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ただよう台所から私の居場所へ

昼間、ただよう台所
夜、たどり着くベッドの中
朝、ようやく気がつく私の居場所


何かを考える時間は、日中の台所が多い。そのときは、頭の中で、言葉や言葉になる前の気持ちがぐるぐるふわふわただよっているいる状態。
昼間もしょっちゅうスマホを手にしているのに、昼間のうちにそれをこうして文章にすることはほとんどない。

何かを書く時間は、だいたい夜。昼間にふわふわしていたものを、眠る前に、ベッドでこうして言葉にする。書きながらも、ずっとただよい続けて、結局何を書きたいのか、どこへ向かっているのかもわからなくなり、収集がつかなくなることもよくあるが、最近はなんとか無理やりにでも、どこかにたどり着けるように、落としどころをつけるようにしている。そして、そのまま寝る。

翌朝、前の晩に書いた自分の文章を再読する。そして、ようやくそのときの自分の気持ちを、自分の居場所を知るのだ。

夜に書いたものを、朝になって読むと、「なに言うとんねん、私?」となることがよくある。夜と朝のでは、思考回路が異なるのではないかと思う。それでも、昼間にただよい続けた気持ちを、その日の夜に書き綴ることに、私は意味があると思っている。
昼間に書こうとすると、なかなか筆が進まない(今は筆じゃなくて指だけど)。外の世界への意識が、思考の邪魔をする。昼に言葉は降りてこない。
一晩たってしまうと、そのときただよっていたものが、どこかにたどり着く前に、別のものに変化してしまうような気がする。冷静になりすぎる。
夜の、少し冷静さを欠いたような今の状態に、いちばん素の私があらわれる。そして言葉は夜にやってくる。
その素の状態を、翌朝、少し冷静になってクリアになった私は「我ながらなに言うとんねん、」と感じる。
でも、そのときの私は、確実に、そこにいたのだ。その場所が、私の居場所なのだ。

で、それって、どこなんだ?