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苦い思い出

今から10年以上前になりますが、私はかつてディサービスに勤めていました。そこは比較的介護度の低い、元気な方が通われている施設でした。
Tさんもまた、その元気なうちのお一人でした。
しかし、ある日脳梗塞を発症し入院。退院し再びディサービスに来られた時は、口から食べることができなくなっておられました。
代わりに胃ろうを造設され、そこから栄養を摂っておられる状態でした。
あの頃の私は、アイスクリームを数口食べていただくのを見守るしかできませんでした。
今の私なら、もう少し違うことができるのかもしれない、とTさんのはにかんだ笑顔を時々思い出すのです。

Tさんという人

Tさんは、元々物静かな方でした。ディサービスでは、いつも決まった席に座って新聞を読んで過ごされていました。大好きなコーヒーを飲みながら。
男性の中でも小柄で細い方でしたが、お昼ごはんはいつも山盛り。ここは、バイキング形式だった為自分の好きな量だけ取ることができたのです。
食欲旺盛、食べることが大好きだったTさん。朝は早い便で到着される為、私はよくTさんにホワイトボードにお昼ごはんのメニューを書く仕事をお願いしていました。Tさんは、いつも快く書いてくださいました。
そんなTさんが食べられなくなるなんて、思いもしませんでした。

食べられなくなったTさん

ある日、Tさんは脳梗塞を発症。数ヶ月ディサービスを休まれることになりました。
病院を退院し、再び来られた時には口から食べることができなくなっておられました。
Tさんの体には胃ろうが造設され、栄養はこの胃ろうからのみでした。
病院からは、口から食べることは難しいと言われたとのことでした。
また、元々物静かな方で口数は多い方ではありませんでしたが、脳梗塞により失語症を発症され言葉を発することもほとんどできなくなっておられました。

お昼になると別室で胃ろうの注入が始まります。今日のお昼ごはんのメニューが何であろうと、Tさんにとってはもはや関係のないことになってしまったのです。

おやつの時間は、他の利用者と同じ場所で過ごされていましたが、Tさんは雑誌を見ておられました。
でも別に見たくて見ていたわけでなく、見るふりをしていると、私の目には映っていたのです。

「お楽しみ」でのアイスクリーム

ある日、私はTさんの状態から口から食べられるのではと、他の職員やケアマネに相談しました。
奥様も口から食べられたらと思っておられ、ディサービスに来られた時だけ一口サイズのアイスクリームを何口かに分け、私が見守りながら食べていただくということになりました。
禁食されていた時のことを思うと、たとえ一口でも口から食べられるようになったということは大きなことです。
Tさんの顔にも笑顔がありました。

日が経つにつれ、もっと食事らしいものが食べられる可能性を感じました。
しかし、誤嚥のリスクを指摘され、これ以上のところに持っていくことは叶わず。
Tさんは、いつまでも「お楽しみ」しか口にすることはできませんでした。


家族の食卓を守る

今の私なら、Tさんが食べられそうな物をもっと提示できるだろうし、「お楽しみ」なんかじゃなく、もっと食べられる可能性を周りに示すことができるだろうと思うと、あの頃はまだまだ経験も乏しかったと言えます。

「お父さんに隠れてご飯食べてる」
この奥様の言葉が、今でも忘れられません。

私たちの仕事は、家族の食卓を守る大切な仕事だと改めて思います。
Tさん、奥さん。お二人の食卓を守ってあげられなくてごめんなさい。
この経験も、今の私を作っています。





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