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依存時代の失恋

こんにちは!渡辺サヤです。今日はまた昔話ね💛

20歳前後の私は依存的だった。
10代から付き合っていた彼のことが死ぬほど好きだった。
彼は、家庭環境が複雑で兄弟が多い長男、貧乏で苦労していた野球少年だった。
逞しいし、面倒見の良かった彼と付き合うにつれて、もう彼氏が居ないと生きていけないような女の子になってしまっていた。
仕事も彼との結婚資金のためで、早く辞めたかった。
彼と結婚して専業主婦になるのが当時の私の夢だった。

付き合う年数が経つにつれて、彼の機嫌が悪いと不安になって泣いて怒ったり、無性に浮気を疑って飲み会の最中に電話したり、電話やメールを沢山くれない彼に対して情緒不安定になった。

彼は、私に対して不安になることが全く無さそう。それに比べて私は・・・

当時の彼は、恋愛よりも、奨学金で大学に行くことは決まっていたが、入学金が払えるのかどうか不安だったのだ。家庭教師先の子供のお母さんと食事に行ったり、お小遣いもらったり、お弁当を作ってもらったり、飲食店アルバイト先の先輩の家に泊まったり、まかないで食い繋ぐ日々。。
忙しくて、私と会う時間は少なく、いっつも寂しかった。

***
初めて浮気されたときは泣いて怒った。
でも、大好きだったから別れられなかった。友達にはさんざん別れろって言われたけど、彼と別れたら死んでしまう!って思うほど好きだったから。

そのうち、彼は浮気しても私のことは切らないし、ワガママも聞いてくれる。私って特別に家族みたいに思われてるのかもしれないと思えるようになってきて、彼の浮気に慣れてしまった。
「彼の心は私だから!」そう自分に言い聞かせていたようにも思う。
イケないってわかってはいるし、友達にも言えないけど。。

そんな関係が進むにつれて、彼の言葉の暴力がエスカレートしていき、泣いて喧嘩する日々。
劣等感や罪悪感を刺激されるようなことを沢山言われては、傷つき、泣いて怒る、そんな私に彼が余計にイライラして、最終的には暴言。
暴力こそ無かったが、それに近くなるような行動はあり、全く優しさなんて見せてくれなかった。

デートDVとかモラハラとか・・・
その頃ネットで検索したのを覚えているが、彼と別れる気なんて全くなく、結婚さえすれば、一緒に住めるから、毎日同じ家に帰れるし、仕事も辞めるからストレスも無くなり、今よりも安心して暮らせるって信じていた頃。

沢山逢えなくて、ずっと寂しくて、我慢我慢の日々・・・
やっぱり死ぬほど彼が好きだった。

***

その後、彼が大学を無事に卒業し、就職して2年後、、さあやっと結婚できると思っていた矢先、1年二股をかけられて振られた。

依存的だったから、当然ボロボロ・・・普通に生活もできなくなって仕事も辞めてしまった。
「失恋して仕事も辞めるなんてねー」って同僚や友達に言われる度に傷ついた。
でも、仕事を辞めたことが後になって余計に自分を苦しめたように思う。
当時がんばっていたことって、恋愛と仕事でしょ?それがいっぺんに無くなってしまったのだから、、
「自分が頑張ってきたことが全て無くなってしまった」
「私は今までの人生何のために我慢して頑張ってきたのだろう。」
そんな思いが自分を苦しめたし、彼に対する怒りや恨みもおさまらなかった。
「踏み台にされた!」とさえ思っていた。
あんなに尽くしたのに、あんなに我慢したのに、クリスマスも年末もいつもバイトで忙しくて会えなかった彼は、就職しても私と過ごしてくれたことはなかった。7年間、彼と年越し出来る日が来ることを夢見ていたが、叶うことなく終わってしまった。
自分が可哀そうで、惨めで、1年経っても泣かない日は無く、その後、新しい仕事に就いても職場で思い出してはトイレで泣く日々。。
電車に乗れば自然と涙が出て、夕焼けを見れば勝手に涙が出た。
情緒不安定だったと思う。ひたすら泣いていた。
普通に生活できるようになるまで2年かかった。
彼との別れを受け入れて、前に踏み出そうって少しづつ思えるまで、本当に苦しかった。

そう、当時は苦しかったなあ。。
42歳の今ではツッコミどころ満載な当時の自分を理解できるけれど。
あんなに苦しかった当時のこと、思い出すとやっぱり涙が溢れるけれど、自分を愛おしくも思う。
胸が痛くなるけれど、微笑みがこぼれるようなそんな感じ。
当時の彼にごめんねって伝えたいような、、
全てが良い思い出だなあと思える。

***

だから、失恋して、辛いよー!って泣いている人。
特に長く付き合った彼を忘れられないとか、そんな人。
諦めないでね(^_-)-☆

日にち薬が効く前のまだまだ苦しい時間、このブログが目に留まり、少しでも辛い気持ちが紛れる時間を作れたなら幸いです。

がんばってね💛
湘南から、渡辺サヤでした(^^)


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