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つながりの時間 Being present

夏休みの旅行から戻った長女一家を訪ねた。パパは仕事で10歳の孫は友だちの家へ。そこでママが出かけてる間、7歳の弟と遊ぶことになった。レゴがしたいと言うので、子ども部屋にあったレゴの箱を居間に運び、彼はパトカーや白バイの続きを、私はそれに合わせて牢屋〈らしきもの)を造ることにした。

孫と一緒なら何をしてても楽しいものだけど、床に座っておしゃべりしながら共に手を動かす時間はことさらだ。

そういえば、数年前に感じた特別なつながりも、レゴで遊んでる時だった。

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孫たちの家に行ったら、6歳のお兄ちゃんがめずらしくご機嫌斜めの様子。何があったかわからないけど、金曜日の午後だし誰でも疲れるよね~と思いながら、「今日は何して遊ぶ?」と手をつないで誘ってみた。

大好きなレゴで虹模様の床を完成させるという作業から始まって、気の向くままに塀で囲っていく。弟もそのうち来るかな(普通は絶対来る)と思ったけど、その日は庭遊びに没頭していたらしく、久しぶりの二人きりの時間だった。

クリエイティブで、自由で、誰にもじゃまされない時間は、この上なく平和で、塀で囲まれた空間は、いつの間にか飛び込み台のあるプールに変身してた。

あとで、パパに「二人でレゴをやってたら笑顔が戻ったよ」と報告したら、「attentionをもらえたんだね」と。

この attention(注意・注目)という言葉は、よく子育ての場面で登場する。これにseek(求める)という動詞がついたattention-seeking(注意を引こうとする)は、かまってもらおうとする子どもや、目立ちたがる大人の行動を形容する。

確かに、あの日の孫は私の full attention(完全なる注目)をもらえたわけなんだけど、私には「つながりを感じた」と言った方がぴったりくるような気がした。

誰かが「attention-seekingじゃなくて、connection-seekingと呼んだ方がいい」と言っていた。子どもが求めてるのは、「注目されること」より、「つながりを感じること」だと。

「注目する」は一方的で、「遊んであげる」という感じがあるけど、「つながり」は相互的。ゲラゲラ笑いながら共有する喜びは何にも代えがたい。

子どもは大人が心から楽しんでるか、義理でつき合ってるかをよく見分けてる。子どもにしてみれば(大人もそうだけど)、ちゃんと見て、聴いて、受けとめてほしいんだよね。They want us to "be present".

be present の意味は「そこに存在する」。でも、ただそこにいるだけじゃなくて、うわの空じゃない、ちゃんとした「いる」。

全身全霊で注意を払い、関心を持ち、意識を向けて、今ここに「いる」。
子どもが求めてるのは、大人がスマホから離れ、テレビも消して、思いっきり子どもの世界に浸ってくれること。それは一日30分でも、効果があるらしい。

connecting time(つながりの時間)が必要なのは、子どもだけじゃない。どんな人間関係でも、しっかり向き合う時間があるとないとでは、関係の質が違ってくる。

要する長さや頻度はそれぞれだけど、一緒に感動したり、何かに夢中になったり、じっくり語り合ったり、ふたつの心がつながる時間を、あえて作りたい。

Being present. これは文字通り、自分と周りへのプレゼント。今年のクリスマスの贈り物は、「大事な人とのつながりの時間」というのはどうでしょうか?

(2018年12月のブログより)

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2時間ぐらいで戻ったママは、鼻歌交じりで上機嫌の息子に大喜び。さっそくオリジナルのパトカー、白バイ、護送用バン、ヘリコプター、ボートなどを披露した。

私の牢屋も「床に固定するには、こういう形のパーツを使えば?」「帽子をかぶせる時はそっと押すといいよ」などの手ほどきを受けたおかげで、一応それらしく鉄格子風窓もあり、寝台トイレつきの独房の前に手錠を持った看守が立っている。

この子とこんなふうに、じっくり遊べる時間はあとどのぐらいかな~。3人目の孫はまだ赤ちゃんだけど、遠くに住んでるし、こういう時間の尊さを改めて感じる。

アイルランドのいとこを訪ねた孫たち

今回のレゴ作成中にハッとするおもしろい会話があったのだけど、それについては、また次回書きますね~💓

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