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『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』感想

「座談会を経てからの書き方の変化」を8000文字前後で執筆してください。(星海社編集部)

ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』という新書から何を感じたのか書きたい。本書の193ページにある(注2)には拙著『私的なものへの配慮No.3』が「勇気をもらうことができる」と書かれてあって、この一文に僕は勇気づけられたから。その気持ちを記録することにはなるだろう。


1.ラジオみたいに書く

1939年に生まれたラヂオ新書が「音声放送の書き起こしをまとめ直した本」だったように、新書の歴史には「なるべくせずに済ませる」という精神が息づいている。この表現形式は「書かない」ための工夫を認め、受け入れ、許してくれる。

「読まない」ための、とも言える。いつまでも覚えてなくていい、ある時間をしばらく過ごせれば。その気軽さを身にまとうことで、かえって聴き手の内面に、家庭のひと時に深入りして、同時代に驚くべき支配力を示したマスメディア。それがラジオだったように。

かつてラジオがそのような地位にあり、やがてテレビがその座を奪い、今度はゲームに、そして動画に、さらにまた音声配信に世代交代しつつあるとして、その「語り」を模した新書はどこまで広まったか。読み書きリテラシーの壁を越えて。言葉の山のふもとまで。

こんな風に補助線を引いてみると、この本が、その発端からは期せずして、しかしその成り行きからは狙いどおりに辿りついた(らしい)地点が見えてくるようだ。


2.テロップ、ナレーション

『ライティングの哲学』は、アウトライナー(執筆支援ツール)の活用案内になりあぐねた本だという。ふとしたつぶやきから始まり、座談を「本」にまとめ直すにあたって、実践形式の「宿題」が話者に課され、2回目の座談会が開かれるまでに3年が経っていたと。

幕間に顔を出す「編集部」がそう説明する。このふるまいは別におかしくない。しかし本書が「書けなさ」をめぐる本であるおかげで、このありふれたクッション言葉が、些細だがおかしなアクセントになっている。

あたかもこの本の「全体の構造の統御」を試みるように、このテキスト自体のアウトライナーが「語り始めた」みたいに、著者に名を連ねない不特定の集団が、匿名の声として、複数人の分け持った、ひとつながりの語りの性質を宣言するのだから。

他にもこの本には、見かけの読みやすさに反して、いささかややこしい構造が畳み込まれている。「「「書けるようにする道具」について書けるようにする方法」について書けるようにする作戦」を書けるようにする企画」になっている、とでも書けば伝わるか。


3.構造の効用

ふたつの座談で4つの実践を挟み込み、さらにはじめに/おわりにで包む構成もあいまって、この本は、複数の「書けなさ」が交響的に乱反射する合わせ鏡の群れように読者を出迎える。

読者はじぶんの「書けなさ」をその場に持ち込む。やがてどの「書けなさ」がだれの「書けなさ」なのか分からなくなる。そして――これは「本」という体裁の宿命なのだけど――本が本である以上は、その「書けなさ」は「書かれたあと」としてしか残らない。

この仕掛けは読者を癒やすだろう。構造的には告白という制度があるから罪の意識が生まれるのだとしても、極私的には打ち明け話で気が晴れるとうれしい。

あまねく人文知がそうだとするのは過言だとしても、この本の構造にその効用が期待され、たしかに元気づけられた読者が増えていることは疑えない。これは支持療法の便益に――あるいは悲劇(によるカタルシス)の効果に類するのではないか。


4.ぶれぶれぶれ

こうしてこのテキストは、少なくとも3つの「ぶれ」を持つにいたる。しかも、全体として。「本当は話さなかったかもしれない(過剰)」「本当は話したかもしれない(欠落)」「本当に話したのかもしれない(同定)」の3つだ。

あらゆる著作物は、多かれ少なかれこれらの「ぶれ」を許容したり看過しながら書かれ、読まれる。通信品質リスクを抱えるように。とりわけこの本は「ぶれ」を観察しやすい。

それはこの本が、自然言語による執筆工程を、頭から終わりまで、順番抜かしや省略をせず、セオリー通りに、理路整然と、分かりやすく、網羅的に解説した技術書「ではない」からだろう。

よく似た言葉、近しいフレーズ、おなじみの話がさまざまにくり返される「雑談」と「随筆」のランダムウォークだからこそ、語りの方法(~によって書く)や対象(~を書く)よりも、主体(~が書く)と姿勢(~として書く)に読みの注意が向きやすい。

この入り組んだ構造は、話者と読者の「第四の壁」を(うっかり)踏み越えるのに少し寄与する。たしかに5人目の椅子はみんなに開かれている。


5.公正取引

20年近く前に『文章読本さん江』が書いたことだけど、文章術の読者は、「えらい先生に貴重なお話を伺う」という立場に置かれやすい。「教える/学ぶ」関係には、自明な情報の非対称性がある。話者がその構図に遠慮するにせよ、反発するにせよ、居直るにせよ、言葉を「持つ者」と「持たざる者」の不公正な取引が生じかねない温床であることには変わりない。

作者が底抜けに邪悪なら、いくらでも乱暴できる。手抜きできる。独りよがりでもいい。伝わらなければ無理解を嘆くだけ。当座の感興と権威付けが両立できれば顧客満足度はあがる。じつは効果がなくたって、体系的な知識の裏づけがなくたって、信頼できる十分なエビデンスがなくたって。成り上がりたい嘘つきにはうってつけの人気商売だ。売れればね。

この市場環境はじつに自然で、人間らしく、理にかなっていて、だからこそ危うかった。人気取りのために書かれた――検索エンジン対策といってもブックマーク稼ぎといってもSNSバズ狙いといってもいい――有名無実の文章指南が、多くの読み手の人生に決定的な影響を与えられずに、テキストアーカイヴの海底にむなしく沈んだことを思うと、いつか大きな変更が起きる時は訪れないのかと気が滅入った。


6.イージーリーディング

似た気持ちでいたひとは少なくなかったみたいだ。ここ数年にかけて(例示は省くけど)思いおもいの新しさが出版流通‐情報サービス産業に持ち込まれた。長い目でみて、この本もそのひとつに位置づけられるだろう。

話者(たち)がみんなで悩めば、シングルストーリーにつきものの排他と独占の志向をやわらげられる。細部でも筋書きでもなく、構造(パターン)と機序(メカニズム)を解き明かせば、執筆者とその思想をみだりに神秘化しなくても、書くことのワークフローを、その揺らぎやすさとともに開示できる。

この狙いそのものは前世紀からありそうだけど、より多くのひとに伝わる言葉で語りおろしたことに価値がある。イージーリーディングでポップな哲学書というだけでも珍しい。心地よい睡眠のためのルーティンに個人差があるように、書くときの、じぶんなりのアンリトンルールを明文化するのに役立ちそうだ。


7.手順と工夫

この本の話者(たち)は、大別して6の手順で進む工程それぞれに、「執筆」というセルフマネジメント・プロジェクトが遅延・停滞・破綻を招くリスクと、事故防止の工夫をつれづれに語る。あちこちに散らばった話題をこの感想文の言葉でまとめなおすと、こんな風に書けるだろうか。


1.動機づけ
欲望、幻想、依存、感情、酩酊、暴れ書き、褒め、バカンス、高揚感

2.着手
フリーライティング、目次、箇条書き、文法を捨てる、脱力、不能さ

3.書き出し
メモ、記録、音声、日誌、具体、経験、取り返しのつかなさ、初手を省く、走り書き、気散じ

4.流れづくり
自由連想、冗長さ、リズム、即興、割り切り、資料をみない、散文、準-原稿、中間

5.かたどり・ふちどり
アウトライナー、制約の創造、真似、準-他者、外部化、デザイン、メタデータ、パワポ、話の順序、編成

6.終わらせる
赦し、枝払い、雑さ、無能さ、有限性、〆切、断念


8.工程

言わずもがなこれは失礼なまとめだけど、この本が「書くこと」の作業工程を始めから終わりまで扱おうとしたものだと分かりやすくはなる。類書に比べて「1.動機づけ」と「2.着手」に多くの語りが注がれる。この本の特色だろう。書くことは書く前から始まっている。まだ書いてもいないのに。だから書きたくなくなる。そこをどう乗り切るか。

「3.書き出し」と「4.流れづくり」は、フィクションに親しむ読者にはよく知られた工夫が語られる。扱いやすいオブジェクトから始め、物事そのものが語り出すまで、言葉の選び方と並べ方に気を配ること。当たり前だけど、たくさん書くと、なかなか書き終わらない。その時間を、じぶんで書く(主体性)のではなく、じぶんに書かせる(使役・習慣)には、どのように手を動かせばいいかが問われる。

「5.かたどり・ふちどり」は、本人の技能だけでなく、道具に頼ることが推奨される。ツールの操作感が細かく語られる。「6.終わらせる」では、内なる品質要求の高まりと折り合いをつける心構えが大切にされる。製造現場で品質(Quality)の基準を定めるとき、費用(Cost)と納期(Delivery)を制約にするのと似ている。


9.書きものづくり

「書くこと」をサービス業(消費対象となる役務提供)とみるか、製造工業(原材料の加工による生産)とみるかでいえば、この本の話者(たち)には後者に近い感覚が通底しているのかもしれない。

もちろん産業分類でいえば、文筆業は労働集約型のサービス業であって、思いわずらうことなく愉しく生きようとする(生産性をあげる)なら、なるべく苦しまずにやりすごす(労働投入量を減らす)か、期待よりも報われ、満たされる(付加価値を増やす)ための用意が欠かせない。

とはいえ、この考えの先にあるのは、「死んだら何も残らない」というさみしさだけ。それは「もの書き」の本願に反するし、「もの書き」がいなくなっても「書きもの」は自立できるはずだという、書くことへの基本的な期待と、書き手個人の望むべき尊厳を軽んじている。話題が自然と「ものづくり」に向かうのはよく分かる。


10.おかしな話

日本語表現の研究開発史――なんて言葉は世間にほぼ通用しないけど、「まだ、だれも書いていないものを書きたい」のに、同時に「絶対みんなに伝わることが書きたい」なんてうっかり願っちゃうひとが昔からたくさんいて、きっと言葉が生まれたての頃からいて、そのひとたちの積み重ねてきた歴史が日本語圏にもあると言えばある。

ないと思えばない。そう思うほうが健やかに生きられる、にちがいない。だけどどうにもそう思えない夜はある。疑いを晴らそうとするほど、「ある」と仮定したほうがあれこれすんなり説明できる気がして悩む。伝統的な詐欺とか、ありがちな妄念かもと知りつつ、寝ても覚めても忘れられない。

そういうひとにとって書くことは、残念ながら、生きること「ではない」。死ぬことや、殺すことに近い。本当かどうかは分からない。どちらもおしまいまでしたことないので。とはいえその予感はある。生成ではなく消去であり、呼吸ではなく窒息であり、祝福ではなく呪詛であり、贈与ではなく収奪であり、救命ではなく吸血である、と。

この感覚は嘘であってほしい。おかしい、と感じるから。異常だということでも、笑えるということでもある。これはこれで「何かを書きたいと思いつめるがゆえの深刻な悩み」(本書より)――と言えるだろうけど、この悩み方にはねじれがあって、ありのまま書くと、そのひとは死を殺そうとしているのかもしれない。


11.遠慮はいらない

もっと伝わりやすく書き直すなら、もしも書くことがそっくり・そのまま生きることだとしたら、「書きたくない」という気分は「生きたくない」という気分とすっかり重なって見分けがつかず、「書けない」なんてことは原理的に起こりえない。

それは言葉を失って、もう二度と取り戻せなくなるときだから。つまり、死だから。書くことは生きることではない、とまでは言えないけれど、書くことは生きることではないほうがいい。「そうせずに済めばいいのですが」なんて遠慮はいらない。


12.悪のものまね

書くことは生きることになりえない。だけどその「演技」を演じることで、かえって「そっくり・そのまま」に近づけたなら。思いのすべてを歌にして。そう願うのならよく分かる。痛いほどに。悪ぶるのは、どうあがいても悪ぶれないぎりぎりに立ち止まる支えになる。それに似ている。

「苦しい状態に留まり続けることを密かに快く思っている」(本書より)ような「神経症的な努力」を予防しようと、「神経症的な努力」に「留まり続けること」で、その「努力」がつよすぎるストレスにならない耐性をつくる。

この手法は限局性恐怖症の治療法である曝露療法にも重ねられる。怖いものにゆっくりと近づき、心とからだをじっくり馴らす。不安との出会いを安全にくり返すことで、逃げ出したさがやがて薄れるのを期待する。


13.失書と緘黙

だけどそもそも、「書けない」とはどういうことなのか。誤解を避けるために先回りすると、目・耳や手指の感覚・運動に異常はないのに、それまで書けていたものが書けなくなる症状を、神経科学は「失書(agraphia)」と呼ぶ。

脳損傷による読み書き障害だと分かっていて、感じたこと(視覚・音韻処理)と言いたいこと(語彙・意味処理)と手の動き(形態・運動処理)がつながらないせいで起きるという。大病や老いを経たひとに起きやすく、リハビリによる回復例が報告されている。

話す能力に問題はないし、ふだんは何ともないのに、ある場面でだけ言葉が出てこなくて、1ヵ月以上も勉強・仕事に支障が出ているのだけど、それは話すことが楽しくないとか、何を話すべきかまだ知らないとか、別の心の病気を抱えているわけでもない。

この状態は「選択的緘黙(selected mutrim)」と呼ばれる。アメリカ精神医学会の診断・統計マニュアルが2013年に「不安障害」のひとつと位置づけた。診断・治療方法ともに確立途上ではあるものの、児童の治療には遊戯療法と行動療法が長らく用いられている。


14.文章のルッキズム

これらがいずれも「心身の痛み」であり、「意志と能力」ではどうにもならない「書けなさ」だとすれば、この本で扱われるのは、どちらかといえば「うまく書けなさ」のほうだ。

気をちらせるいろいろな思いが止めどなくて、書け(ば書けるのに、ちっともいいと思え)ない。書け(ること、書きたいこと、書くべきことが折り合わ)ない。高慢と偏見、とゾンビ。

「書ける」と(いう自己効力感を)感じるのも微妙な話で、だってまったき生を生きているなら、生きていると感じる暇さえないだろう。「書ける」と感じるうちは全然「書けてない」のかなと反省もする。

もっと書けなくならねば。と、決めても、気づけば「書ける」ようにしてしまう。困るよね。どうすれば書けずにいられるのか。そんな悩みに悩まされて、かれこれ何年になるだろう。1200年は経ったか。


15.子犬の夜

かなり年をとった男がかつてこう言った。「ぶたれた子犬」と仲良く遊ぶには、まずじぶんが楽しまなくちゃいけない。子犬はあなたの心であり、あなたが言葉にしたいものすべてであり、言葉そのものを指した。

だけど、子犬がもう死んでいたら?

だらしなく続く現世をして、生きも死にもせず楽しませるには、まっくらな天国とあかるい地獄の見分けをつかなくするしかない。では、どのように?


16.不安の共有

たぶんこの文章を読むほぼすべてのひとに伝わらないだろうけど、その不安はいっとき少なからぬひとたちに共有されていたはずだ。日本語圏でもね。伝統的な詐欺とか、ありがちな妄念だったのかもしれないけど。現にこの不安はあったし、ただそこにあるだけでウザかった。

この本では、「書けない」を「書かない」にずらし、「書かない」を「書く」と地つづきに扱い、「書く」を「書かせる」に置き換える――いわば厭世を楽天に読み替える解釈変更がくり返され、トートロジックな至言に日常的な意味が何度も吹き込まれる。

この所作を話者(たち)がくり返す動機はさまざまで、他人がおいそれと立ち入っていいものではないけれど、この不安が多かれ少なかれ分かち合われているとは感じた。山ほど死んだ子犬が背後に横たわっている。そうとしか思えない夜はある。


17.メモと注釈

この本の座談会には55の傍注がある。他方で(注2)は瀬下翔太「できない執筆、まとめる原稿ーー汚いメモに囲まれて」独自の脚注で、

こうした態度を教えてくれた作品として、笠井康平『私的なものへの配慮No.3』(いぬのせなかざ、2018年)がある。コンサルや総研の出すレポートのような文体と語彙が使われているが、そこに記されている数字や事実の多くは正確。美的な関心だけに基づいて、でたらめに単語を並べたりカットアップしたりしたのではなく、純粋に対象に関心をもってリサーチした「メモ」が作品に反映されているようにみえる。本作を読むと、「メモ」から生み出される「原稿」の多様性に驚くとともに、勇気をもらうことができる。

と書かれている。おわりにこの脚注にふれたい。

自作紹介はおもはゆいので商品ページから引くと、拙著は「562の註釈が施された4万字ほどの文章」で、(注2)は「562の註釈」を「メモ」と呼ぶ。

メモ(memorandum)は奇妙な言葉だ。覚書、連絡票、回覧状、備忘録、手控え、念書といったさまざまな文書を指すーーというより、何かを忘れずにおく、ちょっとした書きものが暮らしのあらゆる場面で作られるとき、それがなんであれ「メモ」と呼ばれる。語源(memorare)は「思い起こさせるもの」を意味するラテン語。

註釈(annotation)は補足、解説、説明、意見、評釈といった動作やその結果を指し、語源をたどると「しるし・傷あと」といった語感に行きつく。つまり、あらゆる注釈がメモを生む。もしくは、すべてのメモが注釈である。何へのメモ≒注釈なのか。ふたつの解釈があるだろう。書かれたもの(テキスト)と、書かれるもの(被写体、または世界)。


18.wouldn't it be done all by itself?

(注2)の「原稿」はその両方を指していると思った。「原稿」が「メモ」からしか生まれないように、「メモ」は「原稿」からしか生まれない。先に汚れるのは正直どちらでもよくて、だけどいずれも汚れなければ話が進まない。たくさん汚れさえすれば、あとはきれいにするだけで済む。

(注2)が言うとおり、拙著の本文には、作者が正しくしか「書けない」と信じたことしか書かれなかった。でも、それは「おかしい」のだ。だって作者が死んでないもの。作者は「書かない」ことができなかった。むざむざ「書ける」と思い込んでしまった。

死を殺せなかったわけだ。あまり伝わらない言い方をするなら。拙著の本文が書き上げられたとき、作者の手元には1枚のメモもなかった。何もかもが頭のなかにしかなかった。

フリの弱い漫談はうまく落とせない。フリー・コミティッドなひとり芝居を演じるには、愛嬌と哀愁を使い分ける技量が欠かせない。それで多くの注釈が生まれた。書いているうちは何も書かずにいられた。

どうでもいいことしか書かないと決めていた。こんなもの書いても何にもならないと思っていた。そうではない読みがあると(注2)は書いてくれた。その一文に僕は勇気づけられた。

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