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リトルマーメイドのその後の物語としてのトロピカルージュプリキュア


娘と一緒にアニメを見ています。CMで流れる商品のパッケージが可愛い過ぎです。商品を魅力的に見せる力の入れ方が上手過ぎて素敵です。
ええ、トロピカルージュプリキュアの事です。

トロピカルージュプリキュアの説明

今年度放送中の『トロピカルージュプリキュア』には人魚姫がいます。メインストーリーの流れが人魚姫になる事が予想されます。

プリキュア の話のお約束の展開として、異世界から自国の危機に瀕しているキャラクターが人間の世界に助けを求めに来るところから始まります。今回は海の世界が魔女に襲われてしまい、人魚ローラがプリキュアに助けを求めて探しに地上にやってきて、主人公達と出逢います。

このローラはあくまで人魚の姿のまま、地上の世界を探索します。人間に見つからないように、コソコソと隠れながら水路などを通って移動していました。用水路を通る時に、人魚の視点から私たちの世界がいかに汚れているのかが描かれていました。用水路のゴミや汚さが描かれています。アニメの中であっても現実はこうだということを描いており、環境問題を意識させるような演出がなされていました。

ローラは人魚の女王からプリキュアとなる人間を見つけるミッションを与えられていました。それが達成されると自分が王位継承権を得られるので、その目的のために頑張っていました。最初の段階では、地上に来た目的が自発的な欲求では無いところがミソです。

しかし、プリキュア となる人間の女の子たちと交流し、親密度が増していくことで、人間の視点を通して地上の世界を知っていきます。
(そして、視聴者である私たちは人魚の視点を通して、私達が過ごしている何気ない日常が、素晴らしいものであるという事に気付かされるという仕掛けになっています。)

さて、ローラは徐々に地上の世界に憧れを抱くようになります。戦闘の成り行きでアンデルセンの『人魚姫』のように魔女と交渉する流れになります。このシーンでローラは地上に憧れを抱いていることを魔女に知られてしまいます。地上で歩ける足を与えられる代わりに、自分の仲間になることを要求してきます。

そこでローラは自分の気持ちを自覚します。それまで、自分自身も見て見ぬふりをしたり、その気持ちを否定したりして誤魔化していましたが、この件で自分の気持ちに直面させられ、密かにそれを受け入れます。ちなみに、このタイミングでローラ自身がプリキュアになって戦いに参加することになります。(自分の意志で、自分のために戦うことを決めた人がプリキュアになれるようですね)

魔女から仲間になる要請を断ったローラは、王女からも同様に地上に行きたいかと気持ちを尋ねられます。既にプリキュア を探すミッションは達成したので、地上にいる理由はもう無いのですが、女王からまだ地上に行きたいのかどうかを改めて問われます。そこで、ローラは女王にプリキュアとなった少女らともっと同じ時間を過ごしたいと伝え、許しを得ました。

ここまでの途中経過を簡単にではありますが『トロピカルージュプリキュア』について説明させていただきました。ここからはアンデルセンの『人魚姫』ディズニーの『リトルマーメイド』との比較をしてみたいと思います。

語りの切り口の変遷


これら三つの作品に共通するテーマは【越境】です。人魚姫は海の世界と地上の世界の境を超えます。故郷を離れて、まだ知らない土地に憧れを抱き上陸しようとします。これは何も人魚に限った話ではありません。寧ろ現代を生きる私たちにこそ重要な視点を与えてくれる物語だと思うのです。

なぜならば、この物語は簡単に現代の私たちに置き換える事が出来きるからです。越境の物語は私たちが言葉の通じない国や地域に行くことと似ています。日本人の私が英語を学ばずにアメリカに行けば、たちまち言葉によるコミニュケーションができなくなります。これは地上に上がった人魚姫が声を奪われる事ととても似ていると思います。

今でこそ文明や文化が交流し、発展が進んでいるので、異国の人達とも友好的に関わることが出来ますが、昔は余所者に対する警戒心が強い人が多かった事が容易に想像できます。現代でもそういう人が居ますし、それはどこの地域でも同じだと思います。
まして、アンデルセンの人魚姫が刊行された19世紀では、異国との戦争は当たり前にありました。ですから、他所から来た人に対し警戒したり、偏見の面など風当たりは特に強かったのではないでしょうか。

そんな時代に女性が異国の地で安心して安全に暮らしていくためには何が必要だったでしょうか。それは、王子様(パートナーとして自分を選んで庇護してくれる存在)を見つける事です。今でこそ女性の社会進出が当たり前になりましたが、当時はまだ女性には権利がなかった時代です。パートナーの庇護なくしては、生きていくことが難しかったでしょう。特にアンデルセンが生きていたような19世紀ではそのような感じだったのではないでしょうか。つまり、男性からの愛を手に入れなければ、人魚姫のように死んでしまう運命というのがある程度予見出来ていたのではないでしょうか。(あるいは死ぬほど辛い経験を強いられたかもしれません。)

平成の人魚姫


では、100年以上もの時が進んだディズニー版の人魚姫『リトルマーメイド』では、どのような違いがあったのでしょうか?

人魚姫とリトルマーメイドでは、王子と添い遂げる事が出来た点で結末が違います。それから、王子と出会う前から地上への憧れを抱いていた点でも異なります。

『歩ける走れる日の光浴びるの』

楽曲パートオブユアワールドの一節です。

このシーンでは海に落ちてきた人間の世界のものをコレクションしているアリエル王女が描かれています。

実は『リトルマーメイド』をよく見ると、この話のメインテーマが恋愛では無くなっていることに気がつきます。元々の『人魚姫』の話が恋愛を扱っているので、全く恋愛を扱っていないわけではないのですが...。
では、この話のテーマが何に変わっていたかと言いますと、僕が考えるに【自己実現】だと思うのです。

どこからテーマを見つけたのかと言いますと、人魚姫からリトルマーメイドに何が足された要素であるかを考えて見つけました。
では、何を見つけたのかお話しましょう。それはというと、主人公アリエルのバックグラウンドです。どんな主人公であるのかを具体的に語ることによって、作品が扱うメインテーマを操作することに成功しています。

『リトルマーメイド』の世界では、人魚の王の娘が主人公です。「自分の世界以外にも世界がある、見てみたい。」そんな好奇心に突き動かされて地上への憧れを膨らませていく姿が描かれています。
それは海に落ちている謎の物体を見ることで空想したり、拾った遺物をコレクションしていることからも見て取れます。

そんな王女は、大人たちから外の世界は危ないと聞かされて育ってきたのですが、嵐の夜に王子を助けたことで、外の世界に対する危険さに対する恐怖心が低下し、地上でも自分は何とかなるかもしれないと、ちょっとした自信が生まれます。

危険かもしれないという線が揺らぐのと同時に、外の世界に対する興味関心が強くなります。憧れがいよいよ暴走してしまい、国家転覆をたくらむ魔女にその望みを利用されてしまいます。

しかし、魔女の前でも全くの無鉄砲ではなく、リスクについても考えて躊躇う場面もあります。ただの考えなしではありません。しかし、欲望のしっぽを掴まれてしまっているので、抵抗もあまり出来ず膨れ上がった欲望を叶えようと動いてしまいます。

外の世界での生き方とその描き方

そして、足を得た主人公が初めて地上に上がる場面、自分の足で地面の上を歩くシーンは感動的に描かれています。

『歩ける走れる日の光浴びるの』

パーオブユアワールドの一節を改めて引用させていただきます。『リトルマーメイド』は、この曲のこのシーンにテーマが込められている気がします。

たとえ未熟であっても自分の意思で自分の人生を動かす事の美しさや尊さが演出されています。演出に着目すると描こうとしているものがより顕著に見えてきます。

「完成された自分自身になる」という意味での自己実現には程遠いのですが、声を奪われでも尚、他の人たちに助けられながら未知の土地で何とか生活していきます。そして最後には王子様と添い遂げ、呪いも解けて声を取り戻し、親の許しを得て地上で暮らしていくことを決めてこの話は終わりを迎えます。

この話は、初めは言葉も分からないなりに異性と付き合い、コミュニケーションをとっていくうちに言語をある程度獲得し、親の許しをもらった国際結婚まで至った現代のカップルを描いているように思います。

アンデルセンの『人魚姫』では、人間の世界で王子様と添い遂げる事ができず、元の世界にも戻れなかった人魚姫は泡になって消えてしまいます。
現代になり、より多くの人が異国の地でもハッピーエンドを描きやすい世の中になっていると言えるでしょう。この部分に関しても時代の変化が反映されてるという事ができるかもしれません。

令和の人魚姫は何を語るのか


プリキュアが描く人魚について語ってみたいと思います。とはいえ、完結していない話ですので、勝手な推測と期待を交えた考察になります。いや。ほぼ僕の妄想になります。ご了承下さいませ。

さて、お伽話でよくある締めの言葉があります。

「王子様と結婚したお姫様は末長く幸せに暮らしました。」

地位が安定していて経済的にも裕福なカップルがその後も本当に常に幸せに暮らせるかどうかというと、結果はお察しの通りです。ライフステージごとに様々な危機が訪れます。仕事が順調にいっているか、職場での配置換えや、昇進降格などの仕事環境の変化、子どもの妊娠出産や、入学卒業、習い事、親族の体調不良や不幸など家庭環境の変化毎に危機が訪れます。

アンデルセンの『人魚姫』も、『リトルマーメイド』もその先まで描いたりはしませんでした。しかし、今回のプリキュアはそこに踏み込んで行こうとしているのでは無いかと考えています。

とは言っても、プリキュアは女子中学生の話なので、ライフステージが青年期以降(異性と出会ってパートナーとして暮らしはじめた後)まで進むとは考えられません。なので、陸に上がった人魚が地上の人間と交わり、どんな成長を遂げるのか、どんな課題にぶつかるのか、どんな運命を切り開いていくのか、それが今の私たちとどのように関係しているのか、そこに注目していきたいと思います。

青年期以降のライブイベントが発生しないとなると、社会的な課題がフォーカスされていくのではないかと予想します。

これまで描かれた事が伏線になるような展開になってくれると期待すると、次のような展開になると思います。それは....





海の生き物 vs 人間


境界に生きる人間の運命として、必ずと言っていいほど、どちら側の立場を取るのかという選択を迫られるという状況に出会します。
もちろん、どちらの立場にもなる事が出来るので、双方の立場に理解を示せるという利点があります。しかしその反面、どちらの立場にも良い顔をしようとして板挟みにあい、苦しんでしまう事がよくあります。

僕自身がアメリカで生活してきた経験や周囲にそういった人間が多くいました。そして、絶対と言って良いほどそれは起こりました。

これまでのプリキュアの話の中に散りばめられた事を伏線として考えると、次のような展開になるのでは無いかと予想します!


今後の展開を大予想

ある時ローラは、人間が海を汚してきた事で、海の生き物たちの我慢の限界に達し、人間を滅ぼそうと密かに画策してきた事を知ってしまいます。
その危機を一人で止めようと、海の生き物たちを説得します。しかし、人間から直接被害を受けた生き物や、地上の人間との交流をしてこなかった海の生き物、更には人間に捨てられて失望したり、強い悲しみと恨みを持った生き物たちにはローラの声は届きません。それどころか、生き物達の言葉に人間を助けるべきかどうか気持ちが少し揺らいでしまいます。

そして、この危機を人間側、つまりプリキュア の仲間達にも伝えようとしますが、自分が海側の味方をすると疑われるのでは無いか、これまでのような親密な関係が崩れてしまうのでは無いかと悩んでしまいます。

それでも、このまま放っておいたら海の生き物との戦争になってしまうので、ローラは決心して仲間に危機を伝えます。何か出来ることは無いかと考えて、海を守ろうと街の人達に呼びかけたり、清掃活動を始めたりします。

なかなか耳を傾けてくれる人は捕まえられず、プリキュア 達も絶望します。それでも活動を続けていくうちに少しは話を聴いたり、一緒に清掃活動してくれる人も現れます。しかし、これでは海の生き物達の考えを変えるには遠く及ばないと希望を失いかけてしまいます。

プリキュア達は人間が自分達の生活を優先して、環境への配慮を「後回しにしてきた」事を知り、人間に対して失望し、自分達の生き方を後悔します。そして人間が海の生き物達からすると悪者になっている事を自覚します。

それでも、人間が滅ぶことは容認できません。人間の考えを改めさせて少しでも状況を良くしていく事しか出来ないと腹を括り、海の生き物達に思いとどまってくれないかと話をしに行きます。

海の生き物達の中にも穏健派と過激派が居て、穏健派は地上の人間も悪い人ばかりでは無いと考えて直してくれます。しかし、過激派は話も聞こうとせず、海底火山を噴火させて大津波を起こそうと画策し、実行しようと地上から爆発物を調達します。

そんな事をしたら海の生き物達もただでは済まないと、プリキュアと穏健派は結託して、過激派の生き物達を止めようとします。しかも、後回しの魔女達が過激派と組んでしまったので敵の戦力は増大しており、なかなか止めることができません。

海の生き物達を傷つけずに止める事は難しく、戦いは困難を極めます。

そして、なんやかんやしていると、遂にプリキュア は後回しの魔女のところに到達します。どうしてこんな事をするのかと尋ねると、かつて後回しの魔女も人間と交流していたが、裏切られ、深く傷ついた事を知ります。そう、後回しの魔女は地上に憧れて一度は人間と結婚までした人魚のアリエルだったのです。性格が価値観が合わずお互いを傷つけて、関係が破綻してしまった王女だったのです。

破局して出戻りした王女に対して、故郷の海の生き物達は彼女に辛く当たりました。すっかり居場所を無くしてしまった王女は召使い達を従えて、自分だけの国を作り、海の生き物達のやる気パワーという資源を貪るようになりました。しかし、それも底を尽きたので地上の人間たちのやる気パワーという資源を集めに来ていたのです。

ローラは魔女と戦いながら話し合いをします。男女の仲と友達との関係は別物かもしれないが、地上の生活に対する憧れに理解を示し、当時はキラキラした気持ちを持っていた事などを思い出させます。
価値観が合わない事は、プリキュア 同士でもある事で、それでもお互いを尊重出来れば乗り越えて来られた。そのメッセージをなんとか届けようとします。魔女も当時のパートナーもお互いに相手に対する敬意が薄くなっていた事に気がつきますが、そんな事に今更気づいても遅い!とヤケになって襲ってきます。

そして魔女との最終決戦が行われます。
戦いが終わると、傷心の魔女にローラが地上に残した子孫の末裔であった事を知り、自分の行いを悔います。そんな魔女に召使い達も同情し、寄り添います。魔女も好きで一人になったのではなく、疎まれてしまった事が原因だったと知り、海の生き物達も王族達も反省し、謝ります。

こうして一時的な危機は去りましたが、人間が環境への配慮を努力して維持し続けない限り、また海が襲って来るかもしれない、仲良くするためにはお互いを尊重して、お互いの誤りを認め、信用できる関係を築けるように行動で示す事が大切だと説いてエンディングを迎えます。

これが私が思う最終回までの道筋です。
いかがだったでしょうか。

現代の課題である環境問題、前の世代が抱えるトラウマの癒し、過ちの振り返りと精算、などの問題とその解決の道を描いてくれると信じています。

そして同時に、境界の上にいる立場の揺らぎや不安、居場所のなさや困難が表現されるとこのような感じになるのではないでしょうか?

面白いと感じた方はコメントなど戴けると嬉しいです。 


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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