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名古屋の入国管理施設で職員に殺害された(と言っても決して過言ではない)スリランカ女性の感じていた恐怖と絶望感が痛いほど理解できる

この頃から私は約8年ぶり(その前は約12年ぶり)の喘息の発作に悩まされることになる。2、3日おきに発作が起こり、しかもそれは必ず夜中に起こり、いったん起きると1時間くらい座っていなければ治まらなかった。拘置所の医務職員にお願いして支給された吸入薬キュバールは予防用で効き目が弱かったのだ。しかも1ヶ月経っても2ヶ月経っても断続的に発作は続き、それは運動がトリガーになったり、食事の量(多めのとき)がトリガーになったり、最後には寝るときの体の向きの影響さえ受け、これまでにあり得なかった長期戦となった。私は、そのうちとんでもない発作が起き、その後ニュースで知った、名古屋の入国管理施設で職員に殺害された(と言っても決して過言ではない)スリランカ女性のように、

助けを訴えても見過ごされ(彼女の場合は時に茶化され)、場合によっては死んでしまうかも知れない、

という覚悟まですることになった(🔗️📖P.73『2022.12.14~』)。

彼女が殺害されたときの気持ちは痛いほどによくわかる。

当初それは人生初めての裁判(しかも被告人としての)を控えてのとてつもないプレッシャーからくるものと考えていた。もしくは部屋のほこりが原因かもとも考えた。しかし、それはどちらも外れだった。なぜなら、その後刑務所へ移送になると同時に発作はぴたりと止まってしまったからだ。原因は拘置所のある工業地帯の汚れた空気もしくは、部屋を強制撤去され、何もかも失ってしまうかも知れないという不安と恐怖かのいずれかに絞られた。

拘置所へ移送後、再びひとり暮らしとなった私を苦しめたのは、

なぜあんなことをやってしまったのか

という思いだった。自分がそんなことをやってしまったという事実が信じられなかった。そんなことをしたら捕まるに決まってるじゃないかという。この後の人生で消えることのない汚点を自ら作ってしまった。そして出所後も、世間からは

「犯罪者」「元囚人」「元受刑者」というレッテルを貼られたまま生き続けることを余儀なくされる。

何だか自分がとんでもない不良品(いや、実際にそうなのだと思う)に思え、自分の犯してしまった罪を悔やまずにはいられなかった。さらに、

また同じことを繰り返して戻ってこなければならなくなるのではないか

という恐怖にも襲われることになる。

🔗📰「名古屋の入国管理収容施設でスリランカ女性が死亡し、被害者遺族が国を相手取って起こしている裁判で、女性が死亡する直前の映後が公開となる。」(📖P73『2022.12.14~』)

🔗📰「高い再犯率 対策強化」(📖P5『2022.12.14~』)

🔗💠「人はなぜ50%の確率で刑務所に戻って来るのか?」(📖P15『2022.12.14~』)


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