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『ジョン・ウィック:コンセクエンス』昔も今も、あなたをお迎えできるのは光栄です。ウィックさま。

問題は「何者として死にたいか」だ。

コンチネンタルホテルの総支配人ウィンストンの言葉はこの作品の核心を突いている。「復讐」の物語として幕を開けたシリーズ1作目から、10年という長き時間をかけてたどりついた4作目。シリーズを追うごとに戦いの規模が大きくなり、より苛烈さを増しながらこの独特の世界観と、戦いに身を投じる男の生きざまを見せることで、ジョン・ウィックとは「何者」だったのかを追求してきた物語はついにひとつの終着点へとたどり着く。

というわけで観てきました『ジョン・ウィック:コンセクエンス』。煌びやかなネオンが「夜の街」を象徴的に映し、美しく幻想的に彩られた世界観はさらに深化を増しています。それは現代が舞台であるにも関わらず、どこか浮世離れしており、バイオレンスかつド派手なアクションが次々に繰り広げられることから「見知った場所なのに異世界」という不思議な感覚を観るものに与えるでしょう。『ジョン・ウィック』はその意味でSFや幻想文学の手触りに近く、その絶妙な匙加減にこそ監督であるチャド・スタエルスキの作家性が宿っているように思います。殺し屋が跋扈する街での戦いは常に「夜」であり、黒いスーツに身を包んだ裏世界の住人たちがパーティを繰り広げる様は陶酔感を覚えるほど美しい。そう、まさにここで行われていることはパーティであり、そのアクションは「戦闘」というよりも完璧なまでに練られた「舞踊」に近い。連続して行われるアクションを観ていて感じるのは、意外なほど”カット割りが少ない”ということで、ひとつひとつのアクションシーンが非常に精緻に作りこまれていることがわかります。はっきり言って観てて超気持ちいい。そうして夜を使い果たした末にジョン・ウィックが「何者」であったのかをこの映画は魅せてくれるのです。

”ここに入る者は、すべての希望を捨てよ”

映画冒頭でモーフィアス……もといバワリー・キングが語っている言葉はダンテ『神曲』の一説であり、これから始まる長い長い夜が「地獄めぐり」であることを明らかにします。主席連合に牙を剥いた彼らに安息の地はもはや無く、そのことを見せつけるために聖域であるNYコンチネンタルホテルは開始早々無残に破壊されてしまいます。

「昔も今も、あなたをお迎えできるのは光栄です。ウィックさま」

何よりもコンシェルジェとしてウィックのことを常にあたたかく迎え入れてくれていたシャロンのことを私は忘れることが出来ない。彼はこの『ジョン・ウィック』という殺し屋の掟をモットーとする世界の中で、いついかなる時もウィックに安心感を与えてくれた数少ない人物だ。彼はウィックにとってもウィンストンにとっても「友」だった。それはこのシリーズの製作者にとっても、私たち観客にとっても同様であり、だからこそ彼の”不在”は涙がこぼれるほどの寂寥感がある。ありがとうランス・レディック、あなたの不在がなにより私は悲しいよ。

しかし、「地獄めぐり」は始まったばかりだ。ウィックは自身にとっての安息の場所を求め、友人であるコウジ(真田広之)が住む大阪のコンチネンタルホテルに赴くこととなる。ここに顕現する日本はいわゆる「変な日本」なのだが、それはおそらく意図的なものだろう。というか「変な日本」を作ろうという目的ではなく、『ジョン・ウィック』に合わせた日本の創出だ。おそらく監督は『ジョン・ウィック』という神話世界を作ろうとして、このような摩訶不思議な場所を設計したのだろう。『神曲』や『民衆を導く自由の女神』といったモチーフを散りばめ、ゲームの画面を髣髴とするような整頓されたアクションの数々、各都市ごとに照明や舞台装置を変えることでモダンな雰囲気を演出、それらひとつひとつの手間を惜しまない計算と作業によって「神話」の創生は見事に果たされた。いやすげえなあ、「夜」と「街」を象徴的に映した映画といえば『ブレードランナー』が真っ先に思い浮かぶのだけど、アクションにアクションを重ねて、裏社会以外の「社会」や「一般市民」を描かないことで独特のスタイリッシュな異世界が出来上がっています。
観客の想定通り、というよりもご希望通り大阪コンチネンタルホテルでも死闘がスタートすることとなるわけですが、にしてもキアヌ・リーブス、真田広之、ドニー・イェンの共演が熱い。一度引退した殺し屋、という設定も良い意味で都合が良く、旧友との会話や、裏世界の掟に纏わるワードはハッタリが効いています。ウィックが発する言葉はひどく少なくて、彼らの過去に何があったのかは語られないままですが、むしろそこを詳しく描かないことが『ジョン・ウィック』の世界観に程よい余白を与えてるように思いました(なので公式・非公式問わず続編やスピンオフが作りやすい気がする)。
そして今作で最も存在感を放っていたのは間違いなく盲目の殺し屋であるケイン(ドニー・イェン)でしょう。現代版座頭市といったこのキャラ、映画小僧である監督の「俺が考えた最強のキャラ」ってやつを臆面も無く堂々と見せられ最高です。音を察知するブザーを仕掛けながらの戦い方や、よろよろとよろめきながら行う凄まじい殺陣は圧巻の一言。敵役として大変魅力的な存在なので彼を見れただけでも十分価値があったし、このキャラクターを創り出した監督に拍手を贈りたい気分です。

舞台がベルリンに移ってからのポーカー対決もハッタリとケレン味があり楽しい(というか実写作品においてリアルにトランプで攻撃する人初めて観たなあ笑)。ここでもウィックはボスであるキーラとめちゃくちゃに暴れ回るのですが、クラブにいるまわりの客たちがまったく意に介さず、知らんぷりして踊り続ける絵柄がマジでシュールです。ゲーム『ストリートファイター』の背景となっている観客たちを実写でやるとこんな感じなのかあ、という不思議な感動がありました。同時にここが明らかに現世とは違うルールに基づいて生成されており、いつの間にか見知らぬ場所に連れてこられていることを実感する場面でもありました。

『ジョン・ウィック』は1作目の時点ではまだギリギリ現世と交流があり、私たちがよく知る世界と地続きの「裏社会」を描いていましたが、シリーズを追うごとにこの神話世界は現世を離れ、「地獄」である殺し屋の世界こそが本道となっていきました。なので、この4作目だけを見るとかなりヘンテコな映画であることは間違いなく、ネオンに照らし出される幻想的な夜の街以外にも、どうみても大けがを負いまくっているウィックが場面を移ればほとんど元に戻っていたり、無尽蔵な体力についても違和感を覚えることでしょう(そもそも3作目の終わりで銃弾で撃たれた上に3階くらいから落っこちたのに、ピンピンしてますもんね)。それは上記した「神話」の創出こそが本シリーズの目的であり、この映画が「ゲーム」と接近した作りをしていることと無関係ではありません。アパルトマン内部でのドローンを使用し部屋全体を俯瞰的に見せたアクションは『The Hong Kong Massacre』というゲームを想起させますし、それ以外にも『GTAV』や『デビルメイクライ』や『バイオ4』あたりのドンパチ感があるアクションゲームに近しい感触がこの映画にはあるのです。『ジョン・ウィック』のアクションには古今東西のアクション映画の文脈が読み取れますが、何より私が強く感じるのはその「ゲームっぽさ」であり、上記のシーンを始めとして、いたるところにその文脈が見て取れます。おそらく監督の意図としては「生身の人間を使っていかにゲーム的なアクションを行うか&画面作りをするか」というものがあって、それこそが『ジョン・ウィック』の異世界感の正体でもあるのでしょう。

チャプターごとにアクションと会話イベントが発生し、フラグを立てて次のステージへ。徐々に敵の装備や戦闘能力は強化され、その分こちらの武器もグレードアップしていきながら、最後の決闘の舞台へと向かう。まさにゲーム的であり、クライマックスのサクレ・クール寺院の長い階段を登るシーンもひどく象徴的で、あそこは天国への階段のようにも見えるし、どこかルールに基づいた遊びっぽくもある。ここはもはや現世を離れた『ジョン・ウィック』という名の異世界なのです。そうして最後の決闘を終えたウィックは、ようやく求めていた安穏とした場所へたどり着くこととなります。Congratulations!

ところで、モチーフとして登場するダンテ『神曲』は三部構成の物語で、「地獄篇」、「煉獄篇」、「天国篇」に分かれています。ダンテとは違い、ウィックは元々裏社会の人間だったことから地獄に「迷い込む」というよりかは「連れ戻される」と言った方が正しく、行ける範囲は良くて「煉獄」くらいのものでしょう。だからそもそもウィックを始めとする登場人物たちは現世に存在しておらず、そこに住まう平凡な人々とは関わることすらない。つまり、本『ジョン・ウィック』シリーズとは4作をかけて徐々に裏社会を本道とする神話世界へと観客を導いていくシリーズだったとも私には感じるのです。

ではウィックが何を求めていたかと言えば、それはダンテが久遠の女性としてベアトリーチェを求めたのと同様に、亡き妻であるヘレンとの再会なのです。それは彼にとって「平穏」であると同時に「死」を意味することとなります。何十人も何百人もそれこそ冗談みたいな数の人を殺してきたウィックが果たして死ぬことにより「天国」へ行き、ヘレンと再会出来たかは甚だ疑問ですが、彼は間違いなく「妻を愛した男」として死にました。「平和」を望む者が「怒り」によって戦いに身を投じ、いかに死ぬか、その物語の結末までを描いた物語は美しい夜明けとともに幕を閉じます。お見事。

アクションの可能性を探り、深化させ、本シリーズを作り上げたキアヌ・リーブスをはじめとする俳優陣および、アクション=アートという哲学を感じさせてくれた監督であるチャド・スタエルスキにありがとう。本作は、殺るか殺られるかの殺し屋が跋扈するトンデモな世界観の中であの手この手を使って殺し合う様子を芸術的なレベルまで押し上げたという点でエポックな作品だと言えるでしょう。というわけで1作目からさらに切れ味の増した殺陣やバイクアクション、さらにヌンチャクだったり車だったりと、手近にあるものはなんでも使っていくので笑えるし興奮します。アクション映画が好きならば満足すること間違いなし。問答無用で劇場へ走るべき映画です。

あと、エンドロールですぐ席を立つ人もちらほらいましたが、ポストクレジットが残ってるので最後まで席を離れない方がいいですよー。

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