「体育会的社会」への鬱屈
タイトルについて適切な、というか綺麗なタイトルが思いつかなかったのだが、前回のnoteを執筆した後に社内で私の鬱屈を感覚的に共有してくれる先輩と話していて、社内での鬱屈に一つの方向性が見えてきた。それはいわゆる「体育会マインドへの反発だ。「いわゆる」と但し書きを付けたのは自分が体育会的組織への苦手意識は偏見によるもので実体験に基づいたものではないからだ。
そして2作品続いて使った「鬱屈」。このワード自体は、精神的に荒れていた高校・浪人時代を過去のものとして消化できるようにな