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行き過ぎの?早期教育に思うこと

上海人の友人と話しました。彼女の息子さんは一人っ子の2歳3 ヶ月。

もう半年ぐらい前から早期教育の教室に通っています。ところが、ほかにも、礼儀を学び、体力をつけ、運動で頭を刺激するという運動の早期教育の教室もあるようで、ご主人の意向もあり、そこへも通わせることになったから、ものすごくお金がかかる、これでは、一生かなり働かなくてはならない、と言っていました。

8ヶ月から入れる教室から通っている子は、やはり大人の話を聞いても理解が早いし、挨拶もちゃんとするし、とにかくいい子のような気がする、とも。

私はもう子育て終わりかけなので、そういう若いママの話には、あまり自分の考えは言わずに、「そうよね。大変だけど、してやれるうちが花だから頑張ってね。」的な返事を普段はするのですが、この時は、なんとなく

「いや、それそうかなあ」と言ってしまいました。

大人にとって扱いやすい子が”いい子”。それはいつまでも続くと問題で、思春期という時期にちゃんと自己主張ができる子に育っていけばいいのですが。

4人育ててきて思うのは、小さい頃は、ある程度親の意向に沿うようにしてきていても、中学生ぐらいになったら、その子が本来持っている性格や素質がメキメキと顔を出してきます。

親から見ると、「急に変わった」となるのですが、そうじゃないと思います、今となっては。そして、それは正常の発達の現れだと思います。

そうなったら、「こうした方が将来いいよ」というようなアドバイスは本来はしない方がいいでしょう。その子本来のものを 活かせるように、その子がやりたいように やらせてあげるのがいいでしょう。

でも、「何がやりたいかわからない」という子供どころか、大人だってそんな人はたくさんいます。やりたいものがわかるために、早期教育は必要なのか?

「いい子を見たら、あの子、賢いな、と思うかもしれないけれど、そんなの小さいうちだけだから。それよりも、その子の素質を見て、その子がやりたいことを見つけれるように 見守ってあげるのが大事だと思うよ。」と話しました。

「私と主人が道を作って、でも彼は、他の道に進みたい、というかもしれないし、でもそれはそれで仕方ない。」と彼女。

思うんですよね。親は、長く生きている分、子供に失敗をさせたくない、そして社会一般常識的に、”こうあること”が安定や幸せにつながる、ということを見たり、体験したりして知っています。

だから、やりたくて、道を作るわけです。それはそうしたら自分が安心、満足するから。自分がそれで安心するならすればいいのです。

だけど、いつかどこかの時点で、子供が「こっちじゃない。あっちに行くんだ。」と言った時点で、自分の想いは手放さなくてはならないと思います。

むしろ、今まで、子供は自分が望む道を歩いてくれたんだ、と子供に感謝するぐらいの気持ちで。

「こっちじゃない。あっちに行くんだ。」と言えるような子に育ったなら、それで子育ては二重丸じゃないですか?

これは、4人育てて、自省の念を持って思うことです。

私は、友人に、一点だけ見つめずに、もう少し引いて、おおらかに受け止めながら進んで欲しいと思って そんな話をしました。

とってもよくわかるから。自分も一人目、いや、二人目の時ですら、そんなことできなかったから。


これからの時代を生きる子供たちは、私たちの時と全く違うスキルが求められるのではないでしょうか。お勉強をよくして優秀な学校を出て大企業に入ってする仕事も、AIに代替されて行くのではないでしょうか?

これからこそ、”人間しかできない仕事”ができる人が必要とされ、それは成績の良さではなく、強い想いや個性を持った 少々とんがったような人材が 必要とされ残って行くのではないのかなあ、と思っています。

だから、行き過ぎた英才教育で、その子が持っている個性を尊重しない、そんなことにならないように と思ったから 話しました。

その息子さんは、かなりのツワモノで、だからママは大変なんです。でも、私からみると”将来が楽しみ”なんですよね(^_-)

と、今日は自省の念を込めて書いてみました♬

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