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現代史と経済と心の問題のつながり

先日、Newspicksのプロジェクト、Rethink JAPAN のYoutube動画を視聴しました。その中で山口周さんが破壊はGDPを上げる手っ取り早い方法として論じていて、消費とはゆっくり行われる破壊であると言っていました。

我田引水するつもりはないですが、僕が昔同じ事を考えて自分をひどい奴だと思っていたのが、少し救われた気がしました。

山口先生が動画内で語っていた人口増加と経済成長とマーケティングが歴史的な関係性があり、綺麗につながっていると語っています。それを考えると、現代につながる問題の根っこがこんなにところに関連があり、こんなにも昔から運命づけられていたのかと思い知りました。

「ゆっくりする破壊=消費を何によって促すか、その技術の体系がマーケティングって言うんですよ。ビジネススクールの教科書になっているフリップ・コトラーの『マーケティング・マネジメント』が出版されたのが1967年で、世界の人口増加率のピークが記録されたのも1967年。放っておいても人口は増える。文明化でどんどんニーズは増える。でもここから先は人工的にニーズを作らなきゃならない。どんどん買い替えさせる、消費させることをしないと経済成長を維持できないという時に、人工的に欲求とか需要というのを作り出す技術の体系であるマーケティングが出てきたというのは、歴史的なコンテクストで考えるとすごく綺麗なストーリーだなと。」

ちなみに山口周さんが言われていたコトラーの教科書ってたぶんこれ。

効率や便利さが一定数を超えて達成されてから、需要が飽和していたんですね。しかし、効率化や便利さを追求する方向で私たちの文明は発展してきたので、なんとなくピークが来ている事に気が付きながらも、皆がそのストーリーを捨てられないまま同じやり方でやってきてしまいました。ここにこそ、現代の日本人が抱える問題の根源があるような気がしました。いわゆる「昭和的な働き方」の問題です。

消費を促し続けるやり方の限界を説明するのに、日本のとても優秀な携帯電話会社が携帯電話の素人であるAppleに大負けしてしまったことを例にとっていました。日本では消費を促すために半年ごとにマイナーチェンジする機種を発表していました。その度に各社ともに大変な苦労をしていました。しかし、それに勝ったのは技術や機能ではなく、ライフスタイルやカッコよさだったのです。

日本の空気がガラリと変わった分岐点となった年である1995年は、これらの歪がセンセーショナルに顕在化し始めた年だったのかもしれません。それ以前からニーズが高まり始めていたカウンセリングという仕事も、そうした世の中が出したSOSの一つだったのかもしれないと思うようになりました。

僕の大学院時代の指導教員は、カウンセリングでは効率や利便性を意識しすぎてはいけないと言われたのを思い出しました。特に産業分野のカウンセリング研究をされていた先生でもあったので、社会の空気に抗う必要性を教えてくれていたのでしょう。

これから心がどこへ向かうのかという事を考え始めてから、心理学以外の切り口から考えることが多くなりました。経済学的な視点はかなり世の中の動きを反映しているので、随分と勉強になっています。恋愛の平成史も書き直さなければいけなくなるような気がします。

まだまだ勉強は必要だと思っていますが、一度、自分が気付いたことをまとめてみたいと思います。そのうち、実現できたらと思います。

結論はありませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

追記
というわけでリライト。

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