認識の変化

 色々な要因が重なって、自分が精神疾患を患った時に今までの自分の中での認識がガラッと変わった。うつ病とかって真面目すぎる打たれ弱い人がなるのかなあと思っていた。その時の自分を、今は助走をつけてグーで殴りたいくらい。
「気持ちの持ちよう」とまでは思わなかったけれど、考え方や思考パターンの変化で症状が軽くなるんじゃないかなあとは思っていたと思う。でも自分が実際、自分自身でコントロールできないほどの不安感や緊張感に襲われた時、考え方とかでなんとかなるものじゃないと確信した。ポジティブシンキング!とかそんなことじゃどうにもならない。だって、しゃっくりを気持ちで止めることはできないでしょ?心臓の鼓動だって、考え方云々でどうにかならないでしょ?それは、自然にやってくるもの。理由があるから不安になるんじゃない、緊張感があるんじゃない。それは、自然にそこにあるもの。例えるならば、頭の中で緊急アラームが常に鳴り響いている。不安感、緊張感、ソワソワ感。言葉にするとこんなものだけれど、実際に体験するとまあ辛い。こんなに辛いものかと。その不快感から救われるのは、お風呂に入っている時と、寝てる時くらいなもので、とにかく辛かった。気を抜いたら、一気に崖下まで落ちちゃうんじゃないかと思うような気持ち。吐きたくないのに吐き気を永遠に我慢させられるような気持ち。この世の不快感を全部背負っているような気持ち。私だけの感情とは思えないような、今まで経験したことのないような不快感だった。理由のない不安感緊張感だから、解消する術もなくて。周りに相談しても、今の状況を説明しても、何一つ解決しなかった。精神疾患の辛さを完全にナメてた。それは、本当に、誰にでも、予告なく突然現れるもの。ダメなものはダメ。「気の持ちよう」とか「考え方」とか、そんなこと金輪際絶対に言いたくない。その渦中にいる人が、どれだけ辛くて孤独なのかを忘れたくない。そして、どれだけ勇敢であるかということを。精神障害に限らず、さまざまな障害を抱えながら生きている人たちは、強い。とても強くて、美しい。ハードモードの中を、さまざまな方法を試しながらとても強く生き抜いている。希死念慮なんて、その最たるものだと思う。理由もなく「死」が目の前に迫ってくる。その声に抗いながら、強く強く生きている。それがどれほど尊いものか。今まで自分がいかにイージーモードで生かされていたか。痛烈に感じた。
 さて、そんな私がこれから何ができるのかな。私は即!向精神薬!!!抗不安薬!って感じでまずは薬で頭を落ち着かせたけれど、今もなんだかんだぐずぐずやってるのである。こういう症状って、「治る」じゃなくて、「付き合っていく」ものなんだなあと思う。必要な投薬は終わったと思うから、これからはこういった症状との付き合い方を自分なりに学ぶ時なんだと思う。その手段は人それぞれで、サプリメントの人もいれば、継続したカウンセリング、芸術、スポーツ、ヨガ、灸、整体、スピリチュアルと目白押し。自分にあった方法で、自分の体や心をメンテナンスしていく必要がある。やっぱり、頭のアラームは比較的なりやすい体質に変わったもんな〜。自分の心と体に「大丈夫だよ。安心だよ。心配ないよ。」としっかり伝え続けていきたい。今は、その方法を模索中。。。でもやっぱり、なんのメンテナンスもしないで元気ハツラツとしていた自分を懐かしく思うこともある。でもそれって、とんでもなく鈍感だったのかもしれない。今、敏感だからこそ感じられる心がある。その心を、これから周りにも尽くしていきたい。ナンチテ。

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