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これから私が探すもの

若い頃は、というか、ほんの少し前までは、他の誰でもない、"自分にしかできないこと"をずっと探し求めていた気がする。
しかし、遅ればせながら、最近になってようやく気がついたのだけれど、そんなもの、なくてもいいのだ。というか、ありはしないのだ。

そもそも、そんな風に考えているということは、どこかで"私は特別なんだ"と思いたいというか、思い上がっているということだったのかもしれない。そんな風に思っているから、どこかでそう信じているから、いわゆる"自分探しの旅"に出るのだろう(私は、実際の旅には出ていないけれど)。でも、どれだけ探したってそんなものは見つからない。私は私で、他の誰でもないけれど、イコールそれが、"私は特別"ということではないのだから。

そして最近、違った考え方をするようになった。特別ではない私が、"自分にしかできないこと"を探すのではなくて、特別ではない私でも、"自分が楽しく苦なくできることで、周りを幸せにできること"や、"相手の喜びと自分の幸せがつながること"を探してみよう、と考えている。それならきっと、何かひとつは見つけられるのではないか。
自分が何気なくしたことが、相手にとても喜ばれたり、自分がやりたいと思ってやったことが、思いがけず誰かのためになったりすることがある。それは別に、"自分にしかできないこと"ではないけれど、そこには確かな充実感があるし、幸せがある。

"自分にしかできないこと"を探すことは、"自分"を中心に世界を考えることだけれど、"相手の喜びと自分の幸せがつながること"は、"相手"ありきで世界を考えること。しかしそれは決して、自己犠牲的なものではない。

世の中が私に求めているものは、なんだろう。世の中、なんて大きなものでなくていい。自分のいる社会、友達や家族、周りの人が、私に求めていること。その人たちのために私ができること、したいこと。感動の涙を流すような大きな喜びでなくていい。台所に射し込む光が作り出す小さな虹を見つけたときの喜びのような、ほんの些細なことでいい。その小さな幸せを誰かと共有できること。そういうことを探していきたい。

そして今、なんとなくその輪郭が、うすぼんやりと現れはじめたような気がしている。気がしているだけかもしれないけれど…