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19、父は一人で逝きました

父が亡くなったのは今から3年前。
2018年のことでした。

病名は小細胞肺がん。

大好きだった父は、
宣告通り、

半年で逝ってしまいました。



自慢の父でした


父は大手企業の営業マン。
小さい頃は仕事でほとんど家にはおらず、
私が中学生の頃からは単身赴任。

男前でした。
清潔感もありましたし、
怒られたこともないので、
嫌いな時期は一度もありませんでした。

仕事で結果を出して上がっていく、
自慢の父でした。


がん宣告


父は喫煙者でした。

いつも吸っていたのはハイライト。
昔からベビースモーカーでした。

ある日、
たばこの味が違うと言い、
変な咳が出始めた頃。

自分でもおかしいと思ったのか、
病院嫌いの父が、
病院に行ったときには時すでに遅し。

「肺にがんが見つかりました。
   余命は半年です」

通勤途中に病院から電話があり、
震えと涙が止まりませんでした。

80歳を過ぎていた父。

先生から本人に伝えたのは、
がん宣告のみでした。

年齢的に手術はできないと言われ、
抗がん剤を勧められましたが拒否。

大阪の病院に、
毎月の検査に付き添うのは私の役目でした。

検査がすべて終わったあと、
病院のレストランで食事をするのが、
お決まりのコースでした。


終末期の病院に運よく転院できました


治療をしないということは、
死に向かっているということ。

在宅で通院治療をしていましたが、
何度も救急車で運ばれ、
入退院を繰り返しました。


そんなある日、看護師の友人から、
神戸に神がいると聞き、
すぐに予約をし、先生を訪ねました。

先生の穏やかさ、病院の雰囲気が気に入り、
絶対、ここに連れて来ようと思いました。
しかし、人気の病院でキャンセル待ち。

病院に運よく転院できたのは、
亡くなる1ヶ月前でした。


終末期の病院は治療を行ないません。
ありがたいことに、父には痛みもなく、
母の手料理を食べることができました。

付き添いの家族にも、
コーヒーやケーキ出してくださり、
心が癒されました。



母がインフルエンザにかかり、
家族全員面会ができなくなり1週間。

日曜日の朝7時前。
病院から電話がかかり、
タクシーで駆けつけましたが間に合わず、

父は家族に看取られることなく、
一人で逝きました。


「ご臨終です」

という先生の白衣には
おーいお茶のペットボトルが刺さっていて。


泣きながら笑いました。

素敵な病院でした。








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