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「横浜眞葛焼 宮川香山の技」(鎌倉・吉兆庵美術館)

 平塚市美術館の展覧会で俄然気になってしまった初代宮川香山(眞葛香山)。自宅で、美術館でピックアップしたパンフレットを見ていたら、鎌倉は小町通りにある吉兆庵美術館(和菓子販売の「宗家 源 吉兆庵」が運営する美術館)が宮川香山の展覧会をやっているとのこと。行くに決まってます。宮川香山のこと、眞葛窯のことなど、知らないことは結構あったんですが、今回の展覧会で一通り知ることができました。

 初代香山(1842-1916)は京都出身。幼い頃から池大雅の弟子である画僧の義亮に絵を教わり、早いうちから細工・絵画で頭角を表します。青木木米に学んでいたという父、そして兄が早くに亡くなると、香山は19歳(妻子あり)で窯元を継ぐことになります。江戸から明治に以降するなかで、多くの窯元が閉鎖の憂き目に遭うなか、彼は薩摩藩家老の小松帯刀の手引きもあり窯を横浜に移転し、輸出用の薩摩焼を制作するようになります。ただ、薩摩焼は金彩を多用することで若干コストに難があったようでその流れの中で「高浮彫」と呼ばれる大胆な立体表現を編み出すに至ります。
 最近熊が人里に現れているニュースを目にしますが、香山はなんと窯のある横浜で熊と鷹を飼育していたとのこと。もちろん観察のためで、、模写をさせれば一瞬贋作と見間違うほどのクオリティに仕上げてしまう観察力、そして花弁の筋までを丹念に写し取る技術に裏打ちされた輸出陶磁器は万国博覧会でも名誉ある賞を次々と獲得、1896年には帝室技芸員として後進の育成、軽井沢に現在もある三笠焼の創出なども行います。ベテランになってからも清朝風の釉薬開発に取り組むなど、「窯業ノ博士」と呼ばれるほどの研究家気質でもありました。
 香山の名前は実質三代目まで続くのですが、初代香山が凄いのは二代目・三代目が初代と比べて劣っているからではなく、二代目・三代目を初代に比肩するレベルに育て上げている点にあります。眞葛窯において劣等品は容赦なく廃棄、世に出していないとのことで、だから「拙作」というものがほぼ存在しないに等しい。二代目は竹取物語・源氏物語の巻物を題材にした筒型の花瓶、また獅子舞の中に入る親子を題材にした置物などの大胆な着想、三代目は初代さながらの丁寧な仕事ぶりが印象的。水辺を泳ぐ鴨を題材にした、青と白のみのシンプルな作品でも、鴨の泳ぎによって生まれた水流をもきちんと描写しているのには驚きました(きっとこれも観察のなせる技)。何代目の作品か失念してしまいましたが、ホタテ貝と細魚を組み合わせて作ったスプーン(もちろん陶芸)、生類憐れみの令の下、元禄時代特有の華やかな着物を着用しつつもなんとも言えぬ表情で半笑いの狆を眺める女性の親子、小舟に乗ったおじさん…
 作品情報パネルが無ければ何代目かを区別できないようなハイレベルな作品が並ぶなか、やはり初代の代表作《眞葛窯変釉蟹彫刻壺花活》は別格です(展覧会ポスター下)。大きな壺に蟹の彫刻が二体、重なって貼り付いておるのですが、解説パネルには「現代の技術では再現不可能」とのこと(すごいこと言ってます…)。高い写実性のみならず、その関係性をも活用して、より高次なリアリティが醸されているのにも驚きました。

 作品の上では間違いなく一時代を築いた眞葛焼、そして三人の宮川香山。しかし、そのエンディングは1945年5月29日の横浜大空襲、東京大空襲の1.5倍とも言われる爆撃攻撃により窯はおろか資料類も焼失、従業員とともに三代香山も死去してしまうという、あまりにも悲劇的なもの。だからこそと言うわけじゃないですが、せめて残された作品は大切にしていきたい、そんな思いが去来しております。

 JR鎌倉駅前にある小町通りは良くも悪くも観光客でごった返している場所ですが、私がこの美術館に滞在していた平日午前の1時間半、来客数はなんとゼロ。館内にはスタッフすらおらず(チケットは隣の「吉兆庵」で購入)、私が立ち去るギリギリでようやく1組入ってきたというレベルでした。この良さが世間的に伝わってないとするのなら心苦しいですが、この環境でこの作品群を「独占」できたのは最高と言うしかないなと。
素晴らしい展覧会を見させてもらったついでに買った「おやき」(黒糖どら焼き)、めちゃくちゃ美味かったです。

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