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ファンとファンコミュニティ

 20年ほど前の話。
 私はある音楽オーディション番組に番組観覧として参加していた。歌唱のみではなく演奏も採点基準になる、ジャンルとしてもノンジャンルに近い内容。玉石混交の感もあるけど色々な音楽が聴ける面白さもある。

 その中にあるバンドがいた。今彼らがどうしているのかは全く知らないし、どんな曲を演奏していたかも覚えていない。グラムロックのような、女性ファンを意識した色気重視のビジュアルだったことだけはなんとなく覚えている。
 それぐらいの記憶だが、彼らのことは今でも強烈に印象に残っている。ただしそれは彼ら自体というより、彼らのファンについてである。

 彼らが演奏を始めた途端、舞台向かって客席の左手の女性たち5-6人が声を上げて立ち上がり、椅子の上に乗り、うちわやら何やらを振り始めた。演奏中に立ち上がることは禁止されているし、慌てて番組スタッフが彼女たちを止めに行ったが、その時点でもう会場が「ライブを観る」という雰囲気ではなくなっていた。私自身興ざめしていたし、残念ながらそういう場を変えるほど彼らの音楽に力があるとは思えなかった(何しろ今、どんな音楽を演奏していたか、全く記憶が無い)。オーディションの結果が芳しくなかったことは言うまでもない。

 ファンとミュージシャンの結束力という意味ではむしろ良いことのように思える。単独ライブなんかは特に盛り上がりそうである。「熱心なファンの存在がありがたい/心強い」というミュージシャンもいることは確かだし、その気持ちは十二分にわかる。それ自体はむしろ大切にしてほしい。
 ただし、未見のお客さんがいる場面では、ファンとミュージシャンの結束がむしろ閉鎖的・排他的な印象を与えることがある。特にある種のファンには「メジャーになってほしくない」というような独占欲というのもあったりするから、こういう「現場」の客席にいると一体感どころか疎外感を感じてしまうことのほうが多い。「周囲が盛り上がっているから、私も盛り上がろう☆」というより、「うわぁ…」と引いてしまう。

 同じようなことはこのあと何度も経験していくうちに、最終的にそういう「ファン」のコミュニティにはそもそも入らないという、自分のスタンスが出来上がっていった。それは私が社会科学出身というのもあるのかもしれない。誠に失礼な話だが、熱心なファンのコミュニティが、ある種の政治・宗教活動に見えてしまうことがある。最近も「一部ファンの暴走」がネットニュースを騒がせたりもするが、そこまで極端ではなくても、ライブに行き、グッズを買うことが「推し」に対する忠誠心の証明と言わんばかりの雰囲気に、だんだん耐えられなくなってくる。応援することに義務感が生まれると「それはちょっと…」となってしまう。

 そんなこんなで私は芸術の「ファン」になった。ファンコミュニティへの苦手意識から芸術ファンになったわけじゃないけど、そもそも一つのコミュニティでくくるには「芸術」の範囲はあまりに広すぎる。別にそこに無理して"所属"しなくても、コミュニティの空気に左右されなくても大きな影響はない。「孤独が相棒」(©ZORN)状態でも十分楽しくやっていける、それはまた芸術の本来持つ魅力だとも思う。

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