8.自分はどれにあてはまる?

自分のセクシュアリティみたいなものが何なのかと問われたら、一応は女性として生きていて、恋愛対象も男性だと答える。

でも、実際のところ、自分でよくわかっていない、言うのが正直なところ。ほぼ女性であり、恋愛対象もほぼ男性。

でも、もしも世の中に「中性」という性があったらよかったなのになぁ…と10代のころにも20代のころにも思うことはよくあって、30代になった今でもたまにそう思う。

7歳だか8歳くらいの頃に、同級生に言われたとある一言に深く傷付き、私の人生が揺らいでしまう。あの時から、自分は可愛くなれないのだなと思い込んでしまうのだけど、あの一言がなければきっと、コンプレックスに取りつかれることもさほどなかっただろうし、迷うことなく「女性」として生きていたと思う。(この話はまた別の機会に)

最初はその言葉に傷ついて、でも誰にも相談出来なくて、幼い私は「本当は男の子に生まれる予定だったはず」「男の子になりたい」「多分自分は男の子になるほうがいい」などと思い込んだほうが楽になれたのだ。しかしそんなことをしているうちに、その思考から抜け出せなくなるし、心の奥底にある「可愛い女の子になりたい」という気持ちもどう出せばいいのかさえわからない。出していいのかわからない。私、どうしたらいいの?と。


大学生の時、一人の女性に出会う。同世代のバイセクシャルの女性だった。

彼女は自分のセクシュアリティを家族にも友人にも隠すことなく生活しており、そして友人たちもそれを当たり前に受け入れて生活している。彼女の人柄なのか、同性の友人も異性の友人も多く、いままで私の周りにはいないタイプの人だった。

今は男性と結婚しているが、出会った当初は女性に恋していると話してくれた。当時、テレビなどで「性同一性障害」という言葉が出てきて、それからそういった話は関心事の一つだったが、実際に世の中の「普通」以外のセクシュアリティの人間に会うのが初めてだったので、とても新鮮だった。すごく、輝いて見えた。

そして、彼女と会う機会が増える中で、彼女に対して恋心のようなものが芽生えてしまう。正直、ものすごく戸惑った。どうしたらいいのかわからなかった。しかも、あれだけ「男性になりたい」などと思っていたのに男性として彼女を好きになったわけではなく、女性の私が女性である彼女に惹かれているのだ。

それまで、恋心を抱いていた相手の多くは(男性も含む)今思うと、なりたかった自分、憧れのような感じだったのだな…と思うことが多い。

実際、好きだけど付き合いたいとか結婚したいとかそういう願望はなくて、「憧れ」というワードがしっくりくる。彼女に対してもそういう部分が大きかったのだと思うが、彼女が旦那さんと結婚する前、恋人として紹介したとき「あーこの二人結婚する気がする」などと思って複雑な気持ちになったし、実際数年後に二人は結婚するのだが、友人としては祝福する気持ちの反面、物凄くショックでしばらく引きずったので、恋心もあながち間違いではなかったのかもしれない。


年齢を重ねていくうちに、自分が本当に男性になりたいのか、中性的でありたいのか、カッコいい女性になりたいのか。それとも「女性らしい」女性でありたいのか、自分でもよくわからなくなる。ものすごくブレる。

(その前に、自分に対して全く自信がないので、どれにも自分からは遠い存在のような気がする。)

やっぱり、男性になりたいという気持ちは思い込みだったのかな?とも思うのだが、年に何度かはスカートなどの女性らしいものを身に着けたり、そういったものを所持するのが本当に嫌になる時期がある。職場の制服がスカートなのだが、物凄く落ちつかない。ショート丈のスカートに隠れるレギンスを穿いてどうにかごまかしているが、女装をしているかのような気分になるのだ。この時は夢の中の自分も男性になってしまう。(あ、“ついてる”って毎度思う笑)

少しずつそういった機会は減っては来ているが、まだ無くなりはしない。

ちなみにこういう時期は性的な好みが全く変わってしまう。普段よりも女性が気になるし、女性と恋愛がしたくなるし、男性の好みも変わってしまう。

かと思えば、スカートばかり着たくなって、可愛いものばかり集めたり目が行ったり、そんな時期もある。いや本当にこの温度差がすごい。

昔はこういうことに物凄く振り回されて悩んでしまっていたが、30代になってから色々囚われすぎてるな~などと考えるようになり、こういうセクシュアリティの話は普段誰かに話すわけではないからもっと肩の力を抜いてもいいのでは?と思えるようになってからは、ちょっと楽になった。

今のところ結婚願望もないし、表向きは私は「女性で恋愛対象は男性」でも困ることはないし、自分が女か男かとか、恋愛対象がどっちなのかとかハッキリさせる必要もないし、別にいいか~~~と。

(ちょっと話は逸れるが)ただ、この歳で恋愛もせず結婚もしてない、などというと憐れんだような目で見られることが多い。

結婚に興味がなく、子供もほしいと思っていないと言うと、負け惜しみだと捉えられるし、あとで絶対子供欲しくなるよ、早く結婚しないと手遅れになるよなどと言われる。

(正直、プライベートな部分に踏み込み過ぎだし、デリカシーがなさすぎる。めちゃくちゃ失礼なことを言っているのだと自覚してほしい。)


最近、BGLTQの話題を目にすることが増え賛否両論あるが、私はとても救われている。深く踏み込むつもりはないのだけど、セクシュアリティについてフラフラしてたり「よくわからない」という感情は間違いではない、と思わせてくれる。

まだまだ世の中は「男性」か「女性」か、そして「異性愛」が普通とされていて、それ以外はおかしい、排除などという風潮がなかなかなくならない。

人それぞれ考え方は違ってて、否定する考え方をおかしいと言ってしまうのも良くないなぁとは思うけど、平等な権利があってもいいはずのところが傾いている。傾いていることが当たり前すぎている。でも、その「当たり前」のことを手に入れられない人が沢山いる現実。

否定するのは簡単で、受け入れるのは難しいのはよくわかっているけども。知らないうちに、目の前の誰かが傷ついているかもしれない。

「傾いている」と気づけたのも、こういう自分があったからかもしれなくて、まぁ良かったかなと思えている。

私が今望むのは、今の時代に生まれた子どもたちが、この先生まれてくる子どもたちが、大人になるまでに少しでもこういった悩みを抱えたとき、セクシュアリティの面でも「多様性」が当たり前に受け入れられるような世の中になってほしい、と思う。


そういえばバイセクシャルの彼女、昔『どちらも愛せるって幸せ』などと言っていた。

今のほうがその言葉にグッときてしまう。

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