記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

原作『ラプンツェル』の登場人物の発達段階と課題について解説

先日、金曜ロードショーで『塔の上のラプンツェル』がノーカット版で放送されました。記憶に残っているうちにこの作品について心理学を使って語ってみたいと思います。

既にいろいろな人が語ってきたと思いますが、少し異なった視点を加えているつもりですので、宜しければ最後までお付き合い下さい。

原作「ペンタメロン」の中のラプンツェル

ちなみに岡田斗司夫さんも解説しています。

めちゃくちゃ面白かったので、是非見てください。(私は『アオイホノオ』のドラマを見て以来、岡田斗司夫さんのYoutubeを見ています。)

岡田斗司夫さんの解説では、当時のディズニーのアニメスタジオのスタッフがラプンツェル制作に至るまでの状況や、社会に対してどうメッセージを投げていたのかなどを語っています。

また、原作のラプンツェルについても語られていました。グリム童話に収められた話ではあるのですが、もともとはイタリアのナポリに伝わるエロ小話集『ペンタメロン』にあったことなども説明されています。
岡田斗司夫さんは新しい視点や、知識を与えてくれます。注目するポイントが変わるので、いつもと違う見方ができて面白いです。

さて、私も心理学的に作品を解説すると言いました。しかし、これが唯一の真実というつもりはありません。切り取り方によって色々な見方ができるので「こんな見方はどうでしょうか?」と、ひとつの意見として、ひとつの考え方として受け取って頂ければ幸いです。

あらすじが無いと話しづらいので、Wikipedia のリンクを貼らせさせていただきます。

まず、この話のテーマがどこにあるのかという事を探ります。

物語の普遍性と元型論

元はただのエロ小話かもしれません。しかし、今日に伝わる昔話の類は童話として編まれた際に子供向けに再編されています。また、時代を経るごとに内容が削られたり、付け加えられたりしています。人から人へ、世代を跨いで、時代や地域を超えた長期に亘る編集作業を乗り越えてきた物語には普遍性が備わっていきます。

精神科医で心理学者であったユングはそういった物語に共通するテーマを見つけだし、それらをアーキタイプ(元型)と呼んでいます。この話に登場する元型はグレートマザー(太母)を挙げることはできると思いますが、主題となっていないため、割愛させていただきます。(ちなみにこの話の中でグレートマザーに該当する登場人物はゴーテルだと思われます。)元型の解説は別の機会に。

母親の課題と魔女との比較

そしてもう一つ。物語のテーマを探る上で重要なのが、登場人物の年齢と、その年代の人が抱える精神発達上の課題です。この物語で注目するべき人物は、物語の序盤の主人公である母親と、後半(本筋)の主人公であるラプンツェルです。

母親は成人しており、結婚して家庭をもっています。母親は生活や社会、規範を維持する役目を負っています(当時の社会通念として)。しかし、妊婦になった身体的な辛さを和らげるために、隣の家から野菜を盗むという逸脱行動を夫に頼んでしまいます。社会規範よりも自分の欲望を優先させてしまったのです。

夫は何度か盗みを成功したものの、やがて見つかってしまいます。夫はそれでも機転をきかせて野菜を手に入れることができますが、引き換えに生まれてきた子供をゴーテルに差し出すことになってしまいます。ここでは、この両親とも大人として知恵も欲求のコントロールも未熟であるということが表現されています。

そして、この親の対になっている存在として魔女ゴーテルが登場します。親から子どもを奪い、子どもを塔に閉じ込める悪い存在として書かれていますが、子育ては非常にうまくやっています。12歳になるまでは塔に閉じ込めてもいません。絶世の美女であったことでクソみたいな男性から遠ざけたかったという親心もあったでしょう。知恵もあり、情緒的にも実の両親よりも優れているので、ラプンツェルはこの両親のもとで育つよりも「いい子」に育ったかもしれません。

このように「大人として未熟な親」vs「成熟した大人としての魔女」という構図があったのが1つ目のテーマでした。

この物語で成長するのはラプンツェルなので、この母親の成長は描かれていませんが、この親の精神発達上の課題をあてはめて考えると、Generativity(世代性)の問題が当てはまると思います。

成熟した大人は、物事や人を「正しく生み育てる」ことが求められます。
これが達成されないと「停滞」が待っています。ちなみにGenerativity は、当人の精神発達的な問題だけではなく、この問題に取り組まないと周囲や世界にとって害になりかねないと警鐘を鳴らしている概念です。

この母親は自分自身の欲や感情を育て切れていません。物語の中ではその代償として子どもを奪われるという不幸が当人に降りかかるという形で描かれています。

若者の発達課題とラプンツェル

成長の物語の多くは、青年の男性の話がわかりやすいです。大人になる過程で冒険をし(通過儀礼)、成功(成長)の対価として宝物や女性を得る(象徴的に)という構図が多く見ることができます。
眠れる森の美女に出てくる王子様や、このラプンツェルに登場する王子様も冒険の末に結婚していますよね。日本の桃太郎や、一寸法師なども冒険して鬼退治の末に宝を得たり結婚する話なので、この部類に入ります。

ということで、2つ目のテーマはラプンツェルの女性としての成長についてです。ボーイミーツガールです。思春期の女性のテーマとして、「しおらしく待つ」ことが求められています。

これは、白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女、リトルマーメイド、などディズニープリンセスのほとんどが持っているテーマです。(現代のポリコレでは女性蔑視として扱われ、このテンプレは非常に嫌がられていますね。)死んだように眠ったり、声が出なくなったりと、主人公の女性は主体的に行動することができない状態で待つほかありません。

おそらく、当時の社会では成人として認められるために結婚が重視されていることが多く、そのために、「白馬に乗った王子様」を待つことが良しとされていたのでしょう。多くの作品の中で「機が熟すまで待つ」ことが少女から大人の女性になる過程で強調して描かれていたのはそのためだと考えられます。ラプンツェルも同様に塔に閉じ込められたり、砂漠に閉じ込められたりと主体性を奪われていましたね。

ラプンツェルは、はじめに王子を手引きしますが、詰めの甘さから魔女に男性との関わりがあることを露呈してしまいます。ここでも未熟性が描かれています。そして、今度は髪を切られ(処女性と少女性の剥奪のイメージかな?)砂漠に監禁されてしまいます。ラプンツェルは主体性を2度奪われてしまいます。

今度はそこで双子を生み(ここでやることやってたのがわかる)、王子が現れるまで7年も待っていました。この7年間、具体的には描かれてはいませんが、人間として成長したのだと考えられます。

ラプンツェルは自分の考えの甘さや不誠実さを相当反省したんじゃないでしょうか。想像ですけど。王子様と会えなくなっただけじゃないですからね、子どもを育てなきゃいけないですからね。魔女がどれだけ自分のことを世話してくれていたのか身に染みたのではないでしょうか。想像ですけど。

それと同時に王子様も目が見えなくなって、彷徨い続けてます。その間、ずっとラプンツェルのことを考えています。盲目で彷徨いながらも、なんとか生き延びてます。

ラプンツェルが心の支えになっていたんじゃないでしょうかね。冒険とは言い難いですが、そんな気持ちを7年抱き続けたサバイバルの末に、運命的に再会できたんです。

お互いに当初の軽い気持ちでは会っていないですよ。
最初の頃にそのまま付き合ってたら破局していたかもしれませんよ。

ディズニー版のラプンツェルと面白がり方

ゴーテルの面白がり方:原作版

もうね、この話なんですが、現代に置き換えると、隣の家の野菜を勝手に持っていくくらい精神的に未熟な親から生まれて容姿だけが良い女の子がいて、見かねた隣のおばさんがその子を引き取って、上手に育てて、それでも未熟な女の子が幸せな結婚生活を送れるように、彼女自身が成長出来るよう、自然と反省するような場面をお膳立てしてあげたというようにしか見えなくて。すごい良い人に見えてます。

しかも自分が悪者扱いされながらね。そう思うとゴーテルどんだけいいやつだよって。

ゴーテルの面白がり方:ディズニー版

ディズニーの映画では特に悪く見えるように描かれている部分が多い気がしますが、やっぱりそこまで悪ことをしていないと思いました。
まず、魔法の花を独りでこっそり使っていましたが、わざわざ花のところへ通っていました。それに対して王様は花を持ち帰って独占してしまっています。

ラプンツェルを捕らえた理由だって、自分の寿命がかかっていますから、そりゃ必死になるなって思います。

それと、情緒的な対応は毒親っぽいですが、塔に閉じ込めてからの生活環境の様子を見ても、本や絵画、手芸などの文化的には非常に高度な環境を与えています。

面白さが加速する場面

ラプンツェルが塔を抜け出してからゴーテルの面白さが加速します。彼女は万が一、ラプンツェルを捕まえられなかったら若返れなくなるので、死活問題なんですよね。ゴーテルさんにとってラプンツェルの脱走は。

しかし、死のタイムリミットが刻一刻と近づいているのにも関わらず、とても悠長に構えておられます。すぐに連れ帰ることもできる場面で、わざわざユージーンを罠にかけてるんです。うまくいかなかったら自分も死ぬのに。こんな命の危機のリミットに瀕しているはずなのに、あえてリスクをとって、ラプンツェルが脱走しないような体験を演出しています。この大胆さに気づいたら、めちゃくちゃ面白いキャラクターだなって思いました。

まとめ

ということで、大人としての未成熟さと少女の成長を主題としている話であるという解釈ができるというお話でした。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。


宜しければこちらもご一読下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?