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わたしの福祉 #1

 いずれ人は死ぬ。誰もが知っている絶対の真理があって、どのように生きても人は必ず死ぬとわかっているのに、なぜ人は生きねばならないのか。
 その考えは、彼女の中にいつのころからか棲みついて離れなくなった。考えというよりもそれは疑問だった。彼女はその答えを求めて、故郷の町を捨てた。家族や友人を捨て、思い出も捨てようとした。そのどれも彼女にはできなかった。彼女にできたことは遠くへ行くことだけだった。地元の大学を卒業して、中学時代の同級生と結婚して、子どもが生まれ、その子供に障害があり、その子が交通事故で死亡し、離婚して、ひとりになり、福祉の仕事をはじめ、介護福祉士になり、それから介護支援専門員の資格をとり、認知症高齢者実践者研修を納め、ふと思い立ち、生まれ故郷の町からあまりにも遠く離れたM県T市にある社会福祉法人慈光会の職員になった。
 なぜこんなところまで来てしまったのだろうと、彼女は考える。小さなアパートに住む、もう若くもない女がひとり、この先、どこまで行くのか――あるいは行けるのか。それを考えると、不安を感じなくもなかったが――わたしはたぶんもっと遠くまで行く。彼女の中にはその思いが確実に存在していた。若かったころ、こんな人生は想像の隅にも存在していなかった。どこかで道を間違えた。そんな考えが浮かぶたびに、考えてはいけないと彼女は自分に言い聞かせていた。いまが一番いい。彼女はそう考えることにしていた。いまここでこうして生きていることに、彼女は感謝しないでもなかった。三十六歳で離婚をして、福祉の仕事について、資格を取り、驚いたことに、彼女は四十二歳で故郷の町を離れた。自分が元気ならこの先もたぶんこの仕事で生きていけるという自信はあった。給料の安い福祉の仕事だが、自分一人なら何とでもなる。手にした資格が、あるいは彼女に自信を与えていた。たったひとりでも生きていけるかもしれない。それはその通りだが、だからといって、心の多くの部分を占める寂しさが、持っている資格や仕事で埋められるわけでもなかった。自分の歩んできた道とこの先にある道を考えたとき、彼女は自分が手にしているものについて考え、ときに立ちすくむこともあった。
 彼女は暇なときyoutubeをよく見ていた。その中でこんな歌を見つけた。

 モダンな演歌のようなその歌は、まるでわたしのことを歌っているようだと彼女は思った。それを歌う歌手の容貌、メロディと歌詞、それぞれが異なる印象を持っていた。〈心ノ中ノ日本〉――つまり心中日本だ。心中、自殺ということか。どうしてそんなタイトルをつけたのか、興味があり、ネットで探ってみたが答えを見つけることはできなかった。それでも、タイトルはその歌が持つイメージを良く表現していた。何をやってもうまく行かないらしい男女がいて、袋小路の中でもがいている様を、妙に乾いた演歌風のメロディに乗せて、髪の長い歌手が朗々と歌っていた。歌手は声が良かった。そして、歌もうまかった。
 彼女は昔本気で自死を考えたことがあった。一度は子どもの障害に悩んだとき、一度は子どもが死んだときだ。
 一度目は、しかし、自分でもどこまで本気であったかわからない。二度目は、だが、本気だった。
 彼女の子どもには障害があった。幼児期の診断で医師から、障害がある可能性が高いと言われたときの恐怖は、今も生々しく彼女の中に残っていた。医師の言葉が間違いであることを願った。しかし、子ども――息子は成長するにつれて、明らかに発達の遅れが目立ち始めた。知的障害という言葉が重みをもち始めた。小学校に入ると、他の子どもたちのようにふるまえない息子は、いじめの対象になった。子どもたちの残酷ないじめにあい、息子はいつも泣かされて帰ってきた。その状況に変化が起きたのは、小学校四年――息子が九歳になったころだった。そのころから息子は急速に体が大きくなり始めた。知的障害があり、体こそ大きくなったが気の弱い息子はやはりいじめの対象だったが、ある時、追い詰められた息子が反射的に相手を突き飛ばしたのである。体が大きくなっていた息子の力は、予想外に強く、いじめっ子は弾き飛ばされ、倒れた。それまで無抵抗にただ虐められるだけの存在だった息子の、思いもよらない反撃が全てを変えた。息子は自分の力の発見に最初こそ戸惑ったが、すぐに、知らぬ間に体に宿っていた力を理解した。いじめはなくなったが、今度は息子が皆に対して暴力を振るうようになった。いったん火がついた息子は歯止めをなくした。特に怒ることではないと思われるようなことでも、突然怒り出し、暴力を振るった。体はどんどん大きくなった。力も強くなった。息子は箍が外れたように学校で暴れるようになった。父兄から苦情が出た。どうしてあんな子と一緒にいなきゃならないのか。どうして一般学級にいるの? どうせ勉強なんてわかんないんでしょう。聞くに堪えない差別的な罵倒を聞かされた。教師にも守ってくれる人はいなかった。お母さん、やはり無理ではないでしょうか。学校を出て行ってくれ。彼女は皆からそう言われているような気がした。いじめたのはそっちが先じゃないか。彼女は叫びたかった。もういい、誰もこの子を守らないならわたしが守るから。そんな気になった。だから彼女はおにぎりを作り、息子と公園に行った。あのときだ。ふと、死が心を過ぎったのは――公園には池があり、人工の小川が流れていた。人が少ない時間をねらって公園に行き、彼女は息子とおにぎりを食べた。彼女は、未来がないように思えた。あるいは、ここで二人が死んだらどうだろう。ひとり残される夫のことはもうどうでもよかった。息子に障害があるとわかってから、夫は現実に背を向けるようになっていた。死を考えたのは、もちろん、気の迷いだった。そのときは――。
 そして、十一歳の冬、息子は死んだ。交通事故だった。
 その前日、ちょっとしたことで彼女は息子を叱りつけた。それまで息子を強く叱ったことはほとんどなかった。しかし、あの日、彼女は苛々していた。それもひどく。息子に障害があるとわかってから、夫との関係はひどく殺伐としたものになっていた。息子を叱った前日も夫と息子のことで言い争いになり夫から、
「おれの血筋にはあんなのはいない」
 と、言われた。彼女の心が立ちすくんだ。いままで傷つけられることはずいぶん言われてきた。しかしその一言は、決定的だった。絆、などとは言わないが、夫とはまだかすかな糸でつながっている――つながっていたいと思っていた彼女だった。意識してそんなふうに考えたことはなかったが、心のどこかにそんな思いがあったような気がした。しかし、夫が言ったその一言は、それが現実なのだと、打ちのめすように彼女の心に響いた。糸が切れたと思った。あるいは糸などもうとうに切れていたのかもしれない。
 その翌日、息子がしつこくまとわりついてきた。虐待を受けやすい子どもというものがいる。親にしつこくつきまとい、
「ねえねえ」
 と、言ってくる。何かと思って聞いてみるとなにほどのこともない。そんなことが繰りかえされるうちに、親が切れて虐待、ということになる。彼女はそれを知っていた。だから辛抱強く息子につきあった。切れたところで何かが変わるわけではなかった。虐待をしたからといって、息子の障害が消えてなくなるはずもなかった。結局、受け入れるしかない。受け入れて、息子の身の丈にあった人生を、息子なりの豊かな人生を送ってもらえばいい。そう考えていた。しかし、その日、夫から――おれの血筋にあんなのはいない――と、言われた次の日、彼女はひどくいらついていた。昨夜の夫のあのひどい言葉が、胸に突き刺さったままだった。あんなふうに言われることはない。彼女は怒りとともに考えていた。あんなふうに遺伝子の問題にすることはない。息子に障害があったのは、誰のせいでもない。それは……そう運命なのだ。躱すこともできず、投げ出すこともできない運命だ。だが、あのとき自分の心に浮かんだ言葉――そっちこそどうなのよ。その言葉は結局、心の奥深くに秘められて、形を成すことはなかった。だが、考えたのは事実だった。いまを受け入れたつもりだった。でも、わたしはまだ息子の障害を受け入れることができずにいる。いまを生きることに覚悟を決めたはずの自分が、たとえ売り言葉に買い言葉とはいえ、夫に対して、そっちこそ血筋に障害者がいるんでしょうと、一瞬でも言おうとしたこと。わたしは差別している。
「ねえねえ」
 と、息子はうるさくつきまとってくる。彼女の中でそのとき、何かがぷつんと切れた。
「うるさいわね! もうほっといて! わたしだってひとりになりたいときがあるの」
 彼女は自分の声に驚いた。息子が殴られたような顔で彼女を見つめていた。わたし、何を言ったんだろう。彼女は言葉をなくし、息子を眺めていた。
 その翌日のこと、彼女は息子を連れてファミレスに出かけた。昨日のことを息子に謝りたかった。思わず息子を叱りつけた――いや、あれは叱りつけたのではなく、ただ自分の怒りをぶつけただけだ――あの後、すぐに謝ろうとした。しかし、できなかった。なぜできなかったのか、彼女にもわからなかった。息子は妙に大人しくなった。大好きなファミレスに行こうといっても、頷いただけで、楽しそうな顔は、少ししかしなかった。ファミレスに行って、好きなものをおなか一杯食べれば、きっと機嫌もよくなる。彼女はそんなことを考えていた。だが、本当はそんなことを考えていたわけではなかった。何かが壊れたことを彼女ははっきりと、そのとき感じ取っていた。もしかすると、息子との関係を修復することはできないかもしれない。彼女は恐れとともに考えていた。
 ファミレスの駐車場に車を入れた。二人一緒に車を降りた。車内で、息子は一言も喋らなかった。彼女が話しかけても、小さな声で返事をするだけだった。彼女は自分のしたことの罪の重さを感じ始めていた。息子の信頼を裏切った。ずっと一緒だと思っていた。この子を守るのはわたしだと思っていた。そのわたしがこの手で、信頼という名の絆を引きちぎろうとした。いや、ほんとうはもう引きちぎってしまったのかもしれない。
 車を降り、ふたりで並んで歩きだそうとしたときだった。息子が突然駆けだしたのである。突然のことに思考が追い付かず彼女は呆気に取られて、見ているだけだった。
 息子は駐車場の出入り口、その向こうにある車道に向かって走っていくように見えた。
「まって、危ない」
 彼女はようやく言った。
 息子が立ち止まった。息子はすでに、駐車場から歩道に出ていた。息子は振り向いた。彼女は笑顔を見た。なぜ笑ってるの。彼女は唖然として息子を見ていた。そんな晴れやかな、曇りのない息子の笑顔を見たのは初めてだった。息子の口がかすかに動いたように見えた。
「え?」
 彼女は何が起きたのかわからなかった。
 息子はまた背を向けた。そして、車道に飛び出した。
 走ってきた大型トラックが息子を飲み込んだ。


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