「新・今日の作家展2024 あなたの中のわたし」(横浜市民ギャラリー)
今回のテーマは「わたし(自分)」と「あなた(他者)」の関係性について。スクリプカリウ落合安奈さんは日本とルーマニアのハーフで、「土地と人の結びつき」をテーマに、文化人類学的なフィールドワークをインスタレーション・写真・映像といった作品に昇華。対する布施琳太郎さんはスマートフォンがもたらした都市の「孤独」に注目、「二人であること」の回復をテーマに、通常の映像制作のみならず文章執筆、展覧会のキュレーション等、文字通り多岐に亘る活動を展開しております。
32歳と30歳、写真と文字、協和と不協和、地方と都市、現実とバーチャル。同年代でありながらそのスタイル・手法はかなり対照的な二人とも言えそうです。
順路順でまず布施さんの展覧会の入口、受付で手渡されるのが手のひらサイズのハンディライト。会場はだいぶ暗がりのなか、ポスター大のサイズに印刷された「小説」が展示されており、鑑賞者はライトで照らしながら小説の文字を追うことになります。
そもそも美術館・ギャラリーというのは歴史的にも大きな構造変化をしているわけではなく、大量の文字を「読む」ためにデザインされているわけではありません。もちろん言語そのもの(音声や書道など、感覚的享受ができるように"変換"されていない、情報伝達手段としての言語)を展示することも現代芸術のいち手法ですが、その濫用は鑑賞者の疎外、つまり独りよがりを招く危険性があります。
今回布施さんが採ったこの手法は、その「疎外」を軽減する方法であるように感じました。それは鑑賞者が美術展に「参加」する方法であり、ライティングという、通常美術展の運営が考えることを鑑賞者に委ねているのがなかなかユニークです。鑑賞者は無意識のうちに自分の見やすい距離、または「映える」角度…そのようにして、鑑賞者は美術展という広義の「劇」の一員となっていきます。
展示されているテキストは第一部が小説で、20年後の世界、ユーザーの秘密"のみ"を登録するマッチングアプリ「nAR(ナァ)」を巡るある男女の交流を描いたもの。第二部はその世界における評論といったところでしょうか。会場を2周して断片的に理解するのが精一杯ではあったんですが、撮った写真を家で改めて「読んで」みて、改めてその構想に唸ってもいました。「私は死んでいる」という矛盾した"ミュウ"(ナァの開発者)の言葉がもたらす「私」の分裂、会員登録の時、はがきを通じて告白された「秘密」の数々… その小説の合間にもたらされる不気味な映像、そして音響が印象に残ります。
スクリプカリウ落合安奈さんは父方のルーツであるルーマニアについて、母親で同じく写真家である落合由利子の撮った写真も使いつつ、ルーマニアの風景・生活を中心とした写真・映像によって会場を構成。冒頭にも書きましたが布施さんとはなにからなにまで対照的で、感覚的というか現場主義的な傾向が強く伺えます。そこには都市化(技術によって画一化?)された世界とは違う「物語」があり、「生活」がある。じゃっかん抽象的な言葉で恐縮ですが、明るくも優しい、選択次第でまだ持ち続けられたかもしれない、そういうきらめきを個人的に感じていたりもしました。
個人的にとても印象に残ったのは最後に観たインスタレーションの《ひ か り の う つ わ》(2023/2024)。中央の画面はスライド、左右各2画面は天井から吊るされたプロジェクターで映写されており、スライドの「ガチャン」という音とともに、その5つの画面が次々に変化していきます。全体で7分ほどの「ショー」ですが、ルーマニアの写真そのものも非常に良く、暗がりの中響くスライドの音が非常にリズミカルで心地よかったです。荷物を隣に置き、癒やされ、解放されていく感覚。濃密な展覧会の〆としては最高だったんじゃないでしょうか。
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個人的に、美術展巡りとしては1ヶ月半ぶりの美術展でした(感想文を書くのは2ヶ月ぶり)。合計で1ヶ月入院してたからなんですが、Instagramそのものを2014年12月に始めて以来、1ヶ月以上更新にブランクができたのは間違いなく始めてかと。今回は通院帰りに寄ることができました。
体力的にそこまで復調しているわけでもなく、40分もいられればいいやと思っていたら、結局90分も滞在してしまっておりました。滞在時間が必ずしも展覧会の質に結びつくわけではないと思いますが、素晴らしい展覧会だったと思います。
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