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お遍路記録⑪高知弁「積んでくよ」感謝~31→36番札所

四国お遍路記録11回目、
今回は友人との2人での高知県でのお遍路2日目、
第31番札所から36番札所までです。

8年ほど前の話ですが
良かったら今日もおつきあいください、

さて前回、やらかし落とし物事件も無事解決して
はりまや橋近くのホテルに宿泊して
2日目の朝となりました。

前回の配信はこちら👇


次のお寺までは、歩いても良かったのですが
乗りたかったのがとさ電(路面電車)。
丁度、電停もすぐ前にあるので
はりまや橋から6時17分発にのり
葛島橋東詰(かづらしまばしひがしづめ)
という電停でおりました。
大きな川を線路が渡ってすぐの電停です。

その川にそって南下、
そのまま進めば高知港になりますが
東側に曲がって、電停から歩く事、約40分。
小高い山を登り到着です。
時間は7時過ぎくらいだったと思います。


第31番札所 五台山 金色院 竹林寺

(ごだいさん こんじきいん ちくりんじ)
宗派 真言宗智山派
本尊 文殊菩薩
創建 神亀元年(724)
真言 おん あらはしゃ のう

このお寺があるのはその名の通り
五台山というお山で、標高は145mです。
山全体が高知県立都市公園なのだそうです。

登り坂も風情があります

そしてタイムリーですが現在放送中の
NHKの朝ドラ「らんまん」のモデル
牧野富太郎(まきの とみたろう)さんは
高知出身ですが、この公園の中に
高知県立牧野植物園があるそうです。
当時は全く知りませんでしたが。

山門
御本堂

参拝後は登ってきたのとは違う道をまた下り
次のお寺に向かいますが、
この時はお寺の名前の通り
竹林の中を歩きます。細い遍路道です。
この竹なのでしょう、
納経所では竹製のお杖も販売していました。

外国人男性がこれを2本購入し、
ストックのようにして歩いて行きました。
ちょっと欲しいなと思いましたが、やめておきました。
でも竹の節がかっこよくはいっているお杖でした。

この竹林に住んでいる?猫と遭遇

情熱の高知?竹林寺ゆかりの恋と陽暉楼

余談ですが、ここ竹林寺は
よさこい節ゆかりのお寺だそうです。

「土佐の高知の はりまや橋で 
 坊さんかんざし 買うを見た 
 よさこい よさこい」

この歌です。
このお寺にいた純信と
鋳掛屋(いかけや)お馬の悲恋物語です。
かけおちした後に見つかった2人は
民衆に晒されて、その後、
追放刑をうけたそうです。

そう言えば高知ははりまや橋電停の少し先に
あの映画「陽暉楼」そのモデルになった
料亭があるそうです。

映画の中で池上季実子さんが演じた芸者さんの
モデルになったご本人、
桃若さんという方のお写真を
以前拝見したことがあります。
本当にお綺麗な方で、現代的なお顔立ち、
これもはやり太平洋に向かう土佐、
黒潮が流れてくる土地柄だろうかと
ほれぼれと眺めたものです。

ホテルを出る時にも
そんなことを思い出していました。
情熱的な感じがして、土佐はいいなと、
あらためて思ったりしておりました。

ちなみにこの竹林寺は、
ひとつ前の30番札所からは約6㎞あります。
坂道もあるので、歩くと
2時間くらいは見ていた方がよいかもしれません。

そしてこの日もまた二人旅、
出来るだけ交通機関をつかって進みます。

31番札所から32番札所までもバスを利用、
土佐電のバス三つ石と言うバス停まで歩きました。
予定時間より8分ほど遅れて到着したバスにのり、
次のお寺のすぐ下にある
峰寺通と言うバス停で降りました。
時間は8時44分でした。

しかしこの後、我々は
お寺とは逆方向に歩いておりました。
かなり進んでから、すれ違った近所のおじさまにお伺いして
気づき、また戻り、たどりつきました。

実は、交通機関を使うと
遍路道の方向を記してくれている遍路石や
道にそって貼ってくれている道案内のステッカー
から
外れたところに降り立つことが多いのです。
そのためかえって迷子になりがちです。
遍路道を伝って歩いている間は、滅多に迷わないので
歩く時の方が安心です。

こちらは一般的なみちしるべ

ちなみに、31番札所竹林寺から32番さんまで歩くと約6㎞です。
ただここは平地なので1時間20分程度でしょうか。

第32番札所 八葉山 求聞持院 禅師峰寺

(はちようざん ぐもんじいん ぜんじぶじ)
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩
創建 大同2年(807)
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

このお寺は「ぜんじぶじ」さんと言う名前ですが
「みねでら」とか「みねじ」さんと呼ばれていると、
帰り道で出会ったご近所のお父さんが教えてくれました。
確かに、ちょっと「ぜんじぶじ」さんって言いにくいなと
ひそかに思っていたので、わたしもそう呼ぼうと思いました。

山門

それはさておき、境内には
まさにカルラ炎火焔のような岩を背にした
不動明王の像がありました。
これは屛風岩という奇岩だそうです。
屋号がカルラのわたくしの生業、
さらに奇岩好きのわたくし、
不動明王大好きのわたくし、
としてはとても喜んでおりました。

自然の祈願がカルラ炎のよう

そしてこのお寺は高台にあります。
綺麗に海がみえます。
海岸線もずっと遠くまで続きます。
見晴らしのよさが印象的でした。

その名も坂本海岸
この後歩く畑と海沿いの道

渡船場と出会ったお遍路さんたち

さてその後、そこからはずっと
境内から眺めた海沿いの車道を行きました。

道沿いには、野菜畑がたくさんあり、
そこで作業している方と立ち話したり、
また、防波堤側にたむろしている
おじさんたちからも「どこからきたの?」などと
声をかけてもらって、
あちこちで応援していただきました。

おじさんたちは、すっかりお休みモードのようでしたから
もしかしたら朝から漁に出て既に戻ってきたとか、
そんな方たちかなあ、などと友人と話しながら
案外あっという間の道中でした。

ただ、午前中とはいえ、もうすでに少し
アスファルトの照り返しは強く
暑いと感じはしました。

32番札所から考えると
約5.8KM先にある種崎渡船場をめざして歩いた約1時間20分、
渡船場少し前でスーパーマーケットを見つけたので
お惣菜コーナーで昼食を買いました。

旅に出た時は
ローカルスーパーには必ず寄ってしまいます。
そして今回もここで、
大ファンになったお料理を見つけました。
それを買って、そのまま船着き場まで歩きまして
待合室で食べたのでした。

それはこんにゃくの中に酢飯がはいっている、
つまり、お稲荷さんのお揚げがこんにゃくになっている
こんにゃくいなりです。
はじめて出会いました。
そして大好きになりました。

こんにゃくずし

渡船場についたのは11時半でした。
次の船の時間は12時10分発でしたから
食事もゆっくりとれました。

そのうち、どんどん人が増えてきました。
ご近所のおばちゃんたちもやってきました。
橋がないが故の渡し船、生活に使われている船です。

そんな待合室ですから
皆さん色々おしゃべりしていまして、
もちろん私は初め出会ってファンになった
こんにゃくずしの事を聞きました。
「家庭でよくつくるよ」と、作り方も教えていただきました。

しばらくすると、男性お遍路さんもやってきました。
この男性は、31番さんでも32番さんでも一緒になった方でした。
「また会いましたね」と、今度はゆっくり話をしましたが
その方は2回目巡礼中のお遍路さんでした。

その後、少しすると、今度は若い男性のお遍路さんも
やってきました。学生さんだそうです。

全く余計なお世話な話ですが
彼は、ひょろっと細くて、
ちょっと大丈夫かな、本当に歩いて行くの?と
ちょっと心配になる姿でした。

話を聞くと彼は、
はじめは浦戸大橋を渡ろうと思っていたそうです。
ですが、この橋は歩道はあるにはありますが
とても細く、自転車同士が行違うのも難しいと聞きます。
車がメインのような全長1480 mの大橋、
しかも湾の上を渡していますから海面からの距離も50mほど。
この船の存在を知らずに、そこをわたるつもりだったそうです。
ただこの日は、風が強く、そこをわたるのが怖いなと思っていた所、
通りすがりの人に船の存在を教えてもらって
こちらに来たということでした。

先に座っていたおじさんは、
この後の道のりのことを、
あれこれベテランらしく教えてあげていました。

ちなみにこの船は高知県営のフェリーで、
乗船料は無料です。
5分ほどで向こう岸の梶ヶ浦渡船所につきます。

下船後、強い向かい風の中、
おじさんお遍路さんは颯爽と先を行きました。

私たちは学生さんとまだ少しお話をしながら歩きました。
ちょっと病気を抱えているようなニュアンスでしたが、
今月いっぱいだけ休みなので、出来るだけ進みたいのだと
話していました。

なにか思うことや、
祈願したいことがあるお遍路さんなのかもしれないと思いました。
この日は3月12日でしたから彼が歩き始めて12日目、
かなり足にきているとも言っていました。
ですから「どうぞ先にいってください」と仰って
私たちも「じゃあお互い気を付けていきましょうね」と
先を行きました。

余談ですが、お遍路さんや土地の方もそうですが、
「どうして回っているの?」など、その理由を聞かないことが
お約束のようなことになっています。
それは勿論、そうですね。
そんなこと言う必要もありませんし、
それぞれいろんな事情をかかえて
想いを抱えて回っている人がいるものです。
私たちみたいに、やってみよう!という
気楽なものばかりではないのですから。

さて、そんなこんなで
船を降りて20分ほどでついたのが33番札所です。

第33番札所 高福山 幸福院 雪蹊寺

(こうふくざん こうふくいん せっけいじ)
宗派 臨済宗 妙心寺派
本尊 薬師如来
創建 弘仁6年(815)
真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

12時35分に着いていました。

このお寺は禅宗のお寺ですが、
四国霊場では2ケ寺だけです。
ただ、開創当時は真言宗だったそうです。
ですが今は禅宗のお寺らしく
どことなく他のお寺と雰囲気が違う気がします。
また山門が石柱だけなのも印象的でした。

そのご、私たちが納経所を出ようとしたころで
さっきの学生お遍路さんの姿を見かけました。
やっと到着したようで、中の方に
この近くに宿泊場所はないかと、
尋ねていらっしゃいましたね。
まだ時間的にはお昼ですから
本来なら、進めるはずなんですが、
疲れてお休みしたかったのかなと思いながら
「またね」と、もう一回ご挨拶してお別れしました。

バス停を見失ったからこその感謝

さてその後、山門を出るとすぐ前にバス停があります。
時間的に丁度、乗れそうだと思っていたのですが、
バス停がありません。

実はこの時初めて知りました、
片方にしかバス停の看板?が立っていないバス停でした。

でもその時の私たちの考えは
普通は両車道に同じ名前のバス停があるけれど
たまに少しずれて立っていることもある、
必ずしもバス停が真正面に揃っているとは限らない、
ちょっと探してみよう‥‥、というものでした。

とはいえ、私たちが歩いてきた、船着き場方向に
戻る向かい車線のバス停はあるけれど
ふりかえっても進む方向のものがありません。
調べておいたので、丁度バスが来るくらいのはずなのにバス停ない、
「ということは、もう少し先にあるんじゃない?」と
2人で進み始めたのでした。

すると少し歩い所で、不意に
横をバスが通り抜けていきました。
「あ!バス」と、多分、2人で声を上げたと思うのです。

「あれ、乗るつもりだったものかな?」
「でもバス停なかったよね」
「なんで?」
「行っちゃったよ」という会話をしたようなきがします。

そしたら、少し先で、バスが停まってくれたのです。
どうやら、歩道側の席に乗っていたおばあちゃんが
私たちを見ていてくれて「あの人たち乗りたかったみたいよ」と、
運転手さんに声をかけたので、停まってくれたようでした。

友人は少し疲れていて、出来ればこの後の距離を
歩きたくはなかったそうで、とても喜んでいました。
私たちはお礼を言いながら乗り込みました。

👇音声でも是非、興奮をきいてみてください。

すると、またすぐに、バスが減速しました。
歩道側にすわっていた私たちが窓の外をみると、
さっき一緒になったおじさんお遍路さんが
道のは端を歩いていたのです。
運転手さんは「このおじさんも乗るかな?」と
減速してくれたのでした。

今度はわたしたちがおじさんに
「乗りますか?」と尋ねましたら
笑いながら首をふって、バイバイと手をふったので
「歩くそうです」とお知らせしました。

このバスが当初、のれたら乗ろうと言っていたバスなのかどうかは、
よくわからないままでしたが、ともあれここで
四国ではバス停が片方にしかなくても
その向かい側で待っていればバス止まるのだ
と学んだのでした。

そして次の目的地に比較的近いバス停
春野役場と言うバス停に13時12分につき
運転手さんから「この道をいけばいいよ」と
おしえていただき、そこから約15分歩いて
次のお寺につきました。

第34番札所 本尾山 朱雀院 種間寺

(もとおざん しゅじゃくいん たねまじ)
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建 弘仁年間(810〜824)
真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

ちなみにひとつ前の33番札所から歩いていたら
距離にして約7㎞なので
2時間くらいはかかったかもしれません。

ここでは境内でちょっと休憩をして
実はまだこんにゃくいなり残して持っていたので
それをいただきました。

ここのお寺は安産の祈願に来る方が多いそうです。
底なしのひしゃくを持って帰り、
無事生まれたらそれを奉納するとのことでした。
底がないから、産道の通りがよいということらしいです。

13:45
子安観音

ここのお寺は安産の祈願に来る方が多いそうです。
底なしのひしゃくを持って帰り、
無事生まれたらそれを奉納するとのことでした。
底がないから、産道の通りがよいということらしいです。

そしてここでもまた別のお遍路さんと出会いました。
若者たちでしたが、
自転車で回っているそうで、テントを背負っていました。
坂道などは大変そうだと思いましたが
いろいろな回り方がありますね。

出会った人たちと「積んでくれた」恩人

さて34番さんをでたのは14時くらいでした。
そして次のお寺までは、すこし距離があります。

更に、その後のアクセスなども考えると、
次の35番札所の前に36番札所に参る方が
スムースに動けそうだと考えていました。

ただ、それにしても納経時間には間に合わないだろうからと
36番札所近くに宿をとり、
翌朝一番に参拝し、そのご35番札所に進むつもりでいました。

ですから後はゆっくり歩いて
途中でバスもあるので、そこから乗車しようと
少しふたりしてゆったりした時間となりました。

遍路道はのどかな田園がつづく中にあります。
お寺を出てすぐの所では
子どもたちが農作業をしていました。
特別支援学校の畑と書いてありました。
子どもたちは、
私たちの前をあるいていたお兄さんお遍路さんに
どうやら進む方向を教えているようでした。
「私たちが通ると、またこっちだよって
同じようにおしえてくれてくれるのかな?」と
話していましたらやはり教えてくれました。
瞳の綺麗な子どもたちでした。

すると今度はすぐ脇の道から
おばあちゃんが登場しました。
どうやらすぐ横の家から出てこられたようでした。

どこに向かっているのかと聞かれたので
「根宜谷口」ですと答えると
子どもたちと同じように
「ここをまっすぐ、川沿いに進むのでいいよ」と
教えてくれました。

そして、またちょっと立ち話になりました。
それがまた、この方も長崎の人でした。
日和佐の道の駅での出会いでも
話しかけてくれたおばさまが長崎出身で
わたしの親戚がいるのですと言う話になりましたが、
今回も、エリアがとても近い所の方でした。

そしてこのおばあちゃんは、
なかなかすごいお話をしてくれて
「長崎では父さんが海運業をしていから
子どものころは結構なお嬢様だったのよ」と仰って
「海外もたくさんいったし、英語も上手かったけど
ここに暮らしてもう話す機会もなくて
忘れてしまうから残念なの」と続けられました。

そこで英語は得意な友人は
会話を英語に切り替えて話しかけました。
おばあちゃんはとても喜んでくれました。
高知の田畑と少しの住宅があるのどかな場所で
日本人3人が英語で話して笑いあうという
ちょっと愉快な時間を過ごしました。

そしてお別れしてしばらく行くと
小さな川が流れ初めます。
この水はとても清らかでした。
またその後は、埋め立てたりして
おそらく堤防になっているのであろう土手をしばらく歩きます。
氾濫などを抑えるためなのかもしれません。

水がとにかく透明で美しい
石づくりの橋も風情があります
仁淀川に続く土手
畑になったそこに船がありました
新川大師堂

そしてやっとはじめましての
日本一の清流と呼ばれる川にでます。
仁淀川です。

高知というと四万十川が有名ですが
この仁淀川の透明度、
こんな下流でまだこんなに美しいと、本当に驚きます。

仁淀川大橋

上流に絶対行きたい、仁淀ブルーをみてみたい、と
とても感動したのでした。

この橋を渡ると、次はコミュニティバスが走っているはずです。
その名もドラゴンバスというのですが
南中島というバス停からのれば
その日の宿泊地であり、36番札所に近い
国民宿舎土佐の近くにつく、という事前調べでした。

ところが、中島と言うバス停はすぐ見つかったのですが
南中島と言うのが見つからない。

そしてコミュニティバスというものも
普段からあまり縁がなく、
なにか勝手が違うのかバス停?
きっと大きくないのではないかな?
などと、不慣れ感満載で2人でおたおたうろうろ。

その時、また車線を渡った向かい側にバス停が見つかりました。
「ということはまた片方にしかないのかな?」
「渡ってバス停の名前を確かめようよ」と
2人で相談していていました。

すると、私たちの横を通り過ぎた軽自動車が
少し先にすっと止まったのです。
これは、もしかしたら
おろおろしている私たちをみて
道を教えてくれるつもりなのかも、と期待して
車の方へと歩いて行ってみました。

そうしたら、
「近くまでいくから積んでくよ」
40歳くらいかなの男性でした。
助手席側の窓から顔をのぞかせて声をかけてくれました。

つんでくよは、乗せていくよの高知弁だ
知っていたわたしはかなり喜びました。
生の「つんでくよ」が聞けたうえに、
なんてありがたいご好意。

男性は須崎という所まで行くとのことです。
私たちの目的地は、その途中から少し海側に張り出した道をゆくので
バスにのっても、そのあたりで降りることになる予定でした。
そこでお言葉に甘えさせてもらうことにしました。

私たちがこれから行くと言う所には海岸がありますが
この男性は、夏になるとよくそこに
子供たちを連れて海水浴にいくのだそうです。
そして、私たちの今宵の宿国民宿舎土佐では
長年料理人んとして男性の奥さんのお母様が働いていたそうで、
最近定年したということでした。
こんな当たりの事情通だから
「そこらへんに行くのだろう」とわかってくれたのかもしれません。

そして、実はわたしはこの時他の場所より
一生懸命バス停をさがしていたのですが、
それは、途中の道を歩きたくなかったからです。

私たちは半島に渡る形になりますが
そこは先にお話した「大橋」のようなものが
つないでくれています。
その海の橋を渡ることを避けたかったのです。
どんなところか見ていないので
例えば、車が多い所だと歩道があっても細いとか
暗くなると歩きにくいかもしれない、とか
あれこれ不安があったからでした。

そして、車中でわたしが
「そんなことを思ってバス停を探していたのです」と
ちょっと触れたからだと思うのですが、
男性は降ろしてもらう場所が近くなったときに
そのまま大橋を登ってくれました。

そして「折角だからお寺の入り口まで積んでくよ」と
なんと、お寺まで送り届けてくださいました。

時間は16時30分でした。
納経時間終了まであと30分もあり、
翌朝にしか行けないと思っていたのに、
その日のうちにお参りきました。

かなり回り道になったでしょうが
親切なお兄さん、本当にありがとうございました。
そして送っていただいたお寺は35番札所です。

第36番札所 独鈷山 伊舎那院 青龍寺

(とっこうざん いしゃないん しょうりゅうじ)
宗派 真言宗豊山派
本尊 波切不動明王
創建 弘仁6年(815)
真言  のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ 
   そわたや うんたらた かんまん

ここは私にとっては
四国八十八カ所の中でも
行きたいお寺ベスト5に入る所でした。

それなのに、わたしは、青に竜の寺と書くので
「しょうりゅうじ」と読むと、
勘違いしてたのです

そして、先の車のお兄さんにも
「せいりゅうじには行ってみたかった」と話していました。
するとお兄さんは、
「そうですか、いいお寺ですよ」と言いながら
なにか他の話題の後に「しょうりゅうじさん」
言ってくれたのです。
わたしはそれを聞き、
「しょうりゅうじって読むのですか」とお尋ねしましたら
「ああ、そうですね、しょうりゅうじさんと言いますね」と
ごくごく自然に教えてくれたのです。

表現がむずかしいのですが、なんというか、
「違ってますよ」と教えるのでもなく
すぐに言い直して「気づけよ」というわけでもなく
とっても普通に気づかせてくれたと感じたのです。
これは今後見習おうと思いました。
どうかしたら鬼の首をとったように
「それ違うし」なんて教え方をすることだったありますが、
そうではない伝え方、そんなことも
教えてくれたお兄さんでした。

山門からは階段
御本堂

そんな楽しみだったお寺、
こちらでは黒地に不動明王の梵字が金色の糸で刺繍してある
かっこいいお不動さんお守りを買いました。
波切不動、旅の道行きを守てくれます。

そして参拝を終え、
奥の院への山道を登ると
国民宿舎にでます。

丁度西日がさす時間、心地よい山をのぼって
夕方5時に、国民宿舎土佐に到着でした。

奥の院への道には小さな滝
大好物タイプの山道
この先で車道に出ます

本当はよく朝早く出てお参りするつもりだったので
朝食は頼んでいなかったのですが
ゆっくりになったのでお願いしました。
そして温泉だった、と思うのですが
海を見ながらの露店風呂でゆっくり入浴。

お部屋からみえる景色

この時も、ふたりそれぞれ別のお部屋とってますが
夕ご飯は勿論、一緒に食堂でとります。

お遍路中お食事写真はあまりとっていませんが‥‥夕食

そして、このロビーには、
なんと、ハリネズミとかうさぎとか
動物がいっぱいいたのです。

わたしは前々からハリネズミが好きで
一緒に遊んでみたくて仕方なかったのですが
思わぬ所で念願がかないました。

私が勝手に「ヘッジちゃん」と呼んだ本名「ハリーちゃん」

そして売店にはへんろみち保存協会の地図があったので
やっと入手しました。
もうこれで、前回の交番が書いていないとか
今回もバス停が不明だとか、
そんな心配がなくなるので一安心です。

一応、その頃もスマートフォンで地図はでたのでしょうが
検索は遣わないスタイルで行きました。
とはいっても8年も前ですから
今より電波がよくない山中も多かったでしょうし
精度も違ったとは思います。
ともあれこの後は今までの地図は仕舞いこみ、
この地図を頼りに進んだのでした。

今も眺めるとわくわくする地図
この半島の間を送ってもらいました。

ということで今日は出会いのお話がたくさんで
長くなりましたが、2日目の出来事でした。

次回は生きます足摺岬まで、
移動が長い一日になります。
またユニークなおじさんとの出会いや
食事にびっくりなど、
思い出がたくさんできました。
また良かったらのぞいてみてください。
今日も最後までおつきあいいだきありがとうございました。

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