仕事のメモと烈海王と私

 烈海王が白林寺に入門した際、師匠の劉海王から最初に教わったのは站樁と呼ばれる、下半身を鍛える鍛錬法だった。そして私が初めて就職した際、先輩から最初に教わったことは「メモを取れ」ということだった。
 それから約十数年、社会人としては決して殊勝とは言えないかもしれないが、私の仕事のベースには少なからず「メモ」というものがある。

 私に限らず、何らかの形で仕事を始めた際、まずは「メモを取る」というところからスタートした人は決して少なくないと思う。noteのおすすめに出てくる記事を読んでいたら「メモを取らない若い人」という話題が上がっていて、私の先輩がそうであったように、メモを取る取らないというのはそれだけで十分に話題になるところがある。私自身、「覚えられるので大丈夫」とカマしてきた翌日に「また教えてください」と悪びれることなくヘラヘラと教わってきた人間に出くわしたことがあって、その時は「私は一向にかまわんッ!」とはなれなかった。

 もちろん、こっちの話すスピードが早かったりなどの配慮不足で、若い人たちがメモを取れないというケースもあるのだけど、ここ10年でメモ事情というものもかなり進んでいて、何も紙にペンがメモの全てという時代でもなくなってきた。私に関して言えば、紙が面倒なら録画でも録音でもしてくれたら良い、あ、いや、「一向にかまわんッ!」と思って話をしている。今どきのスマートフォンの録音・録画機能はそれぐらい優秀だし、ノートパソコンが支給されているならそこに入っている録音アプリを回しておけば良いだけのこと。そして、そうしてできた録音・録画物をテキストに起こしてくれればより詳細なマニュアルが一つ出来上がるわけで、そうすれば今度君が持つだろう後輩をレクチャーをする時間がさらに節約できる(ちなみに私はそれをGoogleカレンダーのメモ欄を使って記録している)。

 こと組織体における仕事というのは自分が習得し、習熟するだけでなく、最後に仕事を他人に引き継ぐことで完成する。出会いが必ず何かしらの「別れ」をもって完結するように。しかし「別れ」までを想定して恋愛をする人間がそう多くないように、引き継ぎまでを意識して仕事をしている人は意外に少ない。個人的には、今でもまあまあ量のある業務を貧弱またはゼロ資料で引き継ぎしてくる人間がいて、顔では笑っているが内面では閉口するようなことがある。それについては上に書いたような録音等も交えて対処すれば良いというか、対処するしかないが、それ以上に大事なのは、同じ(不要な)苦労を自分の後輩にさせないことだ。特に若いうちは録音機材を回すような、「したたか」になれない人もいる。

 そしてそこまで考えた時、仕事においてのメモというのは自分自身のみならず、自分の可愛い後輩を守るための手段であったことにも気づく。言い換えれば冒頭の劉海王、いや、私の先輩は暗に私を守ってくれていたことにも。

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