顔をすればいいのかわからなくなってしまったり

マクドナルドで氷抜きを頼むのが店員さんにケチと思われないかで躊躇ったり

スーパーでR-1を買うときに「一本じゃ何も変わんねえよ」と店員さんに思われていたらどう反論しようかと考えたり

後半ずれているような気もしましたが、日々生きるだけでこんなに面倒くさいことを考えながら息をしています

でも私はスタバでベンティを頼むことに一才のためらいはないので若林さんにはどう足掻いても近づけない気がします。残念

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