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セルフレジで思い知ったこと

浦島太郎のような感覚はないものの、日本に帰ってきて、変わったな、と思うことのひとつにセルフレジの存在がある。コロナで普及が加速したのもあるだろう。

最初は「操作に手間取ったらどうしよう」なんて思いがあって、有人レジに並びがちだったのだけれども、あるとき、やってみることにした。

ファーストフードやパン屋さんのアルバイトで、レジ打ちはやったことがあるものの、スーパーやコンビニのレジはやったことがない。

あの、バーコードをピッとスキャンする作業。楽しそうな予感とともに、「やってみたい」ことでもあった。いざ、やってみると、思いのほか、手こずる自分がいた。

商品によっては、どこにバーコードがあるか見つけられなくて、「ないはずはない」と思いながらも、何周も商品を回転させながら、探す。並んで待っている人たちの存在が気になって、焦ると余計に手間取る。

そんなプレッシャーの中で、買い物袋に秩序を保ちながらスキャンした商品をつめていくことなんて不可能で、とにかく、ごちゃごちゃのまま、ただつめ込んでいく。
こんな風にごちゃごちゃに店員さんにつめこまれたら、心の中で文句を言ってしまいそうだし、もう、この店員さんの列に並ぶのはやめよう、と密かに決意するかもしれない。

私は、これまで、よく通うスーパーでは、レジスタッフのエース的存在を見つけ出すようにしていた。
スキャンが速く、かごへのつめ方のセンスがいい人、— 肉や卵や豆腐がつぶれないように、的確な順番につめてくれる人 —そういうエースの列を選んで並ぶ。並んでいる間に、レジスタッフがエースから慣れない新人に交代しまったときは、心底、損した気分になったものだった。

ああ、あのとき、がっかりと思った新人さんよりも、私のレジさばきは遅い。ずーっと遅い。しかも、行列のプレッシャーの中で商品をスピーディーにスキャンしてかごに綺麗につめ替える。これってかなりの凄技だった。

私はなんでそんなに偉そうに思っていたのだろう。なんでも自分でやってみると、その大変さや凄さがわかるものだ、と身に染みた。

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