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ワールドカップの振り返り・考察と日本代表の今後について

アルゼンチンの劇的な優勝で幕を閉じたFIFAワールドカップ2022。
日本代表はラウンド16で敗退し、結果、監督、PK戦などについて様々な論争が巻き起こっている。

この記事ではまずワールドカップというコンペティションの特性を整理し、今大会で私が注目したいくつかのトピックに触れ、最後に日本代表に対する評価と今後求めることを提示出来ればと考えている。

ワールドカップ、ナショナルチームの条件

①活動期間が限られる

多くの欧州トップレベルのクラブチームは、戦術的ピリオダイゼーションに基づいた強化を長期間行うことでゲームモデルの完成度を高める。一方、エコロジカルメソッドによって自己組織化を促すチームもある。

どちらのアプローチも競争力を高めるには長い時間を要する。ナショナルチームにとっては、確固たるゲームモデルを築き、常にその土俵に相手を引き摺り込んでゲームを支配することも、様々な状況に対して素早く適切に解決できるようになるほど集団の相互作用を高めることも困難なミッションだ。

②最長1ヶ月間の短期決戦

シーズンを通したリーグ戦を戦うクラブチームは平均出力を高めて安定的にポイントを重ねる必要がある。一方で、トーナメント形式の短期決戦では出力の最大値をいつどのように発揮するかが重要になる。

そのため、戦略や作戦といった階層が差異になる。また、一発勝負では自分達よりも相手に向ける矢印が強くなるので試合中の采配の重要度も増す。

この傾向はリーグ戦の頂上決戦やチャンピオンズリーグのノックアウトステージでも見られる。

③他のチームからの補強が事実上できない

クラブチームはフロントや監督の志向に合った選手を補強して編成を整えることが可能だ。一方でナショナルチームの選手の質向上や育成の方向付けは、10年以上の単位での育成年代からの改革を要する場合がほとんどだ。

フランス、ドイツの改革が代表例だが、今大会ではイングランド、そして中堅国のエクアドル、カタールもトップダウンに育成改革に着手した成果が出ている。

④検証を4年に1度しか行うことができない(?)

ワールドカップでの内容・結果をKPIとすると4年に1度の仮説・検証になってしまう。そのためどうしてもクラブサッカーよりも不確定要素が強めの指針決めにならざるを得ない。

プロセスに対する評価がワールドカップの結果に引っ張られることは好ましくないと思う一方で、クラブチームのような文脈を有していない以上は4年間が物語の区切りになってしまうことは仕方ないとも感じている。

今大会で感じたこと

注目国の失敗と原因

スペイン/ドイツ/スイス/デンマーク/アメリカ/カタール
親善試合やネーションズリーグを見る中で、はっきりとしたゲームモデルが存在しており、原則が徹底されているように感じたチームに注目していた。

しかしこれらの国々は全て早期敗退してしまった。他に再現性高いチームを作っていたエクアドル、カナダも同様だ。

スペインの日本戦が象徴的だが、彼らの取り得る戦術の幅はごく狭いものであるため相手にとっては予測可能。対策を上回るほどの完成度は持ち合わせておらず、構造的な弱みを戦略的に突かれてしまう脆さがあった。

普段トップレベルのコンペティションを経験していない選手が多いチームは、強度が上がることで個人の技術や集団の意思共有の脆さが発現したり、再現性が属人的なものであったりと、「日常」に起因する問題が発生した。

また、EUROやネーションズリーグで一定の成果を収めたデンマークとスイスは相手の振る舞いやゲームプランに依存した戦い方な部分があり、想定外の展開に対処出来るパワー(盤面を動かす強引な手段)を有さなかった。

アメリカはポジショナルプレーの原則を身につけた上で選手個々のZOCの広さを活かしたサッカーを展開していたが、原則に忠実なあまり「相手」を攻略するには至らなかった。

チームを捉える際に、再現性が高いかどうか、という点は「戦術的」な見方として一つの正解だろう。しかし、原則を細かい部分まで落とし込むと再現性が高くなり、勝つ確率も高まる、と思いきやそうはならなかった。

本来、ゲームを重ねて様々な相手と対峙することで、原則の中で相手に対応する選択肢が増え、どんな状況でも秩序立った振る舞いが出来るようになる。戦術を遂行するクオリティを高めたり手札を増やしたりするには時間とゲーム数が不足していた。

原則とアドリブの間で

一方、ベスト8以上の国々は前述の国々と比べると決して再現性が高い戦い方をしているわけではない。だからと言ってカオスでオープンな戦いを好むわけでも、ゲームの支配を放棄しているわけでもない。

指揮官は個の力の最大化を図るための最低限の原則を与え、特に攻撃は手間の相互作用に任せているように見える。後はマッチプランの策定と試合中の采配、コンディショニングとモチベートに徹しているように見える。

(例としてアルゼンチンは非保持の陣形は毎試合調整するものの保持は後方と外枠のサポートを充実させ、エンソやパレデスに頼った前進、中央はメッシ起点の相互作用に頼っていた。)

マクロな弱点があるチームもなかったと言えるだろう。サプライズ枠とされるモロッコも451ブロック一辺倒ではなく華麗なプレス回避と展開を何度も見せてフランスゴールにも後一歩だった。

どのチームもコントロール出来ないカオスの発生は嫌い、意図したトランジションを起こせるほどの強度と高次元の意思共有までできるチームは無く、クローズドな中でお互いの保持vs非保持という構図がはっきりとしていた。

そのため毎試合、お互いの出方を探り合い、ピッチ内で振る舞いや配置を変化させてミクロな駆け引きを行なっていた。構造的な弱点をいかに突くか、個人の質やユニットの創造性をどのように活かすかというゲームになり、ベスト8以上の試合は全て限りなく互角に近かった。

差異を生んだのはモドリッチ、グリーズマン、メッシ。MVP級の活躍を見せた彼らはボール循環の中心となって自由にピッチ内を動きながら相手を観察し、周囲の選手を繋ぐ司令塔としての役割と決定的な仕事を両立させた。彼らを支えたブロゾビッチ、ラビオ、デパウルも評価を高めただろう。

・マクロな弱みを突かれないようにチームの枠を作る。
・個やユニットの能力や連動性を高め、最大限発揮させる自由を与える。
・試合中には局地的な優位を探り、采配によって状況を変化させる。

これらをハイレベルでこなすことがナショナルチームがワールドカップを勝ち上がる条件なのではないだろうか。

原則に縛られることも、自由を与えすぎてカオスに陥ることもなく、その間で各チームなりの良い着地点を見つけること。これが4年間の中でも大会の1ヶ月の中でも求められ続けるハイレベルなコンペティションだと言える。

日本代表

ラウンド16以前に敗退したチームと8強以上のチームの差から日本代表についての評価と展望をしたい。

日本代表を巡って論じられていることとしては、
・采配、奇襲は見事
・コスタリカ戦に象徴されるように保持局面に課題
・ぶっつけ本番では再現性がない

といったところだろうか。(PK戦については触れない。運だけではないと思うが現場でしかわからない部分が大きすぎる。)

委任戦術とは

そもそも考えなければならないのは、様々な媒体で報道されているように、森保監督は戦術の策定に関して選手達にある程度権限を移譲しているという点。エコロジカルなアプローチに近いものがあると考えられる。つまりそもそもゲームモデルも、トップダウンの戦術も存在していないのだ。

戦略や作戦ベースの方向付けをスタッフ人が行なった後、実行フェーズにおいては選手達が事前に、あるいは試合中に話し合って意思共有することを期待されている。

再現性を求めたり、4局面のフレームを使った分析を行なっていては日本代表の問題点を捉えることは困難だと考える。そもそもそういった意図も持っていないし整理の仕方も異なるだろうからだ。

エコロジカルなアプローチの例として制約主導型のトレーニングを積むと試合中の集団での状況解決を早く正確に出力して共有出来るようになる。しかし、その次元に至るには長時間を要するし、トップダウンに与える原則との間で適切なバランスの着地点を見つけることは難しい。

ただでさえ時間の足りないナショナルチームで採用するのはハードなアプローチな上に、日本代表は育成も、所属するクラブチームも、選手達の経験してきた文脈がかなり多様な部類に入る。そのため、着地点を探るコストが非常に高いと感じられる。

それでもこのアプローチを採用している理由は恐らく、試合に応じて求められる振る舞いを戦略の枠組みから大きく変化させることで相手の弱点につけ込むということなのだろう。

試合ごとの振り返り

実際に選手交代によって戦略から大きく変化させる作戦を実行し、相手を混乱に陥れて勝ったのがドイツ戦とスペイン戦だ。前述の通り、ドイツやスペインはゲームモデルがはっきりしている分、構造的な弱みを狙い撃ちすることができたのだろう。彼らにとって奇襲とは相性が悪すぎた。(ドイツ戦は盤面をはっきりさせて真っ向勝負にしたことで、結果的に権田の活躍もあり次の一点が日本に転がり込んだに過ぎないと考えることもできるが)

クロアチア戦で見られたように、試合中の状況解決策を出力することを手助けしてくれる原則が存在するチームの方が駆け引きの質も速度も、意思共有も日本を上回る。その上、いざブロック守備を選ばざるを得なくなった中でトップの選手が浅野では求められるタスクと彼の特性がマッチしていなさすぎる。

つまり、戦略の変化もピッチ内で話し合って振る舞いを大きく変えるというよりは、結局のところ配置変更や選手の交代といった「采配」に依存している。

保持フェーズの話

そして問題のコスタリカ戦。保持局面の課題が浮き彫りになったと見ることもできる。が、そもそもコスタリカの受動的な5−4−1は崩すことが困難な上、スペインとドイツの結果が出ていない以上は意思共有が難しい状況だった。

ドイツ戦が賭けに勝ったに過ぎないと評価した以上、コスタリカ戦の敗戦も結果的に敗れたがお互い合意の上でのスコアレスドローが妥当なゲームだったと評価したい。

ポジショナルプレーの原則を身につけて再現性を持ってビルドアップから貯金を紡ぐことが出来ていたチームは先ほども述べた通り、それ以上の幅を出すことは出来ていなかった。今のアプローチ手法のままで保持も仕込め!と要求するのは無理があると考える。

エコロジカル的なアプローチを採用するという前提に基づいた立場に立つと、ベスト8以上の国々との差は個人の問題。つまり、CBが貯金を作れないことや崩しのアイデア不足などに帰着する。

委任戦術の是非

立ち返って委任戦術の是非を問うならば私は「非」の立場に立つ。

これまでの文でも指摘したが、エコロジカル的なアプローチには時間がかかる。育成からカルチャーが統一されているわけでもないし、選手達は様々なリーグの様々な志向のチームでプレーしている。

つまり、相手に矢印を向けること自体は間違っていないが、日本がエコロジカル的な方向性で求める結果を残すことは難易度が高すぎる。

強豪国は選手達の育成年代からの経験や日常の文脈がある程度共有できている上、ゲームモデル的な考えの中で個の力や相互作用を発揮させるため敢えて余白を作っているに過ぎない。トップダウンを前提としているかボトムアップを前提としているか。同じ余白でもその余白が生まれる過程が異なる。

であれば、まずはゲームモデルを作成し、それを実現するための原則を身につけ、共有する。そして経験を重ねることで戦術の幅を増やし、身につけた幅の中からどれを出力するか相手に応じて適切に速く選んで実行出来る次元にまで持っていく。

それが、時間はかかるが一番確実で財産になる道なのではないか。余白を作り、駆け引きや個の力で勝負するフェーズにはまだ突入していない、ということをベスト8以上の国々と比較しての差として突きつけられた気がしている。

森保監督続投について

森保監督が続投濃厚ということは、エコロジカル的なアプローチを継続することの現れだろう。また、その方向性であれば彼以上の適任はいない。(トゥヘルを招聘出来る場合を除いて。無理でしょう)

であればどのような部分に上積みを期待出来るだろうか。前述の通り、選手の質向上は手っ取り早いが、森保監督が大きく影響を与えられる部分ではないだろう。

東京五輪と今回のW杯を経験したメンバーの積み上げてきた共通認識や相互作用をコアに据え、様々なメンバーや配置を経験させることが肝要になる。状況解決のための集合知を蓄積することで、本番で最適解を出力する速さと確率を高めたい。

期待したい点としては、その駆け引きが出来る最低限のマッチプランを与えてあげること。相手の出方を予め情報として与え、初手を決めておくことで試合中に考え、意見する時間の質が向上するのではないか。

アジアカップのトルクメニスタン戦のように相手のバックラインの枚数すら情報がない状況で試合に臨むのは極端すぎる。試合を使っての成長を最大化する。それはエコロジカルなアプローチから外れていないしむしろ本質ではないだろうか。

方向性そのものに対する私のネガティブな見立てを超えるような選手の成長や監督の手腕を見せて欲しいと切に願っている。

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