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アンドレアス・エシュバッハ 『NSA』歴史改変小説はいらんかえ

よい子のみんなー、歴史改変小説の時間だよー。
というわけで『NSA』です。こちらはドイツで人気のSF作家アンドレアス・エシュバッハによって2018年に書かれた作品で、「もし歴史のあれがこうだったら」という思考実験のもと、分岐後の架空世界を描き出す「歴史改変」というジャンルに属するSF小説。同ジャンルに属する作品は他にも『高い城の男』『ディファレンス・エンジン』『サハリン島』『文明交錯』『大奥』『ウォッチメン』などなど面白いのが色々とあります。子どもの頃からドラえもんの「もしもボックス」という道具が好きだったこともあってか、その延長にあるようなこのジャンルは個人的にかなり好き。この『NSA』という小説も、前述した作品同様上質な面白さを提供してくれますぜ旦那。

作者さんは日本ではあまり認知されていない方で、私も著作を読むのは初めてだったのだけど、読んでびっくり、面白いじゃないですか。本国ドイツで多くの支持を集め、数多くの賞を受賞しているのも納得です。なんでも作者は大学で航空宇宙工学を学び、他にもコンピューター情報処理の分野も勉強し、ソフトウェア開発者としてのキャリアを積んできた方らしく、その知識が作品内にしっかり反映されています。

物語は第一次世界大戦が終わり、ワイマール以降のナチスドイツがバベッジの解析機関を発達させ、現代のインターネットや通信機器に置き換わるような世界的なネットワークを形成しているとしたら、という世界設定のもとスタートする。主人公は二人いて、一人がプログラマーの才能を持ち、NSA(国家保安局)で働く女性のへレーネ。もう一人が純粋なアーリア人の遺伝子を持ちアナリストとして仕事をしているレトケ。時代は第二次世界大戦まっただという設定なので彼らはナチスドイツに歯向かう者や、ユダヤ人を捕えるためデータ分析を行い、裏切り者を探し出していく。政府側の要職に就く二人だが、へレーネもレトケも公には出来ないある事情を抱えている。へレーネにはユダヤ人の恋人がおり、彼を匿うためにNSAのデータを利用しているし、レトケにしては子どもの頃に受けた恨みを晴らすべく、4人の女性を探し出すためにNSAのデータを悪用しているのだ。話はこの二人の行動を交互に語り、ときに交錯しながら進んでゆく。

アルベルト・アインシュタイン、ヴェルナー・ハイゼンベルク、カール=フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカー、オッペンハイマー、オットー・ハーン等、実在する人物の名前も多数出てきて楽しく、それらが物語全体に躍動感と不思議な説得力を与えています。同時に、監視、記録、データ収集という国家による情報網は、現代のインターネット環境に置き換えてみることも可能で、そうして読むとただの空想小説という以上のゾッとするような危うさを感じるでしょう

上記であげた名前からも分かるとおり、物語後半になると「原子爆弾」が話に大きく絡んでくる。敵国であるアメリカの研究者たちが作成した「パイナップルほどの大きさで都市ひとつを破壊できる核分裂による爆弾の論文」。この原爆に関するデータを入手することで物語内の歴史はさらに大きく動いてゆき、とてもスリリングな展開を見せていく。個人的には上巻にあたるレトケの動向がピカレスク小説のような読み心地があり楽しかったのだけど、現実の「歴史」が大きく絡んでくる後半の展開も読み応えがありました。
また、ヘレーネとレトケはNSAのデータを勝手に私用で使っているわけですが、彼らが残したネットワーク上の痕跡は決して消えることがありません。そうして彼らの「目的」と、NSAの「裏切り者探し」がせめぎ合うように進んでいく様も本作の読みどころのひとつです。

これは英雄たちの物語ではありません。ナチスドイツというかつて存在した国を小説の中で蘇らせ、現代のテクノロジーが使用できる1940年代の架空世界を幻出させることで、現実の世界情勢やインターネット環境と対比させる試みを持った小説です。だから終盤は歴史改変というジャンルを離れ、ディストピア小説の色合いを帯びていくのです。
というと、なんだか悲惨で堅苦しいイメージを持たれるかもしれませんが、全体的にはエンタメ度の高い小説なので「歴史」や「サスペンス」が好きな方ならおすすめ。訳文もかなり読みやすく、こんなにすいすい読めたのは訳者の方のおかげでしょうね。赤坂桃子さん、ありがとうございます。

訳者あとがきによると未訳の作品の中には、日本の宇宙ステーションで起きた殺人事件を描いたスリラー×SF小説もあるみたい。おお、こっちも面白そう。読みたいよみたい!

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