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羽田空港にて午前3時13分。

かりんごです。
とっても久しぶりのnote。
なぜ書くのか。

渡航2時間前

現在、2022年12月27日、午前3時14分。
私は今、羽田空港にいます。

これから、台湾に向かいます。
2週間ほどの小旅行。

コロナぶり。。。。。。
コロナぶり。。。。。。

もう3年前ですか。
2018夏~2019年夏の1年間、私は交換留学生として台湾に住んでいました。
留学の時間を通して、とってもとっても大好きになった”台湾”という場所。
そこに、私は行きます。久しぶりだなあ。

台湾の1年間

台湾での1年間は、1クール(3ヶ月)おきに分類できる気がします。

  1. 到着したて:本物の台湾、中国語に圧倒され、自分が勉強してきた台湾100%だと思っていたものが実際は現地の1%くらいであったことを思い知る。

  2. 3ヶ月:自分の話が中国語でできるようになる。だが、台湾人の早い中国語が聞き取れないため、うまく会話ができない。苦しい。ご飯美味しい。

  3. 6ヶ月:相手が話していることがわかるようになってる😭😭😭しかし、調子に乗るのも束の間。台湾人グループの中で会話をする時、繰り出される高速会話に唖然、わからんやん。。。ご飯美味しいな!?!

  4. 9ヶ月:友達もでき、台湾の文化「撩妹」にハマる。(キザな口説き文句)ちょっとした小話をYouTubeから仕入れては披露する毎日。ご飯美味しいいいい。

  5. 12ヶ月:帰国が迫る。やっと、やっと、楽しくコミュニケーションが取れるようになり、生活スタイルにも慣れてきたよ、、、でももう帰国。悔しい寂しい。いやだー!


こんな、1年間でした。
苦しく、孤独感、虚無感に苛まれる日々でもあり、
とっても楽しく、面白く、笑ってばっかりで、胸いっぱいに幸せを感じる日々でもありました。

台湾のもつ空気感、環境、文化、人柄、食など、
台湾生活を形成したすべてのものが大好きでした。

なぜ、私は日本に。

2019年の冬、コロナウイルスが地球に現れ、2020年はロックダウンイヤー。
世界中の人々が、目に見えないウイルスとの闘いを余儀なくされました。
広がるウイルスを止めるために各国が鎖国をし、海外に住んでいた人たちも自分の国籍の国に帰されました。

国家という括りで、闘った。

出国する難易度がかなり高くなりました。
私は「日本で頑張れ」というメッセージだと受け取り、
好きな地元でがんばろう。と思いました。

運がいいのか、失敗することはなく、そこそこうまく行きました。
苦手意識のある日本語や日本の常識に向き合い、馴染むような意識と努力を積み重ねてきました。

だんだん、焦燥感や不安が落ち着いた2022年でした。
同時に

台湾生活で感じていた幸福感やワクワク感が消えていました。気がつけば。

少しずつ体を蝕む病気かのように。老いとは、環境とは、恐ろしいものだと思います。
だから前には簡単に感じ、信じることができた未来への希望を
感じづらくなっていました。

耐えられない。耐えたくない。

その感情、状態、性質になりたくない。
もっと、ワクワクして、毎日が楽しくて、溢れるくらいの幸せを感じて、人のために何かしたくなる、何かできないか探す、神秘的で美しい愛情をもつ、

人間は、そんな動物であると台湾生活で知ったのです。
だから、諦めたくないんです。

その生活を、その環境を、その感情を。
できれば環境に頼らず、人にも頼らず、
自分が地を照らす太陽のようにそのエネルギーを降り与えられたら…
と思います。

愛情いっぱいの。幸せな。人間たちが住む地球。

そんな世界を作りたいのかも。しれない。
久しぶりの台湾。住むように、楽しんでこようと思います。

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