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未来のためにできること… 映画再利用のご提案! (髙橋佳里子が発信中。よろしくお願いします!)

●『かぐやひめ』が泣いている
『未来のためにできること…』と問われて、真っ先に浮かぶのは『かぐやひめ』のことだ。まずは、下の写真を観ていただきたい。長年、我が家に眠り続けるこのものたち。彼らの命が朽ち果てる前に『どうしても何とかしたい!』のだが、そんな思いをどこへつけたらよいのかわからぬまま、製作から半世紀以上の歳月が過ぎ去っている。

韓国語版は16ミリが残っておらず、原版から現像して、デジタル化するしかない上、音と映像が別物!
ヒンズーは宗教の名前で、正しくはヒンディー語。
そうしたこともあまりよく知られていない時代だった。
 アラビア語版『かぐやひめ』のクレジットとタイトル。16ミリのプリント(原版から現像済みの音声入り、映写機で映し出すもの)が遺されていたので、時間と費用を費やせば、デジタル化できる。まずはこれが当面の目標!

●EXPO’70  日本文化を海外へ…         2015年、『かぐやひめ』はアメリカで初上映!

ジャパン・ソサエティの子どもの日のイベントで、平和を願う映画として『一寸法師』『かぐやひめ』が選定され上映された。長崎原爆を経験する父にとって日米の同時上映は嬉しく、病床からメッセージを送ったが、開催直前に肺炎のために他界。思い出のホテルでの祝賀上映会は急遽、追悼上映を兼ねての開催となったが、父の申し付け通り、「日米同時上映を祝う会」の文言はそのまま遺された。

 1972年、『かぐやひめ』(監督:髙橋克雄 作曲:林光 プロデューサー:庄司洵)が製作された時代には、海外から日本へ移住する人々はまだとても少なかった。EXPO'70大阪万博の後、『かぐやひめ』は専ら日本の文化を海外へ紹介する目的で、12ヶ国語版のナレーションとタイトルを持つこの日本最古の物語『かぐやひめ』の映画は、世界42カ国の大使館、日本人学校などへ配給されていた。日本国外務省により企画された映画であることも珍しく、企画責任者の署名欄には戦後の外交を支えた外務次官、柳谷謙介氏の直筆サインと印が押されている。柳谷氏は後に現在の天皇陛下のご結婚をとり持たれた人物としても著名な方。外務省ご退職後は長年、成城学園の理事をされていたと記憶する。ご存命なうちに、お世話になったお礼と『かぐやひめ』復活へのお願い、ご相談に伺うべきだったと後悔先に立たず…とにかく、制作から60年以上の歳月が経ち、かつては「外務省映画」として高い評価を得て、皇室外交の手土産品にもなっていた優雅で格調高いこの『かぐやひめ』が、現在、写真のような傷ましい姿となっていて、身内の私は日々、胸の痛い思いである。
スタジオで生まれ育った私にとって、両親がつくった作品たちは、長年、一緒に過ごす家族のような存在で、両親亡き後は、なおさら愛おしく思えてならない。フィルムが劣化していく特有のあの酸っぱい臭いがいつ漂ってくるかもしれず…缶の蓋を開けるのも恐ろしく、早く何とかしなくては!と、ただ焦るばかりだ。

●『かぐやひめ』、京都へ…

『かぐやひめ』の翁の舞の場面。手前の手すりは手づくりの舞台セットだが、本物と見間違うほど精巧。京都国際映画祭2019での大江能楽堂での上映は、京都を舞台とする父の『かぐやひめ』の魅力を最大限に活かしてくれた。

 スタジオで生まれ育ったと申し上げた通り、 『かぐやひめ』の監督は私の父、映像作家の髙橋克雄、製作者は母、富美子(庄司洵)である。EXPO’70大阪万博の5年ほど前、父が万博の映像制作プロデューサーに選任されると、両親は海外諸国に日本の産業や文化を紹介したり、国際外交に役立つJETROの「万博映画」を何本も製作した。そして、大阪万博開催後、その集大成ともいえる『かぐやひめ』の製作が始まった。これまでの経済産業省ではなく、外務省自らの企画。最初から海外へ配給する目的で制作するので、日本語版は製作しないでいあ、ということだった。英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、中国語、韓国語、アラビア語版、ヒンディー語…他、ナレーターは世界各国の有名俳優、女優さんたちで錚々たる顔ぶれ。多言語版を持つ「マルチリンガル映画」となった。父は生前、英語版を自力でデジタル化していたが、他界後、京都の「おもちゃ映画ミュージアム」の太田米男先生が日本語字幕版を製作してくださった。「京都国際映画祭2019」「京の映画」京都ゆかりの映画特集で大江能楽堂で『かぐやひめ』が上映された際には、本当に映画から翁が抜け出て、能を舞っているような錯覚に陥るほど能楽堂の舞台と映画の舞台が見事な調和。姫の表情も生き生きと、輝かしく、そして悲しげに、人形アニメーションながら人形に魂が吹き込まれたように観えた。もともと父の『かぐやひめ』は、京都御所を舞台としているので、京都での上映は『かぐやひめ』には里帰り。ラストの特撮と林光氏の鬼気迫る音楽が圧巻で、舞台を観ている観客も皆、『かぐやひめ』の世界へ吸い込まれて行くかのようであった。

●『かぐやひめ』、色褪せてもなお…

  しかし、映像は容赦なく日に日に色褪せていく。先日、日本アニメーション協会の公式イベント「Into Animation 8」で国立新美術館で上映された際にも日本語字幕版が上映されたが、父の最も得意とするハーフミラーを使っての特撮部分が見事に褪色! 透明で何重にも輝くはずのラストシーンのキラキラは微塵もなく、真っ白くポワポワに…。それでも観客の皆様から大きな拍手、『きれいだった!』と感想をいただき、涙が出た。製作から半世紀以上過ぎても、この作品に込められた両親や寝ずに製作に取り組んだスタッフたちの強い思いが映画からのメッセージとして、観客の皆様の心に届いたことが何より嬉しかった。…が、しかし、上映後、我が家に帰るとまたまたこのものたちが『カリちゃん、早くなんとかしてね!』と叫んでいる。『頑張るからね!』と言いつつ、この状況下、私は一体、未来のために何ができるだろう。「未来のためにできることをする…」だけではなくて、「未来のためにできることをできるようにする…」ということまで考えないと、『かぐやひめ』に未来は来ないのではないか?『そう、未来は待ってるだけじゃダメなのよ、カリちゃん』と母の声が聞こえる。『かぐやひめ』の未来のため…?いやいや、そうじゃない。『かぐやひめ』が生き返ることで、誰かの未来が明るくなるように…!大事なのはそこ!と、何か見えてきた気がする。

●『かぐやひめ』、救出大作戦、とは…

   私は父のスタジオを卒業した後、長年、教員をしながら二足の草鞋で、両親の製作した作品の上映&トーク活動を続けている。気がつくと還暦をとっくに過ぎ、後継者もいないので、この先、このものたちの行方を案じて頭を抱えてしまう。
  『原版(げんぱん)命!』と母は父の作品の原版を生涯、大事に保管して守っていた。「映画(フィルム)の原版」と言っても若い方にはサッパリ思い浮かばないだろう。ちょっと説明すると、デジタルになる前、フィルム撮影の時代には、カメラで撮影した映像と録音した音声がまず別々な代物。今でこそ、簡単にスマホでアニメーションも撮影できる時代となったが、80年代前半まで、写真の焼き増しと同じように映画にもネガがあって現像に出さないと映像が見えない、編集しなければ映像と音声が一緒にならない、そんな時代が確かにあったのだ。海外への配給と皇室の手土産品の『かぐやひめ』も当時は16ミリのプリントで霞ヶ関にお届けした。母の大事にしていたこのものたち、『かぐやひめ』だけでなく、父のあらゆる作品の原版が我が家にどっさり遺されている。その中で一際輝くのが国から生まれた『かぐやひめ』…お育ちや家柄?いやいや、父の作品はどれもそれぞれに特性があってどれも大事なのだが、やはり何かしらこの『かぐやひめ』には特別なオーラがあるように感じてならない。しかし、今のままでは、父の特撮も林光氏の優美で荘厳な音楽もあの世行きでお陀仏だ。おまけにこの殺人的猛暑!『かぐやひめ』が悲鳴をあげて、このものたちが消えてしまう前に何とか助け出さなくては…!というわけで、『かぐやひめ』救出大作戦を考えるに至ったが、さて何から始めよう…?そうだ、父の『かぐやひめ』の原点は何と言っても天下の霞ヶ関!国から生まれた『かぐやひめ』!ということで、外務省、文化庁、文部科学省など、国の助けを求めることにして、早速電車でGo!

●『かぐやひめ』と霞ヶ関の微妙な関係…

 霞ヶ関へいざ行かん…!と、意気揚々、電車に乗ると、車内にはモスクへ向かうイスラム系の子どもたちとお母さんたちのお喋りがアラビア語で飛び交って何やら楽しそう。頭にインドのターバンを巻いた男性たちはヒンディー語。いろんな国からいろんな人が日本に移り住む今日この頃。そうだ、『かぐやひめ』の時代から半世紀が過ぎ、今の日本には海外からの移住者が猛烈に多い!昔のように海外への配給ではなくて、国内へ配給、いやいや、今や配信でしょ! と、閃いた。電車の中だけでなく、学校の中でも海外からの移住者の子どもたちが以前よりはるかに多くなっている。
そういえば私の教え子の中にも、日本語がまったく理解できず、家に引き篭ったり、授業に参加できない生徒たちがいたけれど、そういう子どもたちに彼らの母国語で話しかけるとめちゃくちゃいい笑顔…そうだ!こういうことに『かぐやひめ』や父の遺した作品がお役に立つかも!?アラビア語とかヒンディー語とか中国語とか…父の『かぐやひめ』を海外に配給するのではなく、国内でそれぞれの民族の母国語で観てもらえないだろうか?と、噴水のようにポコポコ、アイディアが湧いてきた。『製作当初と違う目的で上映や配信されるのもアリだよ、カリちゃん!』と天国から父の声も聞こえ、そうだ!そういう時代が今、目の前にやってきている。頑張れ、私!と、俄然、張り切って待ち合わせのお役人の待つ外務省へ到着! まずは、両親がお世話になったお礼とご挨拶…あれ?何か変!お役人はハンカチで冷や汗を拭き拭き、『私と話したことはくれぐれも内密に!』って、お名前も教えてくれず、明らかに逃げ腰、しかも後ろ向き。『どうしてそんなに逃げるのか…?』とは訊けず、やんわり丁寧にお尋ねすると、『国の税金で製作した映画なのに日本語がない!国内で公開しないことに対してクレームがくる!(かもしれない)』『はるか昔の話で担当部署も消滅。映画のことは文化庁へ行ってください!』と、猛烈な早口でカクカクしかじかでがっくし。まぁ、外務省には外務省のお立場というものがあるのだから、仕方がない。と、潔く諦めて文化庁へGo!
『教育目的なら文部科学省へ!』…と、文部科学省へ行くも『でも、始まりは外務省さんなんですよね?』と、振り出しに戻ってたらい回し。結局、自分で何とかするしかないのだなぁ…と、一旦撤収。そして、家に帰るとまたこの遺されしものたちに『カリちゃん、早くしてね』と囁かれてごめんなさい〜!と、いうわけだ。

●『かぐやひめ』、子どもたちの未来へ…!

  とにかく、このものたちを一刻も早く助け出し、日本だけでなく世界の子どもたちへプレゼントする方法を探すのだ。私の両親は子どもの頃に悲惨な戦争を経験し、長年、子どもたちの平和を願って映像製作に励んできたのだが、今もまた悲惨な戦争で子どもたちの命が失われているこの世界のありさま。映画の配給や配信で、戦争は終わらないだろうけれど、子どもたちの心が癒されたり、元気や勇気が沸いてくれたらいいなぁ…と、心から思う次第であるが、私一人の力ではどうにもできずにモゾモゾ…皆様からお力添えをいただければ、『かぐやひめ』はまた昔のように、いや、きっと昔以上の不思議なパワーを発揮して子どもたちの未来を照らしてくれるにちがいない。というわけで、我が家に眠る『かぐやひめ』の復活を是非、子どもたちの未来のために実現させたい!というのが私の「未来のためにできること…」というか「するべきこと…」だと漸くわかった。そのために、何をどうするべきなのか、また作戦を練り直さないとならないが、何事も経験が勉強。私一人の力ではなかなか実現できないことも既に経験済みなので、皆様からのご支援、ご助言など、お待ちしています。これからも上映&トーク、精一杯、頑張りますので、応援してくださいますよう、どうぞよろしくお願いします!

ポルトガル語はどんなだろう?一度も観たことがない!
タイ語版も需要がありそう!35ミリからデジタル化は大変だけれど、16ミリが残っていればデジタル化可能!
撮影中の髙橋克雄。左は『かぐやひめ』のアニメーターとして父から『鬼才』と称された渡辺知代実さん。
2023年、日本アニメーション協会の公式イベント「Into Animation No.8」の中に「髙橋克雄特集」を組んでいただきら父の作品を多勢の方とご一緒に観ることができたことに感謝。『わんウェイ通り』『シスコン王子』『夢の国ジパング』など初公開作品の最後に『かぐやひめ』が日本語字幕つきで上映され、大きな拍手をいただいて感無量!
 司会をしてくださった東京造形大学名誉教授の森まさあき氏に感謝!作品数が多くて入り切るか心配だったが、見事な司会運びで万事OK。会場は、和やかな雰囲気でわたしの緊張も吹き飛び、トークも快調に飛ばせた。感謝!!

#未来のためにできること

レトロな「教育映画」や万博映画などの映画や映像を上映&トークしています。「レオニード・モギー賞」や「国際赤十字賞」など国際映画祭や芸術祭受賞作『野ばら』をはじめ、貴重な映像のフィルムのデジタル化にぜひご協力くださいませ。