あなたの近くにもきっといる—『アンをめぐる人々』
近所にグリンゲイブルズを思わせる家がある。白い壁に三角の屋根。アンの部屋のような出窓。子供の頃、そういう家に住んでみたい、と思ったものだった。
『アンをめぐる人々』モンゴメリ
そんな憧れの家がある街の図書館で、再びこの本が目に入り、読んでみた。
1度目は、持病で入院しているときに、共有スペースの本棚で見かけて手に取った。読んでみると意外にも乙女の憧れの世界ではなくて、田舎のちょっとやっかいな人間関係が描かれていて、不思議とほっとしたのだった。
人々の噂話や過干渉、意地や見栄。自分が望まない状況にあるときは、人間のしょうもない部分をみる方が楽だ。
これはアンをめぐる人々の短編集で、そのうち一編にはアンが出てくるけれども、他は誰かがアンのことを話題にしていることはあっても、主人公は、アンではないアヴォンリーの人々だ。
ハッピーエンドだったり、それでいいの?と思う後味の悪さだったり。物語とはわかっていながら、現実にいかにもありそうだから、落ち着かない気分にもなる。
入院している自分、という現実の中で、希望や憧れよりも、現実世界にそっくりな人間関係の物語が私を癒してくれた。
それに、病室や共有スペースで繰り広げられている会話や人間関係も、なんだかアンをめぐる人々のようだった。噂話、親戚の悪口、お金の話、患者と家族の口喧嘩。
旅行先で、隣合わせたファミリーが、和気あいあいと会話しているよりも、ふてった子供、それを叱って不機嫌な母親、困惑して無口に食べ続ける父親という構図をみていると、なんだかほっとするみたいな感覚だ。
子供の頃、海外のドラマをみると、みな、家族は食卓で機嫌よく会話をしていたから、どうしてウチはそうじゃないんだ、と悲しく思ったものだった。
けれども、いつも和気あいあいと機嫌よくしている家族なんて、そんなに多くないのかもしれない。
それにしても、アヴォンリーの人々は、人の結婚にうるさい。本当にうるさい。あの人は結婚相手にふさわしくない、とか、逆にあの人と結婚するべきだ、とか。自分が結婚するわけでもないのに。
そして、オールドミスへの一方的な憐憫。オールドミスが若いときに一度でも恋愛をしたのかどうか、を本人がいないところであれこれ言ったり思ったり。全くもって大きなお世話である。モンゴメリの周りにも、こういう人たちがたくさんいたのだろう。
現代の日本も大して違いはないかもしれない。私は、田舎特有の過干渉や噂話が嫌で、都会に出てきたけれど、アンをめぐる人々をなんだか憎めないのは、アヴォンリーの人々に似た、あの人やこの人の顔が浮かぶからだろうか。
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