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ミドサー女は身体のメンテナンスとどう向き合うべきか、真剣に考えてみる

きっかけ

私がミドサーになって「私は結婚した方が良いタイプだ」と思った理由は様々あるのですが、そのうちの一つが、30代の周りの女性たちを見ていて、「身体のメンテナンス(美容医療など)にお金をかけ過ぎでは?」という疑問を持ったのも、大きいと思います。この記事では、私がその疑問に対して一人で出した仮説と、最近結婚してようやく出せた結論までの一連をまとめてみました。


問い

美しさを保つことは、マイナスをプラスにする作業なのか

30歳を超えると、美容医療に課金する人がどんどん増えていきます。老いに抗いたい気持ちも、いつまでも美しくいたい気持ちも分かりますが、私自身はマイナスをプラスにする作業になぜそこまで投資するのだろうか、と考えていました。年相応の美しさ、というのがあったとしても、メンテナンスしている人としていない人とでは、雲泥の差があります。美しい方が何かと得をするし、お金もかけたくなりますよね。やり始めるとやめられない、という側面もあると思います。でもそれって、どこまでいっても自分のため、自己投資にしかならないように、30歳になりたてくらいの私は感じました。

仮説

これからは、心の美しさにフォーカスすべきではないのか

もし結婚していたら、夫や子どもなど、誰かの投資に使えたはずのお金を自分に使うことが私の中ではピンとこず。お金を稼ぐ理由も、私が稼いだ分は自分ではない誰かに還元する、という気持ちが強くありました。日頃お世話になっている家族や友達と楽しい時間を過ごすのに使ったり、微力ながら、国内外問わず被災した人や動物、恵まれない子どもに寄付するようにしています。とても抽象的ですが、30歳を超えると、自分のためだけに時間やお金を使っている人よりも、誰かのために時間やお金を使っている人の方が内面的な美しさが滲み出てくるように思っていました。

結論

健康で美しいということは、誰にとっても必要なこと

ただ、徐々に分かってきたこととしては、「美しい女性が職場にいると癒される」ので、メンテナンスは決して自分だけのためではないということです。男性に対してだけではなく、一緒に働く女性に対しても活力を与えてくれる存在だと感じています。そして最近、自分の身体に対して無頓着な私を見て夫が「自分が一番あなたを見ている時間が長いのだから、キレイでいてほしいし、身体も自分一人のものではもうないのだから、大事にしてほしい」と言い、とても腑に落ちました。周りの人のためにも美しくあること、身体を大事にすることは意味があることだとようやく結論が出せました。

余談

素顔の自分の美しさを整えながら、愛でていこう

それぞれ別の友人から聞いたことだったように思いますが、孔子が「30にして立つ」といったように、30歳というタイミングで人は自立し、顔もはっきりとその人らしい顔になるのだそうです。それを聞いた20代後半の私は、「30歳を超えた自分の顔も悪くない」と言えるように、どういう自分でありたいかを問い直していたように思います。そして33歳というタイミングがもっとも幸福度が高まりやすいというデータも見かけたのですが、スピリチュアル的にも前世の記憶から解き放たれ、本当の自分になるという考え方があるそうです。そういったことを踏まえると、これから先は、外見内面問わず、「素顔の自分の美しさ」を意識して整えながら、愛しながら、過ごしていきたいなと思います。


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